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2009/09/03

二大政党制に埋もれる政治家

 テレビに出ている政治家の発言を聞いていると、不思議に思うことがあります。それは、その政治家の発言が、個人的な発言なのか、それとも政党を代表しての発言なのか、どちらかはっきりしないまま、無責任に発言していることです。

 無責任に発言している人もいますが、自分の意見と、党の意見が違っていて、苦しそうに発言している人もいます。無責任ではありませんが、つらそうですね。民主党の岡田さんなんかは、苦しそうなのが伝わってきて、正直かわいそうです。民主党なんかは、イデオロギー的に右から左まで、多数のバリエーションをそろえていますから、党の方針と全く違ったイデオロギーを持った方々は、どう考えているのでしょうか。苦しそうに、自分を捨てて党の方針通りに発言するのか、のらりくらりかわしながらごまかすのか、いずれにしても可哀相な現場ではあります。

 世の中が、二大政党制になりつつあるわけですが、二大政党制の一つの問題点が、この政治家と政党の関係ということになりましょうか。今回の総選挙のように、政権交代が問題となれば、有権者は、個々の政治家の考え方や意見や人柄を判断するのではなく、どの政党に属しているのかということだけが問題となります。そういう意味では、ここ二回の衆議院総選挙は、政治家ではなく政党を選ぶ選挙であったわけで、すべて比例代表でもよかったかもしれません。
 そんなことを考えると、今の世の中において、政治家個人の存在とは、どうあるべきなのか?、別に私が悩むことではありませんが、政治家の皆さんはどう考えているのか知りたいですね。

 はっきり言ってしまうと、自民党と民主党のことを二大政党と呼ぶより、二大派閥と言ったほうが良いのではないかと考えたりもします。二つの派閥は、それぞれ、ただの仲良し集団であり、単に政権交代のために二つあるだけという感じでしょうか。そこに、個々の政治家がそれぞれの色を出せる場所というのは、それほど多くは無いように思います。二大政党ということは、考え方は多くてもざっくり二つしかないのですから、個々の考え方が政党の方針に埋もれてしまうのは当然かもしれません。
 
 前回の郵政選挙後あたりでしょうか、四大政党論という駄文を書いたことがありますが、基本的に今も私の考える理想の政治体系は、イデオロギーと保守革新で区切った、四大政党なんですね(最低三大政党)。二大政党のような、仲良し集団的では、個人政治家の色がうずもれてしまって、何をどう考えているのかまったくわからなくなってしまうわけですが、これが四集団に分割されれば、その政治家の立ち位置がはっきりし、しかも三つ巴や四つ巴(そんな言葉無いか・・・)の小選挙区の争いになれば、所属政党だけでは勝ち抜けません。やはり政治家個人の色がでるかなあと期待できるわけです。
 
 民主党も300議席もとってしまうと、下々の新人議員などは発言もできず、個人の掲げる政策実行もできず、一握りの執行部が決めた方針を、自分の方針として受け止めなければならないのでしょうね。全くもって無駄というのか、可哀想というのか・・・。

 私の座右の銘は、「鶏口牛後」、勝ち組といえども、大集団の尻尾にはなりたくないですね。マイナー路線の目立ちたがり屋とでも言えばいいのでしょうか。

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