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2009/06/25

東国原騒動とみっともない鳩兄民主

 世間では「東国原騒動」が話題になっていますね。
 
 自民党として、次期衆議院選挙に出馬する条件として、「総裁候補に」??って言ったようですが、意味がよくわかりません。「総裁にしろ」ならわかりやすいのですが、「総裁候補」ってなんですか?。総裁選に出たいのであれば、出ればいいだけだと思うのですが。「総裁候補として衆議院選挙を戦う」??ってそんな肩書きありですか?。言われたほうの古賀さんも、どうぞご自由に出馬してくださいと言えばよかったんじゃないですかね。

 まあ、東国原さんが、国政に色気たっぷりという雰囲気は伝わってきました。それくらい興味があるのであれば、最初から知事にならなければよかったのにと思うくらいです。宮崎県民は、あまり望んでいないことような気がしますが、どうなんでしょう。

 それにしても、自民党内の麻生叩き、および東国原知事への衆議員選挙出馬要請に対する、民主党代表、はとっぽっぽ兄のコメントはいただけません。
 民主党にとって、麻生総理が衆議員選挙前に総理総裁をやめてしまう(あるいはやめさせられる?)ことは、極めてマイナス要素でしょう。また、大人気の東国原知事が、自民党から出馬するのであれば、それも当然民主党にとっては痛手となるでしょう。

 しかしだからと言って、 

「次期衆議員選挙は、麻生総理で戦われるべきだ」
「東国原知事は県政を投げ出されるのか」

などの発言は、実にみっともないと思いませんか。相手の自民党の総裁が誰であろうが、民主党がとやかく言うことではないでしょう。誰に代わろうが、正々堂々戦うしかないわけですし、総裁が変わったくらいで民主党が負けるのであれば、民主党に力がないからに他なりません。東国原知事についても、出馬されると痛いだけであって、「県政云々・・」がいいわけであるのは明らかです。当然民主党から出ると言い出したら、喜んで公認するでしょうし・・・。まあ、民主党でも、「次期代表候補」を肩書きにすると言い出すかもしれませんが。

 私は、そんな代表の発言から、民主党への期待度がどんどん低下しています。党内に小沢爆弾を抱えたままで、また、あまり実行可能ではない政策の数々から、政権をとっても、自民党と五十歩百歩かなあという評価です。うむむ、次期総選挙は、どうしよう・・・。

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2009/06/23

示談成立で不起訴?

 この記事ですが・・・、「京都教育大生の集団準強姦、逮捕の6人釈放…示談成立で」・・・、なんとなく釈然としません。抜粋しますと、

京都教育大の男子学生6人が集団準強姦容疑で逮捕された事件で、京都地検は22日、全員を処分保留で釈放した。被害者の女子大生との間で、示談が成立し、女子大生が告訴を取り下げた。集団準強姦罪は告訴が必要な親告罪ではないが、地検は「処罰感情が緩んでおり、起訴する必要がない」と判断した。6人は、不起訴(起訴猶予)となる見通し。

 以前に、集団の場合は、親告罪ではないという話を聞いたことがあったため、おかしいなあと思ったのですが、その通りの説明がしてあります。変だと思うのは、処罰感情が緩んでいる??って、当然被害者側の話なのでしょうが、被害者の処罰感情が緩めば、世の犯罪は不起訴になるということですか・・・??。現実どうなっているのかわかりませんが、例えば、金庫を盗んだ犯人が、被害者に金庫を返し、被害者が「戻ってきたからいいや」と思えば、不起訴ですか?。人殺しをしても、家族とお金などで示談??が成立し、被害者家族が、「まあいいか」と思えば不起訴ですか??、よくわかりませんね。
 
 まあ、裁判などで、被害者がいやな思いをするということで、被害者配慮から不起訴としたとしても、記事中の地検次席検事なる方の次の発言は全く理解できません。

西浦久子・地検次席検事は「示談の動きがなければ公判請求する方針だったので、強制捜査に問題はなかった。むしろ捜査で事実を解明したことで、示談という双方に良い形で終結できたと思う」と話した。

 被害者にとっていい方向かもしれませんが、加害者にいい方向???ってどういう意味か全くわかりません。単純に、不起訴でよかったねという意味ですか??。罪はどこへ行ったのだろう・・・。

 すべてをひっくるめて、結果的に、この事件自体、事件といえるほどのことではなかった??という意味であるとするならば、警察の捜査にいきすぎがあったことと、マスコミの騒ぎすぎが問題ということになりますね。記事中、ドサクサ紛れに検察が言い訳めいたことを言っており、少し怪しい気がしますが、ここまで明るみになってしまってからではなんともなりません。
 まあ、いろいろな意味で、こういうのを、「ちゃんちゃん」というのでしょう。

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2009/06/18

快気祝いと快気内祝い

 あるマナーに関する本を読んでいて、疑問に思うことがありました。マナーというものは、基本的に普遍的でなければならないと思うわけですが、いろんなところで「最近ではこの方式でも許される」なんて書いてあるわけです。何が疑問かといえば、一体全体誰が新しいマナー?やり方?を許しているかという問題です。一般市民が許しているなら、「正しいマナー」なるものは存在しないことになりますし、「日本マナー標準化協会(仮名)」なるものでもあるんですか?。
 
 ということで、マナーは私のような屁理屈屋の格好の餌食になることに気づいてしまったため、今後いろいろと記事にするかもしれません。というか、正しいマナーなるものをいかにもそれらしく語っている方々に対する屁理屈なのですが・・・。

 ところで、その昔、妻が病気で入院後、退院したときに、お見舞いをもらった方々にお返しをしなければならないということになりました。しかし、お恥ずかしながら、そんなお返しのマナーを、私は全く知りませんでした。妻や身内から、或いは自分で調べ、お返しは「快気祝い」ということ、ただし妻の場合は全快ではなく通院が必要なため「快気内祝い」とするべきこと、お返しの品は、病気が消える、或いは流れるを連想させる、食べ物や洗剤類がいいことと知り、そのような形でお返しをしました。

 そんなことから1年以上がたち、たまたま読んだのが前段のマナーに関する本です。この本の「快気祝い」と「快気内祝い」の違いに関する記述が、上記と異なる内容であったため、あれっと思ったわけです。ということで、このお見舞いのお返しをする場合、のしの表書きをどうすべきなのか、いろいろと調べてみました。すると、これがまた、(ネットで調べただけですが)、まあ、いろいろな”説”があることがわかりました。全くこのマナー?に関し、普遍化はされていないようです。ちなみに、Yahoo!知恵袋も見てみましたが、まあ、質問ごとに答えが違うありさまで、全く信頼できません。一応、このお返しに関して、共通した見解としては、「水引は結びきりにすること」「食べ物や調味料、石鹸や洗剤など後に残らないものがいいこと」「額はお見舞いの1/2から1/3程度」ということでした。

 ちなみに、(ネットの)辞書で「快気祝い」を調べてみると、「病気の全快を祝うこと、病中に見舞ってくれた人に贈り物等をしてお礼の気持ちを表すこと」となっています。「快気内祝い」は掲載されていません。「内祝い」は、「近親者だけでする祝い、自分の家の祝いの記念に、親しい人に贈り物をすること、あるいはその品」となっています。それを踏まえ、私が調べた限りの「快気祝いと快気内祝いの違い」に関する数々の「お説」を披露します。お説の内容には私の考察も含まれるため、私が誤って理解している可能性があります。また、細かいことははぶきましたので、ご了承ください。

 説1、調べてみて最も多い説ですが、上記私が聞いた内容通り、全快の場合は「快気祝い」、通院が必要な場合は「快気内祝い」とする説。これは「内祝い」という言葉にとりあえずのお返しという意味があるという解釈で、全快してないけどとりあえず・・・ということから、全快していなければ「快気内祝い」とするという考え方のようです。

 説2、内祝いだろうがなんだろうが、「快気」=「全快」とする説。すなわち、「快気祝い」も「快気内祝い」も、どちらでも同じ(どちらを使ってもいい)という考え方です。ただし、あくまで全快の場合であって、通院が必要な場合は「退院祝い」さらに病気が長引くことが考えられる場合は「お見舞御礼」とする説です。

 説3、説2同様、「快気祝い」「快気内祝い」のどちらも同じとする説ですが、全快の場合は「全快祝い」とし、通院が必要な場合は「快気祝い」か「快気内祝い」のどちらかにするという説。

 説4、「内祝い」という言葉は、お返しの品という意味があり、お返しの品物を送る以上、その品物につける、のしは「快気内祝い」であるとする説。

 説5、そもそも快気祝いとは他人が病気をした方にするお祝いであって、病気をした人からお返しをする場合は、「快気内祝い」とするべきとする説。

 ざっと5説あげさせてもらいましたが、当然ほかにもいろいろな考え方や、やり方があるに違いありません。ちなみに、三越で買うとなぜか「快気祝」の一本のようです(たぶん・・)。上記が、地域差なのか、時代差なのか全くわかりません。同じ地方と思われるギフト業者の記載内容にも違いがありましたから、地域差だけとも言えないようです。これほどの違いがあるにもかかわらず、これを「マナー」として良いものかどうかは正直疑問です。

 私はどう考えるかですが・・・、まず第一に、説5ではありませんが、全快した祝いを、本人がするのは本来おかしな話で、身内や近親者がお祝いするのが普通でしょう。したがって、たとえ全快であっても「快気祝い」という言葉はどうも変な気がします。ただ、だからといって、「快気内祝い」がいいかというと、快気という言葉からは、やはり全快というイメージがありますから、全快していない人が「快気内祝い」とするのもどもうしっくりきません。ですから、私の説は、全快者が「快気内祝い」、全快していないひとは「お見舞御礼」とするのがいいかなあとも思いますが、現代の常識、マナーなるものからは「快気内祝い」「お見舞御礼」では思ったより病体が悪いととられる可能性もあり、この説を実行されないことを希望いたします(笑)。当たり前か・・・。
 
 もし私がマナー標準化協会(仮名)の会長であれば(笑)、現代日本語として、もっとも意味がわかりやすいのは「お見舞御礼」であり、全快かどうかは、あいさつ文を同封することで表すというのが良いのではないかと考え、普及に努めますね。全快かどうかを、わかりにくい暗号のような言葉で表そうとするから、上記のような混乱につながると思うからです。
 皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか。まあ、どうでもいいといえばどうでもいいことです・・・けど。

 ということで、意外にマナーには普遍性がないことを書かせていただきました。地域、時代で常識は変わりますから当たり前かもしれませんが。となると、したり顔でマナーを解説するやからは、一体何を根拠にマナーといってるのやら、実に疑問ですね。

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2009/06/11

霊感商法とエコ商法

 霊感商法で印鑑を売っていた業者が逮捕されるという事件があったようですが、この霊感商法というのは非常に厄介なものだと感じます。どこまでが宗教的で、どこからが犯罪なのか、その線引きは非常に難しいような気がするからです。もちろん、非常に難しいということで、霊感商法を擁護するつもりは毛頭ありませんので、最初に断っておきます。

 例えば、印鑑というものを考えてみると、ただの印としての役割ではなく、縁起物?というのでしょうか、商売繁盛を祈念して、或いは個人の幸福を祈って、印の材質やら何やらを考えて購入される方も多いと思います。上記書いたように、だからといって、「これを買わないと不幸になる」と脅し、高額なものを売りつける行為が良いわけがありませんが、しかし、「あなたの生まれ年であれば、象牙が一番良いと思います」位のことを言う業者はいるでしょう。象牙が一番幸福を呼ぶと言われていたとしても、その科学的根拠がないのはもちろん、この売り文句にはたぶんに宗教的なニュアンスが含まれ、不幸になるという脅しと内容は大きく変わりません。要するに程度問題であって、線引きが難しいと思うのはこのあたりのことが関係しています。

 以前にも書いたのですが、日本の古来からの宗教にも程度の軽い霊感商法はいくらでもあります。
 戒名なんていうのはその代表でしょう。「生前の彼の偉大な功績を考えますと院号を・・・」って、私は、はっきりこの場で言わせていただきますが、これは霊感商法です!(断言)。大体、親族が勢ぞろいしているところで、「院号を・・」なんて言われて、「ああ、いりません」ってなかなか言えるものではありませんよ。親戚の長老クラスが「そうですね・・」なんて坊さんに相槌を打ったら一巻の終わりです。しかも、常識的な5千円、1万円というレベルの金額ではないのですから・・・。これは霊感and集団催眠商法と言ったほうが良いでしょうか。

 細かいことを言えば、神社の各種お守りや、合格祈願などの絵馬などはどうなんでしょう。その効果の科学的根拠はもちろんありません。神社批判は、以前、初詣CMに異議ありという記事に書いたことがあります。神社側がお守りや絵馬の効能について検証を行うことはないでしょうから、根拠のないものを宗教的に売っている時点で霊感商法です。
 まあ、犯罪かどうかはただの程度問題(線引きの問題)で中身はそれほど変わらないと思っているわけです。 

 そして、昨今の「エコ商法」も霊感商法の親戚みたいなものでしょう。エコ商法に限らず、電化製品でいえば一昔前の「ファジー商法」ちょっと前の「マイナスイオン商法」もまさに霊感商法みたいなものです。アサヒのスーパードライが売れ出した頃には、ちまたに「ドライ商法」?(やたらにドライと名のつくわけのわからない商品があふれた・・・)ました。まあ、昨今の「産地偽装」こそ犯罪とされていますが、これらの商法と根本は変わりません。

 「電気代節約」「CO2削減」という言葉と、「あなたは不幸になりますよ・・・」という脅しと、騙している点でなんら変わるものではありません。もちろん、上っ面の「電気代節約」「CO2削減」という言葉にうそはないのでしょうが、実質、購買意欲をあおり、買い替えを促す時点で「エコ」ではありませんし、電気代の差額の回収や実質的CO2の回収にいったい何十年の月日が必要か、全く説明してないところは、騙しですね。まさに霊感商法です。

 ということで、かきなぐってしまったので、そのうち関連記事を書きたいと思っています。あまり説明しすぎて、どつぼにはまるのも困りますか・・・。

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2009/06/09

グリーンピースの謎

 お恥ずかしい話ですが、私はグリーンピースが何豆なのかを知りませんでした。
 ちなみにここでお話しするグリーンピースとは、環境保護団体の方ではなく、食べる豆のグリーンピースです。共通するのは、あまり好きではない・・・というところでしょうか。

 少し前になりますが、うちの嫁が、さや付きのグリーンピースを買ってきて、煎って食べさせてくれました。基本的にグリーンピースといえば、あまり好きではなく、シュウマイの上にのっているグリーンピースも取り除くぐらいだったのですが、この嫁がつくってくれたグリーンピースは非常においしいものでした。全くあの豆臭さがないんですね。嫁曰く、さや付きで、しかも新鮮でないとダメだそうで、豆を取り出した状態、要するに豆だけにして売っているものでは残念ながら臭いらしいのです。
 
 この大変癖のあるグリーンピース、好き嫌いがはっきり分かれる代表的な食べ物ですが、以前から漠然と疑問に思うことがありました。それは、グリーンピースのことを日本語で「○○豆」と呼ばずに、なぜ、横文字でグリーンピースと言うのだろうというものです。おそらく日本名があるはずなのに、グリーンピースはグリーンピースですよね。そこには何か秘密があるのではないかと考えたわけです。

 といって、図書館に行って調べるわけでもなく、手っ取り早く、Wikipediaでグリーンピースを調べてみたのですが・・・、いやはや、私は何も知らないことに気づいてしまいました。グリーンピースって、要するにエンドウ豆だったのですね・・・、全く知りませんでした。私にとって「エンドウ豆」とは、大洋ホエールズの遠藤投手のことであり(笑)、ナゴヤ球場で観戦中、彼が投げると「エンドウ豆!エンドウ豆!」とよくヤジを飛ばしたものです。まあ、決まって我がドラゴンズが押さえられるので、悔しい思い出しかありませんが・・・。

 このエンドウ豆の若いうち、まだ、さやが柔らかいうちに豆をさやごと食べるのが「さやエンドウ」、まだ熟していない未熟な種子が「グリーンピース」、成熟した豆を甘く調理したものが「ウグイス豆」だそうですね。詳しくは書いてありませんでしたが、おそらく今は、さやエンドウを採るための、或はグリーンピースを採るための、それぞれ適した品種というものがあるのでしょう。スナップエンドウもエンドウ豆の改良品種なんでしょうね。

 それにしても、さやエンドウならいくらでも食べられるのですが、やっぱりグリーンピースはおいしいものに当たった覚えがありません。上記、シュウマイのトッピングしかり、ミックスベジタブルしかり、豆ご飯しかり・・・。グリーンピースを「好き嫌いがはっきり分かれる」と書いたのですが、半数の方はおいしいですか?。まあ、食べられないわけではありませんが、好きこのんでは食べませんね。だから、新鮮なグリーンピースを料理してもらって、食べたときのおいしさには、正直たまげたというお話しです。

 ということで、結局の所、このエンドウ豆の未熟な種子であるグリーンピースをなぜ横文字でグリーンピースと呼ぶのかはわかりませんでした。単純に「みどり豆」ではダメなんですかね。「におい豆」とか「くさ豆」でも良さそうですが・・・。何となく、豆じゃなくて、カメみたいですが・・・。
 もう完全な季節外れになってしまいましたが、あの新鮮なグリーンピースだったら、来年も食べてみたいと思っている、彰の介でした。

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2009/06/04

ツバメの巣の今昔

 ツバメの巣といって、中華の高級食材を思い出しているあなた、不況の折、そちらの話ではありません。春先にわたってくる、日本のツバメの、巣の話です。当然ですが、日本のツバメの巣は、泥でできているので、中華の食材にはなりません。もちろん、和食料理店でも出されません。

 日本人にとって、軒先などにツバメが巣をつくり子育てすることは、縁起がいいもの(子孫繁栄、商売繁盛でしょうか)とされているようで、古来より大切にされてきたようです。私の実家でも、新しい家を立てる前の、古い家に住んでいた頃は、毎年のようにやってきて子育てしていました。そのため、私にとってツバメは非常に身近な存在です。

 昔の私の家の場合、玄関を入った土間の天井に巣を作っていました。したがって、ツバメは玄関を入らないと巣にたどり着くことができないのです。基本的に玄関は閉めますよね。我が家の場合、昔の家ですから引き戸なわけですが、ツバメの来る季節は必ず玄関を10cmくらい開けっ放しにしていたのです。たった10cmですが、猛スピードでツバメは玄関を入って、巣に飛んでいきます。そして、夜になると、親ツバメがいることを確認して玄関を閉め、朝早くおばあちゃんが玄関を開けた時、親ツバメがえさ探しに出かけるというサイクルが成り立っていました(夜、親ツバメがいないこともあったかも・・・)。

 まあ、なんと言ってもツバメのかわいいところと言えば、えさを持って飛んできた親ツバメに、兄弟そろって大きな口をあけ、ピーチクパーチクいいながらえさをねだるところでしょう。ツバメのえさは飛んでいる昆虫のようで、食べ損ねた大きな蝶やトンボがよく下に落ちていました。夜いたずらで、懐中電灯の光をツバメの巣に向けると、驚くのか、何かと勘違いするのか、いっせいにピーチクパーチクするのが楽しくて、よくからかっていました。
 残念ながら人がすまなくなったその家の巣に、ツバメが戻ってくることはありませんでしたが、新しい家に巣をかけてくれないものかと何度も思ったものです。

 ツバメという鳥を考えると、他の鳥と比べ非常に不思議なことは、私の家の例でも明らかなように、人間の生活に密着していると言うことです。基本的に人間の家か人工の建物以外には巣を作りませんね。しかも、目立たない家の裏側や人通りの少ないところに巣を作るというのもあまり聞いたことがありません。わざわざ玄関付近に、有名どころでは駅など人通りの激しいところで子育てしますよね。実に不思議な限りです。
 それだけ人間を信用しているということなのでしょうが、残念ながら昨今はそういうわけにはいかないようです。

 先日、近くのスーパーにツバメの巣が作られたようなのですが、店の人が撤去してしまったようです。そのスーパーの「お客様のご意見」なる投書を読んでいたところ、「なぜツバメの巣を壊してしまったのか!」と言う怒りの意見が張り出してあり、「食品を扱う以上衛生面の問題がありやむを得ず撤去しました」なる返事が書かれていました。
 私の場合、上記の通りツバメ大好きで、このお客様と同じ意見なわけですが、良いか悪いかは別にして、昨今、ツバメを衛生上汚いものとして(糞が降ってくる)考える人も決して少なくないようです。つまり、このスーパーで、このツバメの巣をそのままにしておいたらおいたで、「食品を売る店で、ツバメを野放しにしているのは衛生上問題ないのか!」なる投書もされたであろうことは想像に難くないという話です。

 実を言うと、このところ私が見ている近所のツバメの巣で、まともに雛が巣立っているのをあまり見ないのです。原因その1はカラスですが(襲っているのを目撃しました)、その2は、作りかけのツバメの巣がいつの間にか撤去されていることが非常に多いように思われるのです。
 
 撤去といっても、ツバメ嫌いではなさそうな例もあります。ある家では、駐車場の屋根のど真ん中に巣を作られ撤去(そのままだと、車の中央部屋根にツバメの糞が・・・)。端っこに巣箱をかけて誘導したようですが、残念ながら親ツバメは戻ってこず・・・。ある家では、軒先の巣を撤去。ところがこのツバメは執念深く、全く同じ場所にまた巣をかけました。ご主人も観念して巣の下に糞受けの板を取り付けますが、この作業が影響してか親ツバメ戻ってこず。
 それなら私も理解したいのですが、私にとって残念ながら、「汚い、不衛生」が理由と思われる撤去も何件か認められました。残念ながら今年は、近所中のツバメの巣が、撤去か親ツバメの放棄で壊滅してしまいました。ある日いきなり巣がないのですから、ツバメ派の私にとってはがっかりなのです。

 ツバメの巣が汚いかそれとも汚くないかと言えば、糞が落ちてきますから汚いでしょう。昔の我が家でも、新聞紙や広告の紙を下にひいて、毎日取り替えていたことを思い出します。不衛生かどうかと言えば、それは野生動物ですし、糞のこともありますし、衛生的とは言い難いでしょう。ただ、個人的に私の経験を言うと、ツバメが原因で何か病気にかかった覚えはありません。日本中探せば重大な感染症にかかった人がいるかもしれませんが、昔から人々の近くにいて病気云々ということが問題になったのでしょうか。これは、大丈夫だ、衛生上問題ない、と言っているわけではなく、全く知識がないのでわからないという話です。

 あと、残念ながら泥やら、糞やら、昆虫やらが空から降ってくることを含め、生理的に野鳥を受け付けないという人もいるでしょう。かわいいというだけなら誰でもできますが、実際家の軒先で毎日糞爆弾をお見舞いされれば、いやになる方もいるでしょう。おこがましくも私の立場で、ツバメのために我慢しろとはなかなか言えません。巣の撤去を残念とは思っていますが、批判まではできないかなあ・・・。

 ということで、また我が家にツバメが戻ってくることを楽しみにしている私です。今のところ近所のツバメは全滅で、雛を見ることができないのですが、どこかで元気にピーチクパーチクやってる兄弟が、来年」、この近所に戻ってきてくれることを願うばかりです。

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