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2010/03/25

開眼供養

 先日、我が「彰の介家」のお墓が一部新しくなり、開眼供養が行われました。なにぶん、お墓のことですので、厳かに?しめやかに?法要自体は進んだのですが、そこはそれ、屁理屈屋の私彰の介です。いろいろと屁理屈ネタが浮かんできました。

 お墓・・・、そこには先祖の霊が眠っています。最近世間の一部の霊が、「墓にはいない、になっている!」と主張していますが(笑)、私の先祖に限って言えば、たぶんめんどくさがってお墓にとどまっていると思われます。そういう家系です。
 
 ただ、霊が眠っている・・・とは言っても、昨今では、霊がいるとかいないとかいうテレビ番組が、根拠がないと批判される時代です。したがって、墓はただの石であり、先祖の霊などいるわけがないと思わなければならない時代になったようですが、まあ、なかなか、若年寄の私にはそう割り切ることはできませんね。したがって、お墓をいじるということになれば、精を抜いたりいれたりという面倒でお金のかかる法要をしないわけにはいかないわけです。

 ただ、霊なんていないと割り切れない私ですが、割り切れないだけに、精を抜いたり入れたり?という作業は、ちゃんとした「霊能者」にやっていただきたかったですね(笑)。それが茶番であろうとなかろうと、それらしくていいじゃないですか(笑)。突然霊能者におばあちゃんが取り憑いて「彰の介や~、元気か~」なんてしゃべり出したら、こんなうれしいことはありません(笑)。
 
 しかし、当然その行為をしたのは、霊能力なんて、全く持っているわけがない、近所の生臭坊主なわけです。やったことと言えば、お墓の前で、お経を読んだだけ。全く、霊っぽい作業はありませんでした。そもそも、お経というものは、霊が飛んできてお墓に宿るという呪文ではありません。それは仏教の教えを説いたものに違いないわけですが(お経に対する疑問に関し、過去にこんな記事を書いています(お経と君が代))、お墓に精を入れることと、仏教の教えを読み上げることは、はっきり言って全く関係ないものだと感じますが、皆さんそう思いませんか?。はっきり言って、お経は意味がわからないので、呪文様に聞こえるわけです。したがって、いかにも霊能的な作業をしているように見せかけるのにはもってこいなのでしょう。

 まあ、もちろん上記は半分冗談なわけですが、霊?というものを本気で考えれば考えるほど、供養という名の儀式は実に根拠がありませんし、霊というものを非科学の世界と考えれば考えるほど、人間というものの存在意義がどんどん希薄化されてしまうような気もします。ままごとの延長だとわかってはいても、そこは、厳かに?しめやかに?儀式をするのが、人間という生き物なのだと感じます。中庸を装い、両極の考えを冷めた目で見ている、この私が一番「ばちあたり」の様な気もしてきましたが・・・・。ご先祖様お許しを・・・。南無阿弥陀仏・・・。

 ということで、南無阿弥陀仏と唱えれば、誰もが極楽浄土にいけると教えられている、某宗派の彰の介でした。

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2010/03/18

無駄論的「しかみ像」

 巌流島の決闘で、宮本武蔵が佐々木小次郎に対して

「小次郎敗れたり!」

と叫んだとされています。何でも小次郎が刀を鞘から抜いたとき、その鞘を放り投げてしまったとか。それを見た武蔵が、前段の台詞の後に「勝者が、(その後しまうはずの)鞘を投げ捨てるわけがない!」と言ったとか(ドラマなどで見かけたような気がします・・・)。事実か作り話か知りませんが、要するに、小次郎に対する武蔵の心理的な揺さぶりであったことは間違いありません。しかし、言われてみればなるほどと思えることで、心構えからして、小次郎は負けていた、隙があったと言えるかもしれません。まあ、無論、勝った後のことばかりを考えて負ける場合も世の中には多く(いわゆる油断大敵というたぐいの話)、なかなかそのバランスは難しいですが・・・。

 そんな佐々木小次郎とは全く逆?というには、話のもっていき方が強引ですが、徳川家康の「しかみ像」のお話も、屁理屈好きの私にとっては格好のネタになります(しかみ像はこんな感じです)。三方原の戦いで、武田信玄にボコボコにされた徳川家康が、その戒めのために自身の憔悴しきった顔を描かせたとされ、慢心の自戒として生涯、座右を離さなかったと解説されています。臥薪嘗胆とよく似た話と言えばよいでしょうか。しかし、徳川家康が、本当に敗戦直後にこの絵を描かせたとすれば、非常に不思議に思うことがあるのです。

 そもそも、当時戦国最強とも言われた武田信玄が徳川家康に襲いかかっているのです。家康にとっては、もしかしたら、「この戦いで死ぬかもしれない」ぐらいのことは頭をよぎっていたに違いありません。そして、一発勝負で打って出て、生涯唯一の敗戦とも言われる大敗を喫し、命からがら逃げ帰るはめになったわけですから、「助かった」という思いはほとんどなかったでしょう。むしろ今城が包囲されたら、戦いに出る前の状態よりもさらに状況が悪く、「やっぱり城を枕に死ぬかもしれない」とより強く思ったに違いないわけです。

 ところが、私の想像とは全く逆で、ここで徳川家康はこの「しかみ像」を描かせているのです。もし、私の想像するように、「今襲われたら死ぬかもしれない」と思っていたとするならば、生涯の戒めとするべき肖像画をこの場で描かせるわけがありません。今死ぬかもしれないのに、生涯の戒めも何もあったものではないからです。ある意味、この戦いを切り抜けて、生涯を全うできるという楽観的な展望がなければ、こんな絵を描かせるようなことはないはずです。そう考えると、このとき家康は全く死ぬ気がなかったと思われるのです。それは、「死ぬまであきらめてはいけない」という様な自分を奮い立たせるような、ぎりぎりの心理状態ではなく、むしろ楽観的という概念がないくらい、生きることが当たり前の家康の心が私には感じられるのです。

 三方原の戦場から、命からがら逃げ帰る道中、家康は恐怖のあまりウンチを漏らしたという噂があります。しかし、その後、「しかめ像」を描かせたというエピソードを聞くと、まもなく落城する敗者の武将(ウンチまみれの)の姿は全く見えてこず、「今何をすべきか、武田に襲われないようにするには、守り切るにはどうしたらよいのか?」ということをごく当たり前に考えている一武将の姿しか想像できないのです(ウンチまみれは変わらないかもしれませんが・・・)。
 私の考える、この「しかみ像」を描かせた家康の心理は、文才のない私ではこの程度にしか書き表すことができませんが、そこには強烈な家康のパワーとスケールが感じられ、天下人たる人物だったということが、いやと言うほど私には伝わってくるのです。鞘を捨てて揚げ足をとられる小次郎とはくらぶべきもありません。

 もし家康と話ができるのであれば、もちろんいろいろ聞きたいことがあります。一つだけと言われれば、「関ヶ原の合戦での勝算はどの程度だったのか?」というのを聞いてみたいのですが、上記のような家康の心理を考えると、聞くだけ野暮かもしれません。当然勝つつもりだったとも、負けるかもしれないとも、五分五分だったとも、そんな答えは返ってこないような気がします。あえて言えば、「そこに関ヶ原があったから戦っただけ」???てな返事が返ってくるのだけでしょうか。
 
 つまり、被害妄想系の私では、天下は取れないと言うことです。私が家康だったら、桶狭間の戦いの後、三河に独立すらせず、今川のもとに逃げ帰っていたでしょうから・・・・(嫁さんと子供残してきたから)。

 (しかみ像が戦いの直後に描かれたかどうかはわかりません。正確なことをご存じの方、ぜひ教えてください)

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2010/03/11

トキ襲われる!

 自然大好きな私に、衝撃的なニュースが飛び込んできました(佐渡のトキ8羽死亡 2羽瀕死、外敵が襲撃かトキ襲ったのは「テン」 天井付近から侵入か)。2つめのニュースを抜粋しますと、

佐渡トキ保護センター(新潟県佐渡市)の野生復帰ステーション順化ケージで、放鳥に向け訓練中だったトキ9羽が死に、1羽が負傷した問題で、環境省は11日、トキを襲った小動物がテンと判明したと発表した。雪の上に残された足跡から分かった。センターの金子良則獣医師によると、ケージの天井付近に侵入したような跡があり、ここから入った可能性が高い。

 私の場合、もし今のやぶ医者という職業に就いていなかったとしたら、何かしら自然に関わる仕事がしたかったと思っており、特に昨今では、コウノトリやトキの自然復帰プロジェクトに興味津々でした(コウノトリの郷と彰の介の愚)。しかしよりにもよって、自然保護の象徴の一つである「トキ」を9羽も一度に失うとは、保護センターとしても大失態と言わざるを得ないでしょう。テンもテンです。何もトキを襲わなくても・・・・・・。

 しかし、この話を聞いて不思議に思う点が2つあります。
 一つは、この襲われたトキが、小さな鳥小屋にぎゅうぎゅう詰めにされていたわけではなく、順化ゲージという、ゆうゆう飛べる大きさのある建物の中で飼われていたことです。つまり、たとえ襲われたとしても、十分逃げるスペースがあるに違いないと思うのですが、10羽ほぼ全滅というありさまです。たとえ夜の寝込みを襲われたとはいえ、ちょっと納得がいきません。考えられるのは、所詮人間が育てたトキというのは、警戒心の弱い温室育ちということでしょうか。逃げるという本能を忘れてしまっているのかもしれません。ただ、放鳥されたトキの中で、何かに襲われたという話は一羽しか聞いていませんから、そんな野暮トキばかりではないかもしれませんが。
 あるいは、今回襲ったテンが、「ガンバの冒険」にでてくるノロイ級の殺し屋だったのでしょうか。ちなみにノロイはテンではなくて白イタチ(アルビノ?)ですが・・・。

 もう一つの疑問は、テンが何のためにトキを殺したか?ということです。トキを食べようとして殺したとするならば、1羽殺せば十分なはずです。10羽も襲う必要はありません。しかも、前段につながりますが、順化ゲージという大きな建物の中で、すべてのトキを襲っているわけです。冒頭の記事によれば、何時間もかけてすべてのトキを襲っているようですから、襲う理由がわからないわけです。
 あまり自然の動物に対して考えたくはないのですが、残念ながら、このテンは襲うのを楽しんでいたとしか考えられません。我々は、自然に対して理想を求めがちですが、そんな無駄な殺戮も自然の姿なのかもしれません。

 ちなみに、私が住んでいた田舎では、よくイタチを目にしていました。さすがに、自然が激減した現在、イタチは絶滅してしまったでしょう。
 私が父に聞いた話によると、むかし鶏小屋がよくこのイタチに襲われたようです。それも、今回のトキの話と同じように、鶏小屋の鶏すべて全滅してしまったようです。父曰く、

「あいつら(イタチ)は殺すのを楽しんでいる」

と言っていましたが、そんな言葉を聞いていたので、今回のテンも襲うのを楽しんでいたのかなあと想像するわけです。
 ちなみに、「ガンバの冒険」の白イタチのノロイも、ただただ、ネズミたちを殺戮するのみで、食べるわけではありません。そんなイタチ族の性質を原作者はわかって作った作品なのかもしれません。

 全く関係ないかもしれませんが、ノーベル賞学者ローレンツは、「ソロモンの指輪」の中で、平和のシンボルであるハトのむごい殺戮について書いています。(以下正確な記述ではないかもしれませんが)同じ鳥かごの中に2羽のハトを入れると、喧嘩が始まり、どちらかが死ぬまで喧嘩は終わらないというのです。勝者が敗者の羽をむしり取ってしまうというのですから、その残虐さは確かに平和的ではありません。普通自然界では、同種の強弱をつける喧嘩には、一定のルールがあり、勝者が敗者を殺すようなことは滅多に無いとされていますが、ハトのように、普通殺されそうになれば飛んで逃げればいい動物ではそんなルールはなく、鳥かごのような飛んでいけない環境に入れられてしまうと、とことん殺すまで相手をやっつけてしまうと言うのですね。

 そう考えると、イタチ族は、「そこに獲物がある限り襲う」というのが本能なのかもしれません。広いとはいえ、順化ゲージも閉鎖空間ですから、そこに獲物のにおいがあるかぎり、とことん殺戮しないと気が済まないのかもしれません。まあ、人間としては、殺すことを「楽しんでいる」と解釈するよりは「本能である」と信じたいわけですが、そこは当のテンやイタチに聞いてみないとわかりませんね。聞く前に、例のテンの場合、見つかり次第死刑かもしれませんが・・・。

 というわけで、トキの自然復帰プロジェクトに、大きな影響が出てしまうことは必死と思われます。今年こそ放鳥したトキが、自然に産卵子育てするのを期待したいと思いますが、ちゃんと自然界の怖さも、親鳥たちが教育してくれることを願いたいと思います。

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