「国益」と「地方益」と「地方エゴ」
「地方分権」というのは、なんとなくいいことだと漠然と感じているような気がしますが、実際にはどうなのでしょうか。国益に対して、「地方益」なる言葉があるとするならば、地方分権は、その地方益を守る主体となるのでしょうね。国からの無駄な圧力や干渉がなくなる分、地方分権化は、より十分に、柔軟に地方益を守ることができるのでしょうが、地方益を守ることが目的となってしまえば、ただの「地方エゴ」になってしまいます。
実は、以前からこの「地方分権」、あるいは、「地方への税源・財源移譲」というのが話題にのぼるたびに、私が考えていたことと言えば、
「そんなことしたら、余計に無駄な箱物ができたり、道路の掘り返しが繰り返されたりするんじゃないの??」
という疑問でした。もちろん、有効にお金が使われることを望んでいるわけですが、地方というのは、よりその地方の声が強く聞こえてくるわけですから、誰かが「工事しようよ、道つくろうよ!」と叫びだしたら、無視するのは相当に大変でしょう。ましてや、有力者なる人たちが、叫びだしたら、ひとたまりもありません。形の上では、そうやってお金を使うことが「地方益」なのかもしれませんが、他地方の人間から見れば、ただの「地方のための地方エゴ」としか思えませんね。
地方分権とは別問題かとは思うのですが、以前から有力政治家による「地方エゴ」は山ほどあったと思われます。私は岐阜の出身ですが、岐阜と言えば悪名高き、東海道新幹線の「岐阜羽島駅」が地方エゴの代表例と言えましょう(こういう発言は売国奴?売県奴?的ですが・・・)。毎年冬になると、関ヶ原付近の雪のため、運転を見合わせたり、遅れが出たりすることがあり、それを「岐阜羽島駅」のせいにされるわけです。この岐阜羽島駅誘致を成し遂げた政治家は、夫婦そろって銅像となり、岐阜県人にたたえられているわけですが、この岐阜羽島駅を利用しない他県の皆様にとっては、何のメリットもないでしょう。「岐阜益」=「非国益」です。ちなみに岐阜市からこの岐阜羽島駅へのアクセスは、お世辞にもいいとは言えず、岐阜県人にとっても真のメリットがあったかどうか、怪しいものがあります。羽島ではなく、岐阜か大垣であれば、それなりにメリットがあったと思うのですが・・・。おっと、地元批判をすると怒られるのでこのあたりに・・・・。
まあ、そんなことを、「八ッ場ダム」のことや(八ッ場ダム問題は新政権の試金石かも? )、羽田のハブ化問題のことで考えていたわけです。
国交相による羽田のハブ化発言は、大阪・千葉両知事の怒りの発言につながったわけですが、地方益を考えれば、両知事の発言は当然と言えば当然でしょうか。しかし、過去の経緯を全く無視し、国益というレベルでのみ考えた場合、極論すれば両知事の発言は、残念ながら地方エゴに近いかもしれません。専門的なことはわかりませんが、羽田のハブ化が、日本の国益ということであれば、運用しだいで、それは千葉益でもあり大阪益でもあるはずです。ところが、両知事の発言が、千葉益や大阪益のみを見据えたものであるとするならば、まさにそれこそが「非国益」=「地方エゴ」ということになってしまうわけです。
リニア中央新幹線構想の、長野県内の駅誘致合戦も、地方の中の地方エゴのぶつかり合いと言えましょうか。国益、国策的に(リニアはJR東海が自前で作るとのことで、国策ではないか・・・まあ公共交通ということで・・・)、ルートは南アルプスを貫通する直線的なルートしか考えられないわけですが、ゲリマンダー的な??迂回ルートの計画もあるようです。残念ながら、これも「地方益」=「地方エゴ」=「非国益」でしょう。一昔前なら、東海道新幹線のように線路を捻じ曲げられたかもしれませんが(おっと、また地元批判を・・・)、現代ではどうなんでしょうか。そもそも、各県一駅という話そのものが、「地方エゴ」であり、リニアの駅は東京(品川?)、名古屋だけでもいいのかもしれませんが。
ということで、「地方の時代」が「地方エゴの時代」になってしまうことを憂慮している私彰の介でございます。まあ、あまり言い過ぎると、「人口の多い地域のための政策」=「国益」となりかねないので、そのあたりは難しいものがありますが、地方さえよければいいのが地方自治というのも考え物だと考えています。
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