前世とシュバイツァーと(2)
前世の話は、一般的にうさんくさいと思われることが多いようで、某霊能者の前世の透視にも、いろいろと批判があるようです。ただ、一般人として、それを信じる信じないはともかく、輪廻転生というか、魂は一つ、宿る肉体は過去にもあり、未来にもあるなんてことを、漠然と考えることはあるでしょう。あるいは、生まれ変わることはなくとも、天国なるところ(人によっては地獄?)が存在し、現世での生活態度が、天国で反映されるなんていう、あるような無いような話は、丹波哲郎氏はじめ、多くの方が語っているところです。まあ、現世での倫理観の形成のための一つの手段にはなっているのかなあとは感じます。なかなか抑止効果はありませんが。
そんなわけで、現世では悪いことせずに、死んだら極楽浄土に行きたいものですが、悪いことかいいことか、その指針が天国からちゃんと示されていないことに、不安を感じているのは私だけでしょうか(笑)。
例えば、人間が生きていくためには、他の生物を食べなければなりません。が、その生命の奪い方は、天国で問題とされないのでしょうか。たとえば、鮎を生きたまま串刺しにし、炭火であぶって、頭からぽりぽり食べる行為は、どうでしょう。沢ガニを生きたまま、高温の油の中に入れ、唐揚げにする行為もどうなんでしょうか。まあ、前世がカワウソの私は許されるとして(うむ?)、そんなことが実は天国で厳罰の対象となっていたら、たまったものではありません。ベジタリアンがもっとも天国で評価されるのであれば、その道に進むこともありか・・・。
まあ、そんなことを悩むのは、自分で生き物を殺すことができず、他人に殺させて食べ物を得ている、私を含めた現代人のおごりそのものかもしれません。
弓矢が刺さった野鳥がかわいそうといいつつ、白鳥を蹴り殺すのは異常であるといいつつ、食べるために、いずれ殺されてしまう、暗がりで大量飼育されているブロイラーはかわいそうではないという感覚は、ついでにいえば、そんなふうに作られた食肉を、何の疑問を持たずに食べるという行為は、現代人のおごりそのものでしょう。
私の持論は、「生命への畏敬をもって食せば、天国では叱られることはない」ですが、本当のところはわかりません(笑)。まあ、そうは言いつつ、はっきり言って私の場合、全然畏敬をもって生命を食していませんが・・・(オイオイ、話が違う・・・)。明日から、ちゃんと畏敬をはらいましょう。おっと、明日の明日はそのまた次の明日ですけどね。
以前から何度も書いていますが、安く大量にタンパク質を生産し、それをだだくさに食い散らかす行為こそ問題だと感じています。その問題提起のために、天国をちょっとだけ利用させていただきました。ばちがあたって地獄行きとなるかどうかは、死んでみないとわかりません。
人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
↑↑クリック!
BlogPeople「自然・科学」ブログランキングにも清きクリックを!
↑↑クリック!
| 固定リンク
コメント