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2008/07/30

前世とシュバイツァーと(3)

 先日、とある雑誌を見ていると、鹿児島だかどこかの養豚場の記事が載っていました。おいしい豚を育てていますという記事だったかどうか?中身はそれほど読んでいないのですが、その牧場の様子をとった写真構成にはびっくりしました。1つめ写真が、その牧場で育てられている子豚をだっこして、かわいがっている写真。2つめの写真が、その牧場で行われるバーベキューか何かの風景。そして、そのバーベキューの中央には、子豚の丸焼きがドーンと・・・。

 まあ、子豚がいくらかわいいと言っても、いずれは食することには変わりありませんから、丸焼きにしようと、太らせてから食べようと、まあ変わりないと言えばそれまでです。が、なんと言いましょうか、前回語ったように、生命を自ら奪うことができない、おごり高ぶった現代人の私から言うと、ごく単純にかわいそうと感じなくもありません。そう書きながら、実に都合のいい話ですが・・・。

 テレビ番組などで、よくブランド牛などの優良牧場の紹介がされることがありますが、同じようなことを感じることがよくあります。丹精込めて育てた牛を、「自分の子供のように」と表現し、出荷の日には「娘を嫁に出すよう」なんて言っていますが、結局のところ、食べるんですよね。さんざん牛を食べている私が言うと極めて不謹慎ではありますが、かわいそうで出荷できないなんてことはないんでしょうか。丹精を込めれば込めるほど、感情が移入するなんてことは・・・。ドナドナドナドーナ・・・。

 いろいろな意見はあるかと思いますが、鯨は殺すべきでないとか、犬を食べるなんて非文化的だなんていう意見は、個人的には極めておごり高ぶった考え方だと思いますね。自らの手で、牛や、豚や、鶏を殺して食べている方だけが、言ってもいいことのような気がしてなりませんが。

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2008/07/29

前世とシュバイツァーと(2)

 前世の話は、一般的にうさんくさいと思われることが多いようで、某霊能者の前世の透視にも、いろいろと批判があるようです。ただ、一般人として、それを信じる信じないはともかく、輪廻転生というか、魂は一つ、宿る肉体は過去にもあり、未来にもあるなんてことを、漠然と考えることはあるでしょう。あるいは、生まれ変わることはなくとも、天国なるところ(人によっては地獄?)が存在し、現世での生活態度が、天国で反映されるなんていう、あるような無いような話は、丹波哲郎氏はじめ、多くの方が語っているところです。まあ、現世での倫理観の形成のための一つの手段にはなっているのかなあとは感じます。なかなか抑止効果はありませんが。

 そんなわけで、現世では悪いことせずに、死んだら極楽浄土に行きたいものですが、悪いことかいいことか、その指針が天国からちゃんと示されていないことに、不安を感じているのは私だけでしょうか(笑)。

 例えば、人間が生きていくためには、他の生物を食べなければなりません。が、その生命の奪い方は、天国で問題とされないのでしょうか。たとえば、鮎を生きたまま串刺しにし、炭火であぶって、頭からぽりぽり食べる行為は、どうでしょう。沢ガニを生きたまま、高温の油の中に入れ、唐揚げにする行為もどうなんでしょうか。まあ、前世がカワウソの私は許されるとして(うむ?)、そんなことが実は天国で厳罰の対象となっていたら、たまったものではありません。ベジタリアンがもっとも天国で評価されるのであれば、その道に進むこともありか・・・。

 まあ、そんなことを悩むのは、自分で生き物を殺すことができず、他人に殺させて食べ物を得ている、私を含めた現代人のおごりそのものかもしれません。
 弓矢が刺さった野鳥がかわいそうといいつつ、白鳥を蹴り殺すのは異常であるといいつつ、食べるために、いずれ殺されてしまう、暗がりで大量飼育されているブロイラーはかわいそうではないという感覚は、ついでにいえば、そんなふうに作られた食肉を、何の疑問を持たずに食べるという行為は、現代人のおごりそのものでしょう。

 私の持論は、「生命への畏敬をもって食せば、天国では叱られることはない」ですが、本当のところはわかりません(笑)。まあ、そうは言いつつ、はっきり言って私の場合、全然畏敬をもって生命を食していませんが・・・(オイオイ、話が違う・・・)。明日から、ちゃんと畏敬をはらいましょう。おっと、明日の明日はそのまた次の明日ですけどね。
 以前から何度も書いていますが、安く大量にタンパク質を生産し、それをだだくさに食い散らかす行為こそ問題だと感じています。その問題提起のために、天国をちょっとだけ利用させていただきました。ばちがあたって地獄行きとなるかどうかは、死んでみないとわかりません。

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2008/07/28

前世とシュバイツァーと

 先日、鮎の塩焼きを食べました。
 鮎の骨は、上手に抜く方法があるようですが、結局面倒くさくなり、頭から全てをぼりぼりと平らげました。

 つい最近、沢ガニのからあげを食べました。一応、お店の人に、どうやって食べるのか聞いたところ、すべて食べられるとのこと。結局足も、はさみも、甲羅も、ばりばりと全てを平らげました。

 そんなときふと我に返りました。
 あー!あー!!、私は、自分の前世を思い出したのです。私の前世、それはたぶん、カワウソ・・・・、今はなき、日本カワウソだったに違いないことを・・・。あゆを、頭からぽりぽりとむさぼらないと気が済まない、カニもばりばりと食べないと気が済まない、この本能は、カワウソに違いない・・・。そういえば、川に泳ぎに行たときのあの興奮・・・、あれもそうだったのか・・・。

 ちなみに、心理学的な催眠術による前世の研究によれば、ほぼ100%、人間の前世は、人間だそうで・・・。私はカワウソから格上げされて良かったのやら悪かったのやら・・・。

 もうひとつちなみに、私の嫁に、生まれ変わっても結婚してくれるか尋ねたところ、「カワウソとは結婚したくない・・・」そうな・・・。
 
 人間は生きていくためにどうしても他の生命を食べなければなりません。前世がカワウソでも何でもいいですが(笑)、お上品に骨を抜かなくても、丸ごと食べられるものは、丸ごと食べてみませんか。
 生命への畏敬をこめて。

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2008/07/18

むなしきかな(4)

 最近テレビを見ていて気になるのが、やたらと放送される、テレビ番組の予告・宣伝コマーシャルです。提供各社のコマーシャルをさしおいて、自社テレビ局の番組の宣伝を流したり、或いは別番組に積極的にゲストとして出演者を出して宣伝するなど、テレビ局の必死さが伝わってきますが、ある意味むなしき話です。

 詳しくは知らないのですが、ドラマ等の番組の宣伝を流すのは、決して提供各社のコマーシャルをさしおいているわけではなく、提供が少なくてあいてしまうんだとか・・・。そんなあいた枠に視聴率を上げるために番組宣伝のコマーシャルを入れ、本物のコマーシャル提供社をなんとか確保するという作戦のようですが、なかなかマスコミの大王のはずのテレビの世界も厳しいようです。

 番宣コマーシャルはまだしも、主役級の俳優・女優が、朝もはよから、ニュース・報道番組に呼ばれて、番組の見所を宣伝させられているのは、個人的には実にむなしき光景です。バラエティ番組のゲストとして、なんでこの人が出てるの?なんて思ったときは、たいてい新番組の番宣です。番宣が元の番組の一部を食ってる場合もあり、むなしいというか何というか、一言で言うと、うっとうしいことこのうえなしです。

 原因が、景気低迷による提供の減少や、ネット業界に宣伝費を食われている現実があるのでしょう。ただ、あくまで個人的な意見ですが、番宣だらけの番組や、いい場面でのコマーシャル突入といった手法がふんだんに使われている、提供社のための番組は、上記の通り正直うっとうしいので、あまり見たくないのが現実です。これはむしろテレビ局の意図とは逆のはずです。こういう負の循環が起きていることは実にむなしき話で、誰かが気づかないと、ますます泥沼に落ちていく・・・・、そんな気がしてなりませんが、民放の皆さん大丈夫ですか。

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2008/07/17

むなしきかな(3)

 最近では、学校の先生が、生徒に「先生はお金払って先生になったの?」と聞かれるそうで・・・。
むなしきかな、むなしきかな。でも、お金上納したからこそ先生になっている方も残念ながらいるわけですから、仕方ないですね。ただ、これが大分県だけのことかどうかは、まったくわかりませんが・・・。というか、その手法のえげつなさの程度はともかく、同様のことは多かれ少なかれどこにでもあると考える方が、ごく自然かもしれません。

 というのも、中学生の時、「この先生、明らかに僕より頭悪い・・・」と感じる先生がいました(笑)。中学といえば、専門教科別になるわけですから、中学生ごときに頭が悪そうと勘ぐられること自体大問題ですが、でも、そん先生がいるんだからしょうがないですね。高校の時の数学の先生では、出した宿題の問題が解けないとうわさの先生もいました(直接の担当ではないのでわかりませんが)。いずれの先生も、お金や口利きで職に就いたかどうかは不明です・・・。

 しかし、大分のような金銭、口利きによる受験操作は行われなかったとしても、いわゆる謝礼という文化は、日本全国津々浦々にはびこっているような気もします。正規の方法で、順当に就職したとしても、上司となる人には、「今後ともよろしくお願いいたします」という感じで、菓子折の一つくらい持っていくのが礼儀といえば礼儀のような・・・(笑)。まあ、菓子折の中身や、中身による差別が露骨になると、大分のように総点検ということになるのでしょうが、何事も、程度問題でしょうか。

 最近、先生の指導力がよく問われますが、さらにこんな不祥事が起きると、ますます先生の求心力が低下しそうです。それを考えると、程度問題なんて言ったことは甘すぎますか。一回リセットした方が良さそうなことは、間違いないようです。

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2008/07/15

むなしきかな(2)

 飛騨牛につづき、次のむなしきものは・・・・、「うなぎ」。

 これまた、先日スーパーに行ったところ、うなぎの蒲焼きがたくさん売っていました。以前からこのブログで書いていることですが、昨今のだだくさな、うなぎの食い散らかしを、大変うれいている私です。ところで、うなぎの蒲焼きにも、むなしき表示がされていました。

 「一色産うなぎ」。あの偽装うなぎに使われたのと同じようなシールが、しっかり貼付されていました。そして、大量の蒲焼きが置いてあるそのコーナーには、

「当店のうなぎは全て愛知県一色産の国産うなぎです。安心してお召し上がりください」
との張り紙が・・・。むなしきかな、むなしきかな、あえてそう書かれると、むしろ買う気が失せるというものです。

 そもそも、うなぎは焼きたてをお店で食べるものであって、あのパックに入れられた、蒲焼きのうなぎはどうも好きになれません。まあ、それは許すとしても、許せないのは、パックごと冷凍してあるうなぎの蒲焼き・・・。冷凍したり、作り置きするようなことで、余計なうなぎ様の命を奪うくらいなら、必要なだけ、注文が入っただけ、焼いていただいた方が経済的であり、資源的にも合理的だと考えます。

 また、蒲焼きのうなぎは、どう見ても、中国産か国産かの区別はつきません。今後も残念ながら、同様の不正は行われるのではないでしょうか。
 そう考えれば、責任の所在が曖昧で、シールが貼り替えられれば全く区別がつかないスーパーやコンビニで売るようなことはやめて、魚屋さんや、うなぎやさんに責任を持ってもらい、生きたうなぎを直接さばいて、我々に提供してもらった方がいいのではないでしょうか。産地やブランドではなく、そのできばえと誇りで、勝負してもらいたいものです。

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2008/07/14

むなしきかな

 先日地元岐阜に帰ったときのこと。
家では焼き肉パーティーとなり、岐阜のブランド牛、飛騨牛を食べることになりました。

 これがまた、以前からなのか、最近なのか、例の偽装事件以降なのかわかりませんが、買ってきたお肉には、わざわざちゃんと「飛騨牛・5等級」と表示されていました。まあ、正真正銘の飛騨牛だということなのでしょうが、ああいう事件後ですと、なんとなくむなしい表示です。むしろうさんくさいというか、いろいろとかんぐってしまいました。

 というのも、買ってきていたお肉、その産地・等級の表示に似つかわしくない、ちょいとお安めのものであり(母がけちったらしい!)、それよりもなにも、そんなにおいしくない・・・・・。うむむ、偽物か・・・・・。

 もちろん、5等級の飛騨牛とはいえ、肉の部分や、加工日などによって、大きく味は変わるのでしょうし、もちろんいい肉を買ってきたとしても、味は調理した者の責任ですけどね。まあ、味付けは塩を振っただけ、振ったのは私・・・。悪いのは私ですか?・・・。

 偽装がされていて、値段が高くなってしまったお肉を、表示だけを見てありがたがって食べる。そして、味の違いがわからない。わからないから、また偽装する・・・、というのが、この手の問題の悪循環でしょう。今回の私の経験は、5等級だろうが、飛騨牛だろうが、「安かったら、まずかった(もとい、おいしくなかった)」と言う話で、あまり問題性が無いような気もしますが(笑)、あらためて、ブランド狂の日本人に問題を感じますし、一度うさんくさいと思ってしまうと、ブランドの表示というのは、むなしい限りです。

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2008/07/11

エコ・幻想(5)

 エコを語っている私は、エコな生活を送っていません(笑)。

 最大の「非エコ」は長い一人暮らしでしょうか。高校卒業してから、あれこれ人生の半分以上を一人暮らししてきましたが、こんな効率の悪い、非エコはありません。2年ほど前に結婚したとはいえ、一人暮らしが二人暮らしになっただけで、家族3世代の生活というわけではありません。核家族どころか、老人の個人生活も増えていますから、日本中非エコ世帯大増殖中と言えましょうか。

 一人暮らしの非エコといえば、食べ物の効率の悪さでしょう。私はもっぱら便利を求めて、主食は「コンビニ弁当」でした。コンビニ弁当は安くて便利の象徴です。非エコの固まりであることはいうまでもありません。
 私の高校時代までを思い出すと、ゴミといえば燃えるものというイメージが強いのですが(実家では小さな焼却炉を買って燃やしていた)、一人暮らしで出てきたゴミは、弁当の容器のような燃えないゴミ、プラスチック系ゴミばかりです。

 ふと、30年ほど前を思い出せば、うちのおばあさんが、プラスチック系の容器を大事に押し入れにしまっていたことを思い出します。今では、その頃のプラスチックとは比べものにならないほど、丈夫でいい容器を、毎食毎食ゴミとして出してしまっています。リサイクルという手があるとはいえ、ペットボトルでわざわざ水やお茶を買う時代です。あれもこれもと次から次へとゴミゴミゴミ・・・。大事にとっておいたら、ゴミ屋敷といわれてしまいます・・・。

 そうは思いつつも、なかなか便利からの脱却は難しいものです。だからこそ、ものの値段が上がって、もったいないを感じることができる現状を、悲観する必要も無いのではないかというのが、今までの私の主張です。

 そんな私の考える最新のエコが、スパーなどでたくさん見かける、食品トレイの有料化です。要するに、「タッパー持参運動」ってのはダメですかね。「エコ袋」というのがだんだん浸透しつつありますが、出来合いのおかずは、持参した容器で持ち帰るという発想です。それこそたったの数十年前には、ボールやたらい?洗面器??持参で豆腐を買っていたわけですから、できないことはないでしょう。

 なにしろ、便利を提供するのをやめてもらって、料金を負担させられないと、エコする気も起きません。現在、燃料費が高騰しているわけですが、考え方を変えれば、未来を守るために、「楽と便利を買う時代」が到来したということではないでしょうか。あまりお金を出せない我々庶民は、タッパーもってスーパーへ行きましょう。

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2008/07/10

エコ・幻想(4)

 エコを考えるときに、食料問題は切っても切れない関係であると感じています。
 前回も書いたように、食物を使って燃料を作るなんていうことはそもそも論として本末転倒で、エコでも何でもないような気がします。
 そして、安く、手軽に、日本中の、あるいは、世界中の食材が手にはいるということは、まさに「非エコ」の象徴といえるかもしれません。エコを訴えつつ、手軽にを実践したいのであれば、それに見合う十分なコストを支払うべきで、つまりは、お金持ちしか買えないという格差社会こそ、真のエコだったりすると考えたりもしています。

 以前、同様の内容で、だだくさな食卓だだくさな食卓2というエントリーをしたことがあるのですが(だだくさ=もったいない、無造作に)、わずかここ20年ほどで、食卓というものががらっと変わってしまったような気がします。私はまだ自分がおっさんとは思っていない年頃(30代後半・・・)ですが、それにしても、ほんの少し前には、決して、だだくさには食べられなかった食材が、お店に、食卓にあふれる世の中になりました。

 私は、大きな意味でのエコの観点から、例えば、ウナギは超高級食材になればいいと考えています。養殖という「超・非エコ」によって、安くて手軽を享受しているわけですが、そのおかげで、環境にかけている負荷の大きさや、ましてやウナギそのものが、絶滅するかもしれないということを考えれば、正直食べられなくてもいいような気がしているのです。

 そんなことを書くと、私の感覚が「グリーンピース的」だと思われてしまうかもしれませんが(笑)、そんな感覚とはちょっと違います。私が考えていることは、値段はともかくも、ほんの数十年前には、こんなにありがたみもなく、だだくさに食い散らかすようなことはなかったわけで、以前のように、ご馳走としてありがたく食べたいと思っている、ただそれだけなのです。

 むしろ、燃料費が上がり、えさ代が上がり、コストがかかることで、ウナギの値段が上がった方が、昔の感覚を社会が取り戻せるのではないかと考えたりもしているわけです。その方が、絶対「エコ」ですし、健全ですし、自然を守っていけると思うのです。

 むむむ、何となくこの「エコ・幻想」が、変な方向に向かっているような気がしなくもありませんが、もっと変な方向へ行きましょうか・・・。

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2008/07/09

エコ・幻想(3)

 ガソリンなど燃料価格の高騰とともに、現在問題になっているのが穀物価格の高騰です。原因はいろいろといわれているようですが、その一つに、トウモロコシ等の穀物が、食料や飼料として使われず、バイオエタノールの原料になっていることがあげられています。

 私はどうしても、この直接間接的に人間の食料にするべき穀物を、燃料に変えるという行為が、とても「エコ」とは思えないのですが・・・。

 そもそも論として、食料を燃料に変えるということ自体が本末転倒という話もあります。車を動かすために、飢え死にする人間がうまれてしまうことは、まったくもっておかしな話です。
 ついでにいえば、高く売れる穀物の生産のために、森が切り開かれているという噂もあり、これまた全く持って本末転倒もいい話です。

 そんなそもそも論を置いておいたとしても、本当にバイオ燃料はエコなのでしょうか。
 理屈としては、バイオ燃料を燃やして発生したCO2は、また畑でトウモロコシに生まれ変わるので、計算上CO2は発生しないというのですが。どうもこの理論、聞けば聞くほどうさんくさい話です。

 私の感じるうさんくささは、この話が「永久機関」の話によく似ていると思うからです。太陽電池で電球を光らせたら、太陽電池を使って、その光を利用して発電し、また電球を光らせる・・・、という誰もが一度は考える永久機関の幻想と何かだぶっているように感じるのです。要するに、永久機関の話は、どこかに「抵抗」が働いていて、うまくいきません。電球の光のエネルギーを100%の効率で電気に変えることはできないでしょうし、電球そのものに電気抵抗がありますから、どんどん電気が目減りしていくのは明かです。

 つまり、トウモロコシに蓄えられたエネルギーは、100%の効率でバイオエタノールへ変換され、100%の効率で自動車の動力に変わっていくのでしょうか。だとすれば理想的ですが、この効率が100%でなければ、目減り分のエネルギーが必要になりますから、そのエネルギーを生み出すために、CO2が余分に発生しませんか?。
 そう考えれば、このエネルギー効率は、本当に、トウモロコシの育成収穫のサイクルに見合う効率なのでしょうか。ひいては、トウモロコシを作るに見合う効率なのでしょうか。
 値段がつり上がったことで、農家の金銭的な効率は相当に見合っているのでしょうが、エネルギー効率はちゃんと「エコ」と呼べるものなのでしょうか。

 このあたり、私には知識がないので、明確にお答えいただける方がおられれば教えてください。
 私は、極めて非効率だろうと感じていますが・・・。

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2008/07/08

エコ・幻想(2)

 ガソリン高いですね。いっちょまえにええ車(非エコ車)に乗っている私は(笑)、道にガソリン撒きながら走っているようなものです。まあ、通勤は徒歩ですので、エコの鏡のような存在のはずですが・・・。

 実際のところよくわかりませんが、この燃料費の高騰は、結局のところ「エコ」ですね。
 
 自動車に乗らなくなり、ちょっとしたところなら歩いたり、自転車に乗ったりする、これはまさにエコです。

 ガソリンの高騰が、ものの値段をつり上げているとすれば、今までだだくさに使っていたものも、大事に、必要な分だけ使うようになるでしょう。
 
 食品のマイレージなんていう発想もあるようですが、地産地消がどんどん進んでいくのかもしれません。外国から安く食品を買い、食い散らかして捨てている現在よりも、あるものを無駄なく消費する姿の方がよっぽどましだと思いますし、食物自給率の解決にもつながるかもしれません。

 安くて、楽だということは、それだけ環境に負荷をかけているということです。この環境への負荷の方向へ偏りすぎた現状を、見直すいい機会ではないでしょうか。
 ガソリンが高騰しない限り、エコの行動に移すことは正直難しいことですから、この痛い出費が、災い転じて福となすことを祈るばかりです。

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2008/07/07

エコ・幻想

 うむむ。またまたお久しぶりになりました。彰の介です。
 さぼり続けてまた一ヶ月以上がたってしまいました。
 ブログをやめてしまうのも自由かとは思いますが、これがまた、やめずに放っておくことができるのもブログの一機能と申しましょうか。誰も文句を言いませんね。夏休みの宿題のように、8月の終わりになってあわてるような、あの緊張感(笑)がブログにないところが、意志の弱い私系の人間にはたまらないと言いましょうか・・・。

 そんなことで、本日は短くまとめます。
 最近テレビで「エコ」という言葉がやたらと登場しますね。CO2というのもキーワードでしょうか。こうすると、CO2がどれだけ削減できるなんていうテレビ番組や、自然番組がずいぶん放送されているようです。

 まあ、それはそれ、自然主義者の私ですから、賛同すべきことのはずなのですが、一言だけ言うならば、「エコ」をテレビ番組で強く言うのはどうなんでしょうね。何しろ、その番組作りに一体どれだけのCO2を排出し、テレビを見ることで一体どれだけのエネルギーを使っていることか・・・。

 私はこういう自己矛盾が大好きなので(笑)、ぜひとも

「明日のエコでは間に合わないから、テレビの電源をお切りください」
的な放送がされるのを楽しみに待っています。

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