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2009/02/26

無駄論的「心の狭い太公望」

 故事成語のエピソードに屁理屈をたれるシリーズの第3弾、本日の主人公は「太公望呂尚」、故事は「覆水盆に返らず」です。

 太公望といえば、俗に釣り好き方のことを言いますね。これは、太公望と名づけられることになる呂尚という人物が釣りをしているときに、後の周の文王にスカウト?されたという故事によります。これまた、みらいぽーとさんのページをリンクしておきます。しかし、偉い方がどこの馬の骨とも知らぬ人物に声をかけますかね。また、少し話しただけで、その見識を見抜くことなどできるのでしょうか。まあ、まったくのファンタジーな世界です。

 ということで、殷王朝を倒し、周王朝建国の立役者となる太公望ですが、この人物、意外に心が狭いというエピソードを発見しました。それが、「覆水盆に返らず」という故事です。意味はやっちまったものを元に戻すことはできないということですが、この故事の主が太公望であることはまったく知りませんでした。

 

殷王朝末期、若き 呂尚 は、妻を娶りました。 しかし、彼は、学問を修めることに力を注ぐ余り、働くわけでもなく、夫婦の生活は苦しかったのです。それでも呂尚は、気にも止めずに勉学に励んでいたため、ついに妻は夫に呆れて、「とてもあなたにはついていけません。」と言って、出ていってしまいました。 呂尚は、なおも努力を重ね、深い学識を備えましたが、依然として貧しいままでした。
 しかし、ある日、 渭水 のほとりで、1人釣り糸を垂らしていると、通りかかった身分のあると思われる者が、声をかけてきました。話をしてみると、その人物は、賢人として誉れの高い周の 西伯昌 ( せいはくしょう 、後の文王) で、「あなたこそ、我が太公(祖父)の望んだ人物だ。」と言って、彼を太公望と呼び、師として敬いました。
 西伯との出会いによって、呂尚は、天下にその名を知らしめることとなりました。その彼の元に、ある日、出ていった妻がひょっと現れ、「昔は、食事にも事欠くほどの貧しさでしたのでお暇をいただいておりましたが、このように立派になられたので、やっぱりあなたの妻としてお側に仕えさせていただきます。」と言いました。
 呂尚は、無言のまま盆に水を汲み、それを庭先の土へこぼすと、別れた妻にその水をすくうように言いいました。彼女はその水をすくおうとしましたが、水は土にしみ込んで救うことができません。そこで呂尚は、言いいました。「覆水盆に返らず(一度こぼれた水は元に返すことはできない)。一度別れたものは、再び一緒にはなれないものだ。」

 どうですか。太公望は家庭を顧みず自分のしたいことだけして妻に逃げられたにもかかわらず、ちょっと運良く出世したからといって、返ってきた妻にもう一緒になれるかと言い放ったのです。心狭きことこの上ないと感じませんか。はっきりいって、妻を責めることなどできないでしょう。何をえらそうに「覆水盆に返らず」でしょうか。勘違いもはなはだしいというものです。天下に名を知らしめたわけですから、「昔は苦労をかけた」といって度量のあるところをみせてほしかったなあと感じるばかりです。

 まあ、といいつつ、糟糠の妻という言葉もあり、妻のほうも出て行かずに貧苦をともにしていれば、このような悪妻の汚名をかけらずにすんだと思わなくもありません。簡単に言うと、二人の相性が悪かったというだけのことでしょうか。社会で、組織で、集団で力を発揮する人物が、決していい家庭を築ける人物ではないという好例??でしょう。

 ということで、また突っ込みどころのある故事や話を見つけたら、容赦なく叩き切ろうと思います。今年のテーマは「評論はファンタジー」で心が固まりつつありますので、こういう「どっちの(別の)解釈もできるじゃん」的話は見逃しません。

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