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2009/04/30

洗濯物が透明になる日

 洗濯洗剤のコマーシャルというと、真っ白なTシャツが空いっぱいに干してある、あの風景?を思い出します。
 それにしても、私が生まれてから三十数年、四捨五入すると四十年、洗濯洗剤のコマーシャルは常に以前より白くなる、当社比何%きれいになるとやり続けてきているのですから、そろそろ、最新の洗濯洗剤を使えば洗濯すると洗濯物も透明になっちゃうのではないでしょうか(大笑)。
 うむむ?、透明じゃなくて、究極の白か・・・、といっても実際のところそれほど真っ白になるのかどうか?まあ、コマーシャルでやってるほど白くはなりませんね。
 我々はどこかでだまされているとしか言いようがありません。

 話は変わりますが、私はひげそりにブラウン社製の物を使っています(深剃りの名はブラウン)。このブラウンのコマーシャルも、深剃り深剃りといい続けていますから、そろそろ剃ったら血だらけになってもよさそうなものです(笑)。おっと、肌には傷をつけずにひげを剃るんでした。
 しかし、最新のものでも、やっぱりつるつるにはなりませんね。音波??を使った振動で、細かなひげが毛穴から出るのを助けるそうですが、全く名ばかりの最新兵器です。毛穴から出す前に、毛穴からとっくに出ているひげを何とかしてもらいたいのですが・・・。これもなんとなくよさそうだとだまされているといってもいいでしょうか。

 全く話は変わりますが、昨今各社の「エコ」なるキャンペーンも、怪しいものばかりです。基本的に、エコを考えるなら、現在あるものを長く大事に使う方がよっぽどいいとのことです([ゴ―ログ] プリウスよりも中古車がエコ?「エコ」なのか「エゴ」なのか?)。これも何かだまされているのですね。
 
 車の話をすると、私が今乗っている「非エコ車」の燃費は、せいぜい7km/l、最新のプリウスが30km/l以上ですか。ざっと5倍近い燃費です。私は月5000円程度をガソリン代に使っていますが、これがプリウスなら1000円以下ですむことになります。すると年間5万円近くガソリン代がお得になります・・・・・が、が、が、これをプリウスの購入代金200万円ほどと比べれば、回収にざっと40年かかる計算になります。ガソリン代が安くつくからといって、生活が楽になるかのような錯覚をおこさせるのは、だましですね。もちろんコマーシャルでそんなことは言ってませんが。ガソリンを5分の1に減らせるのはエコでしょうが、その車を作るのには大量のCO2が排出されているらしいですし・・・。一番のエコは、ガソリン税の増税と高速道路料金の値上げでしょうか。まあ車に乗らないのが一番のエコですよね。 

 ついでに言えば、テレビでエコを訴えるのも本来おかしなことです。以前、エコ幻想というシリーズ記事を書いたのですが、この記事の一部を再掲しておきます。 
 

「エコ」をテレビ番組で強く言うのはどうなんでしょうね。何しろ、その番組作りに一体どれだけのCO2を排出し、テレビを見ることで一体どれだけのエネルギーを使っていることか・・・。

「明日のエコでは間に合わないから、テレビの電源をお切りください」

的な放送がされるのを楽しみに待っています。
 

 どれもこれもだましばかり、姑息なだましにはどう対抗しましょうか。そういえば、この「彰の介の証言」は、だましに近い記事ばかり・・・、ささやかな抵抗、すでにしていました。

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2009/04/23

臓器移植法改正の是非

 臓器移植法改正の議論が国会でされているようです。
 ただ、聞こえてくる議論は、昨今このブログで言うところの派閥争い的議論が多く、各論の投げ合いのような気がしてなりません。そこで、総論的な私の意見をここに書きたいと思います。

 主に議論になっているのが次の2点だと思われます。
 

1.本人の意思が確認できない場合、家族の同意があれば臓器移植できるかどうか。
2.小児の場合、家族の同意があれば臓器移植できるかどうか。

 簡単にいうとこういう感じでしょうか。
 
 私の考えの根本は、本人の意思を最優先すべきということです。次に家族の意思でしょうか。したがって、大原則として、本人が「臓器移植拒否」の意思をドナーカードなどで明示している場合は、家族がなんと言おうが当然のことながら移植できないと考えます。
 
 本人が臓器移植可の意思表示をしている場合は、家族の意思を尊重すべきでしょう。家族が同意すれば移植へ、反対すれば移植はしないということでいいと思われます。

 問題は、本人の意思がわからない場合ですが、これは本人の移植に対する考えを表示する権利の放棄であると考えます。基本的にドナーカードを携帯するべきと考えますが、それとともに、常に家族に意思を明確に話しておくことも重要であると思います。したがって、意思表示がない場合は、家族の考えで移植に同意するかしないかを判断すればいいと思います。本来、移植されるのがいやなら、生前にはっきりいやだと明示しておくべきです。

 脳死を一律人の死とする案が出ているようですが、これについては私は異論があります。やはり旧来どおり、移植を前提にした脳死は死としていいと思われますが、本人あるいは家族が移植を望まなかった場合、それは死を意味しないような気がします。脳死の状態が死か生かは、それぞれ個人家族の死生観によると考えるからです。移植されてもよいと意思表示されている方は、脳死=死という死生観であり、移植拒否の方の多くは、脳死は死ではないという死生観をお持ちでしょう。このあたり日本人の死生観として統一できてはいないと思われます。

 問題は、小児の場合、特に幼少で意思表示はできるわけがない時期はどうするかですが、私は、個人的意見として、現在の禁止から一歩踏み出し、小児の場合は親が移植の可否を判断し、日本の小児臓器移植の道を開けるべきと考えています。

 現在、移植という手段がある以上、どんな手段を使ってでも自分の子供の命を助けたいとおもう親心を否定することは無理であると考えます。それが、昨今の海外移植につながっていることは言うまでもありません。その海外移植が今後できなくなるのであれば、日本の医療技術をもってすれば助かる方法があるのにもかかわらず座して死を待つしかありません。したがって、私は小児領域の移植の手段を閉じるべきではないと考えています。

 「自分の子が脳死になったら臓器提供できるのか!!」的な反論をされる方がありますが、これはまったく間違った反論だと感じます。子供が脳死になったら全員臓器移植を強制されるわけではありません。したがって、親の死生観に基づき、これを死と受け止められなければ、はっきりと、移植拒否を明示すればいいのです。多分、私がその立場になれば、(その場にならなければわかりませんが)、想像するに限りなく100%に近い確率で「移植拒否」をすると思います。それでいいではありませんか。臓器移植に賛成しながらおかしいですか。いや、臓器移植に賛成なら、自分の子供の臓器を提供しろという考えこそ大問題だと考えます。
 さらにいえば、自分の子供の臓器を取り出せば別の子供が助かるなどということを考える必要はまったくありません。

 小児の場合、脳死判定に疑問があるなどの事例が出され、脳死移植に反対の意見があるようですが、これも同様に、疑念のある方は、はっきりと移植拒否をされればいいのではないかと思います。お互いの死生観をぶつけあって議論するのではなく、それぞれの死生観を尊重するということではだめでしょうか。

 最もあってはならないのは、先ほども書いた、「移植に賛成すれば別の命が助かるのに・・」的な雰囲気であり、さらに、医師が医師の死生観に基づき、患者家族に移植を求めたり、拒否するよう仕向けたりすることではないでしょうか。医師による興味本位、病院の宣伝のための誘導はもってのはかであるのは言うまでもありません。

 ということで、賛否両論あるかとは思いますが、私の考えを書かせていただきました。上記の通り、私は基本的に現行法よりも一歩進んだ移植法を考えていますが、しかし、移植が強制ではないということを、自分の意思が重要であるということを重ねて強調させてください。上記で、説明不足、あるいは誤解を招く表現があるかもしれませんので、ご指摘受ければ場合により訂正させてください。

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2009/04/16

痴漢裁判のこと

 先日、防衛医大教授の痴漢裁判で、最高裁が逆転無罪判決を出しました(痴漢事件で防衛医大教授に逆転無罪)
  

電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われ、無罪を主張していた防衛医科大学校教授(63)=休職中=の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、教授を懲役1年10月の実刑とした1、2審判決を破棄、逆転無罪判決を言い渡した。教授の無罪が確定する。最高裁が痴漢をめぐる事件で逆転無罪判決を言い渡したのは初めて。5人の裁判官のうち、2人が反対意見をつけた。同小法廷は「満員電車内の痴漢事件においては、特に慎重な判断が求められる」との初判断を示したうえで、「被害者の供述は不自然で信用性に疑いがある」と指摘した。痴漢事件をめぐる捜査や裁判に影響を与えそうだ。

 これはこの事件における問題ではなくて、今後の痴漢系裁判??に大きな影響を及ぼしそうです。

 本質的なことだけ書けば、冤罪でなく実際痴漢をしていたとしても、「やっていない!」と主張し続ければ、(よほどの証拠がない限り)基本的に無罪ということになります。痴漢被害者は泣き寝入りということになりますか。そう考えると決してすっきしした判定とは思えませんが。

 しかし、今まではどうかといえば、痴漢被害者に訴えられたら、冤罪だろうがなんだろうが基本的に有罪というわけですから、それがよかったとも到底思えません。
 つまりは、今回、それぞれの立場が180度変わったということになりましょうか。

 私は、究極的に(あくまで究極的に)どちらの立場を支持するかといえば、「推定無罪」の考え方から、証拠もないのに証言だけで有罪にするべきではないという立場(今回の最高裁の立場)です。ただ、上記のように、この立場の問題点は、痴漢被害者の泣き寝入りを増やしてしまうことでしょう。
 
 泣き寝入りを減らす対策について、
 

目撃者の確保▽被害者らの供述の裏付け▽容疑者に付着した被害者の衣服の繊維鑑定など科学捜査の推進

などが挙げられているらしいのですが、これはなかなか難しいのではないでしょうか。
 
 電車内に監視カメラを設置するとかはどうですかね。ただ上につけるだけではまったく見えないか、死角が多すぎますか。基本的に満員電車ですし。でも姿勢や位置関係は確認できるような気もしますが。
 下からのぞく形の監視カメラなら犯行そのものがよくわかるような気もしますが・・・、その画像自体が犯罪か・・・。

 女性は恐ろしさのあまり声が出せないといいますが、声の変わりに音が出るようなものを携帯するというのはどうでしょう。基本的に犯人を捕まえるためでなく、抑止としてですが。というか、犯人を捕まえることよりも、抑止の方が重要でしょう。何かされたかも・・という信号を周囲に知らしめれば、犯人も手を出しにくくなると思いますし、あわよくば目撃者を確保できそうですし。まあ、声を出せない人が、音の出る装置のスイッチが押せるかどうか(恥ずかしいなど)の問題はありますが・・・。

 いずれにしても、アイデアを出せばいろいろと対策はできるような気がします。また、基本的に電車内の大半の乗客は善良なる市民なわけですから、それら対策を浸透させることで、十分に犯罪の抑止につながると思うのですが、甘いでしょうかね。

 まあ、こういう話題においても、冤罪増加に目をつぶるか、泣き寝入り増加に目をつぶるかの派閥争い的議論は意味がないと思われます。私の結論は、「善良なる市民みんなで、犯罪を抑止することを考えよう」です。私は持ち合わせませんが(←腰抜けの彰の介!)、犯罪に立ち向かう勇気こそ本当に必要なものかもしれません。

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2009/04/09

ネットの典型としての「Yahoo!知恵袋」

 このブログでも「ネット対マスコミ」的な話題を何回か取り上げたのですが、私の個人的結論は、「ネット派とマスコミ派の派閥争いにすぎない」と思っています。
 ネットにはネットの、マスコミにはマスコミの、メリット・デメリットがあるわけで、どちらかがどちらかに勝るとか劣るとか、正しいとか正しくないとか、そんな結論には持ち込めないのではないでしょうか。

 ところで、最近、ちょっとしたことが知りたくて、「Yahoo!知恵袋」を何度か利用したのですが、いろいろな質問、回答を見ていて、「これはまさにネットとは何ぞや」という本質がこの知恵袋コーナーに凝縮されているなあと感じました。ネットとは何か、そのメリットとデメリットは何かを知りたければ、Yahoo!知恵袋を見よというわけです。(まあ、本来ネットを知りたければ2ちゃんねるを見よという話なのかもしれませんが、私はまったくそちらを利用しておりませんので・・・。)

 Yahoo!知恵袋とは、自分が思っている疑問を投稿し、誰かがその回答を投稿するという仕組みになっています。ちょっとしたことを質問したい場合には非常に便利で、大変役に立ちます。中にはアンケート的な質問もありますが、いろんな人の意見が聞けるという意味でも大変便利だと感じます。

 メリットをいろいろ上げてみましょうか。まずはいちいち専門書などを紐解かなくても、簡単に質問し回答を得ることができることでしょう。また、総論的な解説書があったとしても、具体的な手順がわからないなど、細やかな自分の疑問にあった質問ができる点も上げられると思います。また、いつでもできる、ネット環境があればどこでもできるというのもうれしいものです。回答も同じ悩みを共有する方が回答することもあり、参考になることも多いと思います。また、割と早く回答が得られるのもメリットに入ると思われます。

 これがテレビやラジオの相談室的番組であった場合、ほとんどの疑問は無視され、一部の質問にしか答えてくれません。というか、自分の質問が取り上げられるというほうがまれでしょう。もちろん疑問がふと沸いたときに、まさにその疑問をテーマにしたテレビ番組がそのときやっている可能性は極めてまれなのは言うまでもありません。

 デメリットも上げてみましょう。なんといっても、すべての質問に、その道の専門家が答えるわけではないことでしょう。通りがかりの人が、思い付きを答えることも多々あるのではないでしょうか。回答がついていない質問もあるようですが、そうでなくても、一人か二人、適当に答えていることもあります。
 要するに、回答の信憑性は誰も担保していないことが最大のデメリットでしょう。

 Yahoo!知恵袋ガイドラインを読むと、この解答の信憑性について、
 

もちろん、それらの答えは回答される方の知識レベルや思想、考え方などに左右されます。どのような質問をし、他の参加者から受けとった回答をどのように理解し、評価するかといったことはすべてご利用になる方々の責任において行われます。それらの回答内容がすべて絶対的に正しいとは限らないことを十分認識して、本サービスを利用してください。

 という見解で、いきなり信憑性を放棄してしまっています。そして、その後を読んでいけば、責任も負わない、保証もしないとしっかり書いてあります。もちろん回答者や、Yahooに責任を負わせたら、回答が集まらないのは言うまでもありません。「場と環境は与えますから、後はご自由に活発な議論をどうぞ」というのは、いかにもネットらしいといえばネットらしい、メリットと裏腹の大デメリットといえるでしょう。

 ちなみに、私は職業柄やぶ医者をやっているわけですが、その方面の質問を見てみると、残念ながら怪しい回答が結構あり、これを真に受けた質問者がその後どうなったのか心配でなりません。しかも、それら回答は、一見すると問題のある書き方はしていませんから(たぶん悪意はない)、真に受けるほうが普通と言えなくもありません。このあたり、簡単に信憑性を放棄してしまっていいものやらと思いますがどうなんでしょう。

 もう一つのデメリットとして、質問はしっぱなしで、似通った質問の統合は行われていないことです。もちろん回答の統合も行われていません。メリットとして、痒いところに手が届く細やかな質問ができることがあげられますが、それにしても同じような質問が当然のごとく乱立してしまっています。それぞれに回答も違い、優秀な回答と通りすがりの一言が同様に扱われています。したがってうまく検索を使っていい回答を見つけることができればいいのですが、うまく引っかからず、新規に自分がした質問にいい解答がつくかどうかは「時の運」というのも、デメリットの一つでしょう。

 マスコミに信憑性があるのかないのかは、まあそれぞれの案件によりますが(笑)、一応建前として、信憑性のない情報は流さないのが原則で、最低限、信憑性の放棄はありえません。NHKが、「なお、本日のニュースの信憑性は、視聴者の個人で判断してください」なんて言い出したら大笑いです。まあ笑えない事件も多々ありましたが・・。
 
 また、たとえば天気予報が、今日は衛星を利用して予報を出し、次の日は下駄を投げて予報を出し、そのまた次は通りがかりのおじさんに聞いて予報を出し、そしてその次はコンピューターを駆使して予報を出し・・・みたいなことが裏でランダムにやられていたとしたらたまったものではありません。予報の当たり外れの責任論はおいておいて(下駄のほうが確率よかったりして、大笑)、見たタイミングで信憑性が左右されてはたまったものではないという話です。
 
 ということで、いい悪いは別にして(上記のごとくメリットデメリットあり)、Yahoo!知恵袋に私が思うネットの典型を見たという話です。ここに、悪意や、誹謗中傷が加わると、マスコミ派の格好のネタになるのでしょうが、それはまた別問題であることを付け加えておきます。

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2009/04/07

芸能人肺結核報道

 ハリセンボンの箕輪はるかさんが、肺結核で入院だそうですね。
 ぜひとも療養につとめて、早期に復帰してほしいと願っております。

 ただ、患者が売れっ子の芸能人ということで、各方面、対応の大変さは並みのものではないと思います。私も職業柄やぶ医者をやっていますから、その大変さを考えると顔面蒼白です。

 対応の大変さとは何のことかといえば、結核患者が出た場合、接触者を洗い出す必要があるわけです。ところが、患者が芸能人で、各地で番組やらライブやらやっていたとすると、接触者数は計り知れません。

 医療機関でも、結核患者が出たとなれば、患者家族、職場・友達などはもちろん、院内の医療従事者も、ほんの少し接触したかもしれないというだけで、レントゲン等の検査を受けることになると思います(そのときの状況によりけりですが)。たとえば、その患者さんと直接会っていなくても、そのとき外来にいたとか、外来に出入りしたという理由でも接触者リストにはいる可能性があります。もちろん入院中の患者さんから結核菌が検出されたとなったらさらに大変なことになります。

 今朝、フジテレビの小倉さんの番組をちょっとだけ見てから出勤したのですが(最後まで見てないのでどうなったのかわかりませんが)、最初にこの肺結核のことが取り上げられていました。その中で、小倉さんが、
 

「現在治るようになってきている病気であるのに、本人の実名公開や、パニックのような報道をしていいのか」

 的な発言がありましたが、残念ながらまったくの認識不足としか言いようがありません。本人と事務所の考え方もあるかとは思いますが、私は実名公開したことは、最悪の事態(結核の大発生)を考えると英断であり、逆に当然かなあとも思えます。

 また東京都に届出があったとき、担当の都の職員は顔面蒼白になったに違いありません。何しろ接触者が尋常な数ではないのですから。だからこそ、電話相談を受け付けている現在の対応も、当たり前というか、それしかしょうがないと思われます。間違っても、パニックの助長とは思えません。

 まあ、新聞の見出し一面にば~んと載せる行為が、いいかどうかはなんとも言えません。上記感染拡大の危険性を考えての報道ならともかく、そんなことはまったく考えてはいないでしょうから。それはただのパニックへのあおりに過ぎないかもしれません。

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2009/04/02

エイプリルフール

 4月1日が過ぎてしまったので、話題としてはどうかと思いますが、エイプリルフールについての疑問です。

 エイプリルフールは「うそをついてもいい日」とされていますが、それがうそだったらどうしよう・・・。

 というか、うそだったらじゃなくてうそですよね。

 うむ?いや、そのうそうそですか?、それともエイプリルフール自体がうそというのがうそですか???。

 ・・・・、話をまとめます。彰の介の話は「うそだらけ」、それが真実です。もちろんうそですが。

 正直ネタがないのがうそっぽい真実です。

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