エコ・幻想(4)
エコを考えるときに、食料問題は切っても切れない関係であると感じています。
前回も書いたように、食物を使って燃料を作るなんていうことはそもそも論として本末転倒で、エコでも何でもないような気がします。
そして、安く、手軽に、日本中の、あるいは、世界中の食材が手にはいるということは、まさに「非エコ」の象徴といえるかもしれません。エコを訴えつつ、手軽にを実践したいのであれば、それに見合う十分なコストを支払うべきで、つまりは、お金持ちしか買えないという格差社会こそ、真のエコだったりすると考えたりもしています。
以前、同様の内容で、だだくさな食卓、だだくさな食卓2というエントリーをしたことがあるのですが(だだくさ=もったいない、無造作に)、わずかここ20年ほどで、食卓というものががらっと変わってしまったような気がします。私はまだ自分がおっさんとは思っていない年頃(30代後半・・・)ですが、それにしても、ほんの少し前には、決して、だだくさには食べられなかった食材が、お店に、食卓にあふれる世の中になりました。
私は、大きな意味でのエコの観点から、例えば、ウナギは超高級食材になればいいと考えています。養殖という「超・非エコ」によって、安くて手軽を享受しているわけですが、そのおかげで、環境にかけている負荷の大きさや、ましてやウナギそのものが、絶滅するかもしれないということを考えれば、正直食べられなくてもいいような気がしているのです。
そんなことを書くと、私の感覚が「グリーンピース的」だと思われてしまうかもしれませんが(笑)、そんな感覚とはちょっと違います。私が考えていることは、値段はともかくも、ほんの数十年前には、こんなにありがたみもなく、だだくさに食い散らかすようなことはなかったわけで、以前のように、ご馳走としてありがたく食べたいと思っている、ただそれだけなのです。
むしろ、燃料費が上がり、えさ代が上がり、コストがかかることで、ウナギの値段が上がった方が、昔の感覚を社会が取り戻せるのではないかと考えたりもしているわけです。その方が、絶対「エコ」ですし、健全ですし、自然を守っていけると思うのです。
むむむ、何となくこの「エコ・幻想」が、変な方向に向かっているような気がしなくもありませんが、もっと変な方向へ行きましょうか・・・。
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