八ッ場ダム問題は新政権の試金石かも?
新政権になったばかりですが、さっそく、八ツ場ダム建設中止の問題が、マスコミをにぎわせています。
もともと八ツ場ダムの問題は、新政権が発足する前から「住民に反対者はいない」等の報道がされていましたから、これは新政権の試金石的問題になると感じていました。
ダム建設が必要なのか不必要なのか、実質的な答えを私は持ち合わせませんが、まあ、なんと言うのでしょう、報道各社の対応は、私の予想したとおりの方向へ進んだことは間違いありません。
私が予想したとおりと言いながら、その予想を私はどこにも書いていませんので、これを結果論的評論と言うわけですが(笑)、要するに、ダム建設推進派の意見をふんだんに報道して、新政権に突きつけるのだろうなあと感じていたわけです。それは、政権が建設反対だから、報道は建設推進を報道するだろうという、ごく単純な構図で、特に陰謀論でも何でもありません。
私の意見を先に書いてしまいますと、お金が余計にかかろうと、かかるまいと、建設がかなり進んでしまっていようとも、そうでなかろうとも、ダムの建設が必要と判断すれば建設すればいいと思いますし、ダムが必要ないのであれば、やはり中止すべきだと感じます。建設が計画されてから、長い年月がたち、当初の目的がどこかに行ってしまったり、建設費がどんどん増大したり、別の方法が生まれているにもかかわらず、一度決めた計画は元に戻すことができないというのが、旧自民党政権への批判の一つだったわけで、今回の政権交代により、そんな硬直化した決定方法が変更されるのであれば、私はそちらに期待をしたいと感じます。ですから、本当にダム建設が無駄だということであれば、そう新政権が考えているのであれば、中止に踏み切るべきでしょう。残念ながら、建設推進住民の皆さんの「国が一度決めたことだから守るべきことだ」という反論は、上記理由で私は賛成できません。もう一つ屁理屈を言えば、「国交相は、建設の是非を白紙にすべきで、建設中止ありきは問題」なる反論もちょっと理屈に合いません。ならば、住民の皆さんも「方針を白紙にして、建設続行ありきではない」ということになってしまいますが、そうではないでしょう。
ただ問題なのは、住民の皆さんは当事者であり、所詮私は第三者であるということはあります。私の意見の逆を言えば、建設されようと、されまいと、被害者は翻弄され続けた地元住民のみということになりましょうか。その気持ちが私にわかるかと言われると、なんとも答えようがありません。間に挟まれるつらさが容易に想像できますから、私は政治家なんかに絶対なりたくないわけですが、そんなしょうもない私の変わりに、新政権の政治家の皆さんには、それを乗り越えていただけなければならないわけです。それが野党にはけっしてない、与党としての責任と言えるのではないでしょうか。まさに与党としての、責任政党としての試金石と言ったのはこのことです。
ただ、毎度のこととして報道はいただけません。建設反対派はいないとまでされていますが、これは本当でしょうか。過去のダム建設の経緯を知りませんが、反対派はもともといなかったのでしょうか。現在建設に反対している人はいないのでしょうか。また、根本的な問題として、このダムは必要なのでしょうか。我々一般の人間は、ダムの必要性がわからないからその情報を待っているのであって(私だけかもしれませんが・・・)、本当にダム建設が必要であれば、民主党が反対のための反対をしていたというだけのことですし、そんなことのために建設中止するのも許せません。
そういう意味でも、新政権には、国民にもう一度建設中止の理由をはっきり伝える義務があると思いますし、報道も客観的にそれを伝えるべきだと思います。
再度繰り返しますが、結局のところ、建設がされようがされまいが、被害者は翻弄され続けた地元の方々ということになると思います。ただ、それは過去を踏襲しない新政権が悪いという理屈にはならず、別問題だとは思います。これを乗り越えることができるかできないか、どのような過程を踏むのか、建設の有無にかかわらず、新政権の力量が試されていると思います。
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