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2010/04/15

総論各論マジック

 「総論賛成、各論反対」という言葉が、一時期政界を揶揄する言葉としてはやりました。「自分はイヤだけど他人なら、地元はダメだけど他の地域なら(改革してもいい)」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。改革は必要だからやらなければならないが(総論)、自分だけは痛みを被りたくないわけですね(各論)。
 
 そんな言葉の使い方とはちょっと意味が違うのですが、最近、問題部分を覆い隠しながら評論を行うというテクニックとして、「総論」と「各論」を巧妙に使い分ける方法があることに気がつきました。私は過去の記事で、評論や批判、或いは議論の中で相手を批判するテクニックについての問題点を何度となく書いてきました。相手を批判するときに、もっともよく使われる(しかし批判になっていない)テクニックとして、駐禁症候群という言葉を造ったわけですが(派閥論と駐禁症候群批判テクニックを論破する等々もう3回も4回も記事にしていました・・・)、もう一つの手法として、「総論を隠して各論で批判する」或いは「各論で総論を批判する」という(真の批判にはなっていない?)テクニックを発見したわけです。

 何を言い出したかといえば、いい加減な評論家と呼ばれる人が、いい加減な評論を行っている今日この頃ですが、その「いい加減さや違和感を感じる原因がこの手法のせいだったのか!」ということに気付いたということです。ちなみに、「彰の介、おまえの評論?は大丈夫か、理屈に合っているのか?」という疑問は持ってはいけません。私の記事は、屁理屈ですから、理屈に合っているわけありません・・・。

 たとえば、ずいぶん前にこんな記事を書いています(それらしい報道2)。要約しますと、中学生時代の私が、当時まだ行われていなかった「臓器移植」に関し、当時の報道の論調をそのまま受け取って、

欧米からの20年の遅れを早く取り戻してほしい(早く臓器移植ができるようにしてほしい)

と夏休みの宿題に感想を書いていました。ところが、10年以上たって、いざ臓器移植を実施しようという段になって、報道のあちこちで、脳死についての批判的な論評が出てきたわけです。私は素直に、「今更批判か?、批判するなら10年前からすべきではなかったのか?」と思ったものです。そして、この批判の多くが、実は「総論を隠して各論で批判する」テクニックを使った、批判のための批判だった(と私が思っている)わけです。

 臓器移植の本質論、すなわち総論は、「今までの心臓死に加えて、脳死という概念を認め、臓器移植で助かる命を助けていこう」ということだと私は理解しています。したがって、心臓死よりも、死が拡大解釈されますから、そこに問題点がないわけではありません。
 例えば、運用上の「ちゃんと脳死判定はできるのか」とか、「医師が功名心から脳死判定しないのか」といった問題があります。とある報道番組では、脳の視床下部の何とかという場所が生きていたとしても(中身忘れました)、脳死判定に引っかかることはないから問題だという、実に細かい専門的な事象を持ち込んで、問題点を指摘していました。

 しかし、これらの問題点というのは、あくまで「各論」であるということを意識していなければなりません。私が感じている、これらの問題点を指摘する報道への違和感は、「総論」に賛成なのか、反対なのか、が全くわからないことにあります。
 普通、これらの報道をさらっと聞き流すと、当然、脳死判定、臓器移植の実際に問題を投げかけているわけですから、「総論反対」ととるのがごく自然です。すなわち、「脳死判定は正確にできないから、脳死による臓器移植をするべきでない」と聞こえるわけです。しかし、実際には、総論反対、すなわち、「臓器移植でしか助からない命は、残念ながら死ぬしかない」ということを強く信念として思いながら、問題点を指摘しているとも思えないわけです。当然ながら報道の中でその種の発言がされないのはいうまでもありません。総論賛成の上で、運用の注意喚起を行っているのか(臓器移植賛成の立場での批判)、そもそも総論に反対なのか(臓器移植反対の立場での批判)、これが私の長年感じていた違和感だったというわけです。

 実際はどちらかといえば、おそらく、総論はどこかに行ってしまって、或いは総論の議論はどこかに隠してしまって、「とりあえず批判」というのが実情だと思います。評論家や報道番組というのは、その場その場で批判的立場に立つと格好いいものです(笑)。臓器移植が行われていない時代には、「なぜ早くやらないのか」といった方が、そして臓器移植が現実になってくると「このまま施行して本当にいいのか」といった方が、評論家らしく報道番組らしいわけです。そのためには、総論の議論はちょっと横に隠しておいて(たぶん無意識のうちに)、細かい各論の話を持ち出すのが最も効率的に批評活動ができる方法ということになります。正直、総論的な立場をはっきり表明した上で、各論批判をする評論家を、ほとんど見たことがありません。これが一評論家ではなく、それこそ報道番組であれば、よりその立場ははっきりしないのは当然でしょう。

 このあたり、いい加減な評論家の総論無視はどうでもいいのですが、報道番組などでは両論を立てなければならないという点で私の批判は当てはまらない場合もあるかもしれません。まあ、しかし、報道番組が、総論各論的な考え方を持ち、上記のような問題点を抱えている・・・という認識をもっているとはとても考えられませんが・・。

 ということで、次回は続き、「各論で総論を批判する」について書きなぐってみたいと思います。予定は未定、あしからず。

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