無駄論的柳川立花藩
先週、やっと夏休みが取れたため、夫婦で九州へ行ってきました。昨年が、鹿児島から熊本、今年は、熊本から柳川を通って福岡という旅程となりました。
基本的に、我々夫婦の行くところ、ほとんどが”雨”なわけですが(雨男・雨女)、今年は、晴男に晴子で大変暑い思いをしました。今後何か天変地異が起きないことを祈るばかりです。
私は、戦国時代マニアのつもりですが、あまり九州の戦国時代については詳しくありません。それは、私が特に戦国時代にはまったきっかけとなる、「信長の野望、戦国群雄伝」に九州地方がなかったからだと感じています(笑)。もう一つ詳しくない理由が、九州の戦国武将の名前の漢字がなかなか読めないことにあります。大友宗麟は読めますが、大友義鎮は読めません。よしちん??。息子の義統も読めません。よしとう??。高橋鎮種って何者?ちんたね??。戸次鑑連なんて絶対読めません。とつぎかんれん??。だれそれ??。最近の信長の野望を島津でやったときは、全く漢字が読めないので、適当にニックネームのように「よしちん」とか、「かんれん」とか呼びながらやっていましたが、おかげでまったく理解が深まりませんでした・・・。
実は、今回、柳川での舟遊びが旅程に組まれたため、この柳川について下調べをしていました。柳川は、江戸時代、立花藩であったとのことで、藩祖立花宗茂について調べだしたら、戦国マニアの本能に火がついて、よしちんやら、、かんれんやら、ちんたねのことを調べる羽目になりました。まあ、マニアですから、楽しいんですけどね。
調べるうちにわかったことは、鎮は「しげ」、鑑は「あき」、統は「むね」と読むらしいことです。この3つの字が読めると、結構慣れてきて、九州のいろいろな武将の名前を読むことができるようになりました。宗麟の義鎮は「よししげ」、息子義統は「よしむね」、戸次は「べっき」(戸次川は「へつぎがわ」と読むらしいのですが・・)って覚えるしかありませんが、鑑連は「あきつら」、鎮種は「しげたね」・・・、こういうのが読めると、なんとなくマニアっぽくて良いですね。ちなみに高橋鎮種の父は吉弘鑑理・・・ってやっぱり読めないんですが、「あき」は読めるようになりましたから、理を「ただ」と読むと覚えればいいだけですね。「よしひろあきただ」・・・まあ、名前か苗字かよくわからない名前です。高橋鎮種の初名が、吉弘鎮理とWikipediaに書いてありますが、おそらく、「ちんり」とは読まず(笑)、「しげただ」と読むのでしょう。
そういう意味では、立花宗茂というのは、「むねしげ」と実に読みやすいのですが、残念ながらこれは最後の名前らしく、若い頃の呼び名のなかには、「統虎」やら「鎮虎」やら書いてありますから、これだと読めませんね。ふりがながなければ「とうとら」に「ちんとら」です。父の「ちんたね」は、「高橋紹運」の呼び名のほうが有名ですね。養父の「かんれん」も、「立花道雪」のほうが断然有名です。ともに猛将であり、息子の宗茂もそんな環境で鍛え上げられ、鎮西一とも呼ばれる武将に成長したのでしょう。
ただ、私のいい加減な理解では、立花宗茂は関ヶ原の戦いのとき、西軍について大津城攻めをし、改易されたと思っていたのですが、改易後に再び柳川に立花藩が成立したのですね。調べてびっくりですが、関ヶ原の戦いで改易された大名の中で、大名として返り咲いたのは立花宗茂ただ一人のようです。しかも、全くの旧領にです。敵ながら、家康には相当に気に入られていたのでしょう。
まあ、そんなこんなを調べていて、だいぶ九州の戦国にも明るくなりました。旅も下調べがあるかないかで、思いが変わってきますね。マニア的にたいへん有意義な旅になりました。立花を調べすぎて、福岡黒田藩のことをあまり調べられなかったのは残念ですが、まあ、また今度の機会にでも・・・。
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