« 無駄論的「隗だけお得?」 | トップページ | 無駄論的「心の狭い太公望」 »

2009/02/23

無駄論的「管仲と鮑叔牙」

 故事成語のエピソードに屁理屈をたれるシリーズ第2弾、本日は「管鮑の交わり」で有名な管仲を懲らしめましょう。

 管仲(かんちゅう)といえば、中国の春秋時代、斉の国の王様「恒公(かんこう)」を覇者たらしめた宰相として有名です。そしてこの管仲の管と、その無二の親友、鮑叔牙(ほうしゅくが)の鮑をとって、「管鮑(かんぽう)の交わり」という言葉がありますが、例によって みらいぽーと さんのところで意味を確認しますと、「利害によって変わることのない親密な交際」ということになっております。同じような言葉に、「刎頸の交わり」というのがありますが、こちらは廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)の話で、エピソードが違うだけで、お互いのためなら首を切られてもいいというような同じような意味の話です。

 時代背景を細かくお話しすると、それだけで大変なことになるので、ぜひ教科書を参考にしていただきたいと思います。簡単に言うと、1.管仲と鮑叔牙は無二の親友だった、2.それぞれ斉の国の別々の王子に仕えていた、3.謀反などいろいろあり(省略・・・)、それぞれの王子を次期王様にするため、親友同士だが戦うことになった、4.鮑叔牙の仕えていた王子が争いに勝って(これも中身はおもしろいですが省略・・・)、斉の王様(恒公)になった、5.戦った以上、管仲は殺されるべきだが、その才能を高く買っていた鮑叔牙は、恒公を説得し、管仲を斉の国の宰相に推した、6.管仲はその才能をいかんなく発揮し、恒公を春秋時代初の覇者たらしめた・・・・ってなとこでしょうか。
    
 当然のことながら、ことが王の座をめぐる争いですから、負けた方は殺されることになります。負けた王子や管仲は隣国に亡命中でしたが、この亡命先の国に恒公から次のような要求がされたと、某小説では展開されていました。
 

血を分けた王子は、こちらで殺すにはしのびないのでそちらで殺してほしい。ただし、管仲は、殺しても殺したりないくらいなので、こちらへ生きたまま送ってほしい

 殺されることなく送られてきた管仲を、鮑叔牙は宰相へ推挙したという展開ですが、まあ、これを利害を超えた親交というのであれば、その前に、争わずに王を決めることはできなかったのでしょうか。上記省略していますが、それぞれの王子を王にするため、管仲も鮑叔牙も権謀術数いろいろやってるわけですから、何とも理解に苦しむ親友関係です。

 さらに、管仲という人物も、自分の作戦失敗で王子を死に追いやってしまったにもかかわらず、のこのこと敵の宰相につくあたり、全く武士道精神(←これは日本人のみ?・・・)のない人間です。生き恥をさらすとはこのことです(言い過ぎか・・・)。しかも、どうしても理解できないのが、後生、「斉の恒公を覇者たらしめた人物は管仲」とされ、管仲の評価は非常に高いわけですが、次のエピソード(管仲自身の鮑叔牙の友情の述懐)からも、本当に管仲を額面通り評価すべきかどうかは、疑問だらけです。
 

私(管仲)がまだ若かった頃、鮑君と一緒に商売をやったが、いつも分け前を彼よりも多く取った。しかし、彼は私を欲張りだとは言わなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、ある時、彼を助けようとしてやったことが失敗し、かえって彼を窮地に陥れてしまったことがあったが、彼は私を愚か者だとは言わなかった。事には当たり外れがあるのを知っていたからだ。私は何度も出仕してはその度にクビになったが、私を無能だとは言わなかった。まだ、運が向いて来ないだけだと知っていたからだ。戦さの時に何度も逃げ出したが、それを卑怯だとは言わなかった。私に年老いた母がいるのを知っていたからだ。また、糾さま(管仲が仕えた王子)が敗れ召忽が自殺したとき、私だけが縄目についたが、それを恥知らずだとは言わなかった。私が小事にこだわらず、未だ天下にその名の 顕 ( あらわ ) れないことだけを恥じていることを知っていたからだ。私を生んでくれたのは父母だが、私を育ててくれたのは鮑君だ。

 一言で言えば、管仲というのは、「開き直りの天才」であり、「ただの無神経男」ではありませんか。鮑叔牙の優しさが無ければ、全くしょうもない人物であったことは明かです。つまり、私からいえば、鮑叔牙の方が、実際問題として仕えた王子をしっかり王の座につけましたし、このしょもない男の尻をたたいて働かせましたし、断然優秀な人物と考えますが違うでしょうか。それがなぜか「斉の恒公を覇者たらしめた人物は管仲」と評せられるのが、私にはよくわかりません。

 しかしまあ、この天才的な開き直りができる無神経な人物こそ、真の政治家とも言えましょうか。改革断行を行うのに、あっちにもこっちにも遠慮していたら何もできません。文句を言われようが、何があろうが、ばっさりと改革を断行し、「国のためには仕方ありません」と開き直る力というのは、そうそう凡人には持ち合わせていない力ではあります。ある小説でも、改革断行が鮑叔牙自身ではできないから、この開き直りの天才管仲にやらせたというストーリーを展開していましたが、実際そうだったかもしれません。
 が、そうであったとしても、やはり私は、管仲よりも鮑叔牙の方が遙かに優秀という評価に変わりはありませんが・・・。

 現在の日本では、改革が断行できない開き直りの天才的な政治家はたくさんいますので、全く困った限りです。ワインを飲んでおきながら、風邪薬と開き直りますか・・・。
 ということで、次回は「太公望」あたりをばっさりと切りましょうか。
 (なお、上記表現において、わかりやすく”王”や”王子”などの言葉を使っていますが、厳密には時代的に”王”は周王朝の王のみです。)

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「自然・科学」ブログランキングにも清きクリックを!
 ↑↑クリック!

|

« 無駄論的「隗だけお得?」 | トップページ | 無駄論的「心の狭い太公望」 »

コメント

彰之介さんも、歴史の表面に出たものを素直に信じる人ですね。そういうのも嫌いではないです。鮑叔の名が現在に伝わり、「偉いヤツだった」と思うのは、実は管仲の言葉が残っているからです。管仲の方が情けなく見えるのも、管仲自身がそう言ったからです。私が想像するに、真相は、当時の斉王から見て、鮑叔はとうてい国政を執れる人物ではなく、具体的に産業を興し国を富ませる方策は、管仲の発想力にあった(現代のわれわれから見ても、管仲の施策はすばらしいものでした)。しかし彼は幼い頃から共に育った鮑叔を隠退させた後も立派な屋敷を与え、大臣並みに待遇していた。「何であんなチンピラに」と周囲ではやかましかったが、友情に厚い管仲は「いや、あいつは偉いヤツだったんだ」と、自らを貶めるようなことまで言った。というところです。管仲に宰相の位を譲って隠退した、というのは、管仲が言ったことですね。本当にそうだったかどうか?実は斉王が決めたことです。誰が見ても鮑叔は大した人物ではなかったのです。その友を最大限に賞賛して、三千年も後のわれわれの心に刻ませたのは、管仲です。どうです?少しイメージが変わりましたか?でも、鮑叔は管仲に出世のチャンスをもたらしたわけですから、やはり最上の友人であったことは間違いありません。

投稿: めかぶ | 2009/05/07 11:56

めかぶ様、コメントありがとうございます。
 私も、管仲が凡庸とは思いません。私の説?では、文中に書いたように、開き直りの天才であり、それゆえ国政を切り盛りする凄腕だったと思っています。
 ただ、鮑叔がたいした人物ではなかったとは到底思えません。家督争いを勝ち抜いたのは鮑叔であり、管仲は負けたのですから。これはまぎれもない事実ですよね。
 桓公を覇者たらしめたのは管仲で、行政能力については、鮑叔は大したことなかったかもしれませんが、凡庸では決してなかったと思います。

投稿: 彰の介 | 2009/05/07 21:18

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 無駄論的「管仲と鮑叔牙」:

» 中国での食事 [中国での食事]
中華料理は、大勢で円卓を囲み、わいわいと料理を取り合って食べるのがいちばん美味しいですし、経済的も絶対にお得です! [続きを読む]

受信: 2009/02/24 00:36

« 無駄論的「隗だけお得?」 | トップページ | 無駄論的「心の狭い太公望」 »