あるマナーに関する本を読んでいて、疑問に思うことがありました。マナーというものは、基本的に普遍的でなければならないと思うわけですが、いろんなところで「最近ではこの方式でも許される」なんて書いてあるわけです。何が疑問かといえば、一体全体誰が新しいマナー?やり方?を許しているかという問題です。一般市民が許しているなら、「正しいマナー」なるものは存在しないことになりますし、「日本マナー標準化協会(仮名)」なるものでもあるんですか?。
ということで、マナーは私のような屁理屈屋の格好の餌食になることに気づいてしまったため、今後いろいろと記事にするかもしれません。というか、正しいマナーなるものをいかにもそれらしく語っている方々に対する屁理屈なのですが・・・。
ところで、その昔、妻が病気で入院後、退院したときに、お見舞いをもらった方々にお返しをしなければならないということになりました。しかし、お恥ずかしながら、そんなお返しのマナーを、私は全く知りませんでした。妻や身内から、或いは自分で調べ、お返しは「快気祝い」ということ、ただし妻の場合は全快ではなく通院が必要なため「快気内祝い」とするべきこと、お返しの品は、病気が消える、或いは流れるを連想させる、食べ物や洗剤類がいいことと知り、そのような形でお返しをしました。
そんなことから1年以上がたち、たまたま読んだのが前段のマナーに関する本です。この本の「快気祝い」と「快気内祝い」の違いに関する記述が、上記と異なる内容であったため、あれっと思ったわけです。ということで、このお見舞いのお返しをする場合、のしの表書きをどうすべきなのか、いろいろと調べてみました。すると、これがまた、(ネットで調べただけですが)、まあ、いろいろな”説”があることがわかりました。全くこのマナー?に関し、普遍化はされていないようです。ちなみに、Yahoo!知恵袋も見てみましたが、まあ、質問ごとに答えが違うありさまで、全く信頼できません。一応、このお返しに関して、共通した見解としては、「水引は結びきりにすること」「食べ物や調味料、石鹸や洗剤など後に残らないものがいいこと」「額はお見舞いの1/2から1/3程度」ということでした。
ちなみに、(ネットの)辞書で「快気祝い」を調べてみると、「病気の全快を祝うこと、病中に見舞ってくれた人に贈り物等をしてお礼の気持ちを表すこと」となっています。「快気内祝い」は掲載されていません。「内祝い」は、「近親者だけでする祝い、自分の家の祝いの記念に、親しい人に贈り物をすること、あるいはその品」となっています。それを踏まえ、私が調べた限りの「快気祝いと快気内祝いの違い」に関する数々の「お説」を披露します。お説の内容には私の考察も含まれるため、私が誤って理解している可能性があります。また、細かいことははぶきましたので、ご了承ください。
説1、調べてみて最も多い説ですが、上記私が聞いた内容通り、全快の場合は「快気祝い」、通院が必要な場合は「快気内祝い」とする説。これは「内祝い」という言葉にとりあえずのお返しという意味があるという解釈で、全快してないけどとりあえず・・・ということから、全快していなければ「快気内祝い」とするという考え方のようです。
説2、内祝いだろうがなんだろうが、「快気」=「全快」とする説。すなわち、「快気祝い」も「快気内祝い」も、どちらでも同じ(どちらを使ってもいい)という考え方です。ただし、あくまで全快の場合であって、通院が必要な場合は「退院祝い」さらに病気が長引くことが考えられる場合は「お見舞御礼」とする説です。
説3、説2同様、「快気祝い」「快気内祝い」のどちらも同じとする説ですが、全快の場合は「全快祝い」とし、通院が必要な場合は「快気祝い」か「快気内祝い」のどちらかにするという説。
説4、「内祝い」という言葉は、お返しの品という意味があり、お返しの品物を送る以上、その品物につける、のしは「快気内祝い」であるとする説。
説5、そもそも快気祝いとは他人が病気をした方にするお祝いであって、病気をした人からお返しをする場合は、「快気内祝い」とするべきとする説。
ざっと5説あげさせてもらいましたが、当然ほかにもいろいろな考え方や、やり方があるに違いありません。ちなみに、三越で買うとなぜか「快気祝」の一本のようです(たぶん・・)。上記が、地域差なのか、時代差なのか全くわかりません。同じ地方と思われるギフト業者の記載内容にも違いがありましたから、地域差だけとも言えないようです。これほどの違いがあるにもかかわらず、これを「マナー」として良いものかどうかは正直疑問です。
私はどう考えるかですが・・・、まず第一に、説5ではありませんが、全快した祝いを、本人がするのは本来おかしな話で、身内や近親者がお祝いするのが普通でしょう。したがって、たとえ全快であっても「快気祝い」という言葉はどうも変な気がします。ただ、だからといって、「快気内祝い」がいいかというと、快気という言葉からは、やはり全快というイメージがありますから、全快していない人が「快気内祝い」とするのもどもうしっくりきません。ですから、私の説は、全快者が「快気内祝い」、全快していないひとは「お見舞御礼」とするのがいいかなあとも思いますが、現代の常識、マナーなるものからは「快気内祝い」「お見舞御礼」では思ったより病体が悪いととられる可能性もあり、この説を実行されないことを希望いたします(笑)。当たり前か・・・。
もし私がマナー標準化協会(仮名)の会長であれば(笑)、現代日本語として、もっとも意味がわかりやすいのは「お見舞御礼」であり、全快かどうかは、あいさつ文を同封することで表すというのが良いのではないかと考え、普及に努めますね。全快かどうかを、わかりにくい暗号のような言葉で表そうとするから、上記のような混乱につながると思うからです。
皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか。まあ、どうでもいいといえばどうでもいいことです・・・けど。
ということで、意外にマナーには普遍性がないことを書かせていただきました。地域、時代で常識は変わりますから当たり前かもしれませんが。となると、したり顔でマナーを解説するやからは、一体何を根拠にマナーといってるのやら、実に疑問ですね。
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