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2010/05/27

「ゲゲゲの女房」人気上昇中

 このところ、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が好調のようです。何言わん、私も楽しく見させていただいております。
 
 同じNHKの大河ドラマ「龍馬伝」も、毎週欠かさず見ておりますが、こちらの映像は相当にこだわっていますね。なんと言っても「汚い」。某財閥の創始者が汚すぎるとネットネタにもなっておりましたが、あそこまで汚いというか、おそらく当時はあんなものだったのだろうということを再現したことに、私的には感動しています。そういった映像を比べると、毎日15分という朝ドラは、ちょっと適当ですね。お金がなくて苦しい生活を送っている感じや、水木しげるが戦争に行ってつらい思いをしたという感じが、今ひとつ伝わってこないのは残念ですが、なんと言っても、主人公の「女房」が最高です。

 「女房」役の松下奈緒さんがすてきなのはともかく、まさに男尊女卑時代の日本の嫁の典型??みたいな現代劇(戦直後)を見るのは、久しぶりのような気がします。あまりにも「けなげ」で、私はそこに惚れ込んでしまいましたが、フェミニスト系の方から苦情はこないんでしょうか?。夫の行動に、時にプンとすねますが、全く怒った感じも伝わってこず、また「けなげに」尽くす感じが何とも言えませんね。題材が鬼太郎という大変身近な存在であり、完全な作り話でないという安心感もまた見たいという気持ちにさせてくれるのかもしれません。

 ところで、最近の朝ドラは、以前と比べて視聴率が落ちているようです。民放の人気俳優を並べたドラマですらなかなかヒットしないようですから、朝ドラの10%だ、15%だとかいう数字は十分健闘していると思うのですが、マスコミは何かとたたくのがお好きなようで、視聴率が下がった下がったと騒ぐことが多いように思います。
 
 ちなみに、今回の「ゲゲゲの女房」も初回放送後こんな記事がネットでも出ていました(NHK「ゲゲゲの女房」 初回視聴率は朝ドラ史上最低の14.8%)。抜粋しますと、

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の初回の平均視聴率が、関東地区で14.8%、関西地区で10.1%だった。いずれも集計を始めた昭和39年以来、初回放送分としては最低だった。

 最低だ最低だと言うことにどんな意味があるのかわかりませんが、徐々に人気が出て、好評を呈している現在の状態をどう考えているのでしょうかね。そういえば、今回の朝ドラから、放送時間がかわり8:00からになっていますが、当初これも「全く効果無し」と批判されていたように思います。無論、効果があったかなかったかわかりませんが、批判をするということは実に簡単で、本質を見ていないと言うことがよくわかりますね。
 ちなみに私が書いているこの記事も、人気が出た後で、過去の批判を批判しているので、実に簡単です(笑)。ネタを提供していただいた、最初の視聴率低下記事を書いた方に感謝いたします。

 ということで、引き続き「ゲゲゲの女房」を楽しく見ようと考えている私彰の介でございます。今後の朝ドラが、批判通り、視聴率の低下から廃止の方向になるかどうかは、まさにおもしろいか、おもしろくないか、その点にかかっているとしか言いようがありませんね。

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2010/05/20

ババ論と普天間問題

 「憎まれっ子世にはばかる」と言われますが、なぜ、憎まれっ子がかえって幅をきかすようなことになるのでしょうか。おそらく、憎まれっ子というのは、他人に憎まれるような行動を取ったとしても、それに気付かないか、気にならない人であり、イヤなことはイヤと声を大にして主張するため、意外に組織から排除されにくいのではないか?というのが私の考えです。私の場合、かなりの被害妄想ですから、他人からどう思われているかが心配で心配で、仕方ありません。その点、自分の主張だけして周りからひんしゅくを買っても、それを受け流して何も関知しない「憎まれっ子」は、ある意味うらやましいとさえ思います・・・。そういう人間に生まれたかった・・・。

 しかし、そんな風に「憎まれっ子」を定義するのであれば、最も人間らしいのが、「憎まれっ子」かもしれません。自分の好きなように、思うように事を運び、イヤなことは絶対にイヤと言う。そんなことは、人間誰しもあることでしょう。
 
 さて問題は、例えば、「誰かがしなくてはならないイヤな仕事があった場合、自分が名指しされたらどうするか?」という問題です。イヤな仕事ですからやりたくないわけですが、自分がイヤだと主張すれば、その代わりに誰かがイヤな仕事をしなくてはなりません。自分はイヤなのに、他の人に仕事が回りさえすれば、別に何とも思わないような、憎まれっ子気質なら問題ありませんが、私だったら、何しろ被害妄想ですから、その仕事を受けるしか選択肢がありません。「次何かあっても絶対引き受けない、そのいいわけができた」と無理矢理自分自身を納得させるしかありません。しかし、最初から別の人に話がいったら・・・、それを奪ってまで仕事をしようとは思いませんね。そのあたり、実に心が弱い私です。
 
 過去記事にも書いたことがある例を出しますと、・・・・中間管理職が10人程、下っ端がたくさんいる組織の中で、明らかに中間管理職の一人がやらなければならないイヤな仕事があったのですが、結局、中間管理職の方々は、その仕事を、下っ端の一人に押しつけてしまいました。中間管理職の方々の中で、「私がやる」と手を挙げた人は皆無であったでしょうし、誰かに押しつけるのは気が引けるので、最もいい解決法として(中間管理職の誰一人傷つかない方法として)、下っ端に押しつけたのでしょう。

 人間社会のイヤなところとして、じゃあ、私のように頼まれた仕事を受ける人間が評価されるかというと、現実には、「つけ込まれること」が多いわけです。「あいつなら文句を言わないだろう」って感じで、あれもこれもとやられるわけです。いい組織の場合は、上司自ら仕事をこなしますから、自然と下もそれにならいますし、ならわず仕事をしない人間は、ただただ評価を下げるだけです。これが、上記のようなどうしようもない組織の場合、まさに悪循環になってしまい、下っ端に仕事を押しつけるしか方法がないわけです。
 まあ、ただ、つけ込まれにも、なんとか頑張って踏ん張っていれば、いつか報われる日が来るというのが、40年弱の人生を過ごしてきた私の結論なのですが、しかし現実「つけ込まれ」をされる瞬間瞬間というのは、腹が立って仕方がないわけですし、そのうち報われる・・・なんて考えられるわけがありません。

 上記の話と、昨今の普天間基地問題を一緒にするのは問題がありますが、私の気持ちは上記の考え方と基本的に変わりありません。どういうことかといえば、「沖縄の基地負担軽減」に賛成なのであれば、自分の家の隣に米軍が来てもやむなしと考えるのが筋ではないかということです。沖縄の負担軽減には賛成だが、自分の地域以外のところに移転してほしいという現在の世論(?と呼ぶべきかどうか)というのは、まさに憎まれっ子気質そのものであり、これも過去記事記した、「ババ論組織を批判したけれど)」そのものということになるのでしょう。誰かがババを引けば、問題を解決できますが、誰もババは引きたくないわけです。

 このババ論の感心しない解決方法はいくつかあります。例えば先に挙げた中間管理職の例でいえば、「下っ端に仕事を押しつける」であり、一般的ババ論事例で行けば、「黙んまりを決め込む、誰かが生け贄になるのを待つ」ということになります。今回の普天間基地問題であれば、結局のところ「政府の対応が悪い、鳩山が悪い」と訴えることで、「自分の地域には引き受けられない」ことを覆い隠している様な気がしてなりませんが、私的には全く感心できません。

 私はこの際、筋を通した方がいいと思います。問題の一つは、軽々に「沖縄の負担軽減」を口にすることです。もし、本気で沖縄の負担軽減を考えるのであれば、家の隣に米軍が来ても仕方無しとするべきです。私は個人的に、家の隣に来てもやむなしと考えております。地域からは非国民扱いされるのでしょうが。
 もし、家の隣に米軍が来て困るというのであれば、

沖縄の皆さん、これからも基地負担をよろしくお願いします

と、沖縄の皆さんにお願いするべきでしょう。国の対応が悪いとか人のせいにするのではなく(別問題)、自分には受け入れ不可能であることを認めるべきです。
 そう考えると、徳之島の町長さん方」の対応が大変気になるわけです。徳之島は、はっきり言ってババを引かされそうになっているわけで、こちらも軽々な発言は問題ですが、あえて、誤解を恐れつつ・・・私の考えを書かせてください。沖縄の市県議団が徳之島を訪れたとき、徳之島の2町長が面会謝絶したのは大変問題があったと考えます。

 私の考えから言えば、徳之島から「今後も沖縄でお願いします」と言うべきところですが、まあ、そこまでの発言はできなくとも、受け入れができないということは伝えるべきだったでしょう。なにしろ、国が押しつけに来たわけではなく、その当事者が来ているのですから。これを面会謝絶となると、「基地は沖縄が負担してればいいんだ!!」と言い放ったに等しい意味があると私は考えますので、それは問題があったと考えるわけです。もちろん、話し合いを持つということに、受け入れ前向きと取られる要素もあるでしょうから、難しいとは思いますが、筋を通すという意味での私の意見は、会って断るべきだったと思うわけです。

 私の意見は、人間味のない極端な意見かもしれません。ただ、米軍の問題は、国民の問題であって、沖縄の問題ではないと思いますから、自分も当事者意識を持つべきだと考えた次第です。

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2010/05/13

選挙のための政治

 やわらちゃんが、次期参議員選挙に出馬とのことですね。賛否両論あるようですが、私は最低、現役を引退してから立候補すべきとは思いますが。もう引退してましたっけ?

 国政選挙というと、必ず有名人が各党から立候補します。もちろん、名前で票を取ろうということ以外に意味はないのでしょうが、何となくむなしい感じがします。有名人でなくても、女性だとか、その中でも美人過ぎるとか(こちらは出馬しないことになった?)、何かしら話題性のある人に白羽の矢を立てて、票稼ぎという光景はここ最近特に多いような気もしますが、気のせいでしょうか。

 そんなこととは別の話ですが、最近政治が不安定な状態が続いているせい(末期自民党から、政権交代したのにこのていたらくの民主党)だと思うのですが、いわゆる経済対策に名を借りた、人気取り政策やばらまき、あるいは国民に負担を求める政策は口に出さない等の政治姿勢があまりに目立つような気がします。

 なぜ、そうなるかと言えば、それは、選挙があるからでしょう。3年に一度は参議院選挙があり、そしてその間に不定期に衆議院選挙が行われます。末期自民党のように死に体でも政権を保とうとすれば、民主党のように、政権を取るとなれば、あるいは取った後で(大きな政策以外のところ?で)失点に失点を重ねて、あっという間に支持率を下げる結果になれば、結局目の前の選挙のために、ばらまき的なことはやらざるをえず、国民負担を強いるところは閉口せざるをえません。
 
 「このままでは選挙で戦えない」という言葉を前回の衆議院選挙で自民党側からよく聞きましたし、そして今秋?に迫った参議院選挙に関し、民主党側からちらほら聞こえてきています。
 政治とは何のためにあるのでしょうか。選挙を戦うために政治はあるのでしょうか?。政治家にとっての政治は、選挙のためだけと言っていいのでしょうか。

 それに関して一つ考えたいのは、「国民は、ばらまけば皆喜ぶ」「増税や負担増は票を失う」といったことが真実かどうかです。私の場合、現代政治の最大の課題は、「財政の健全化=国債を減らすこと」だと考えていますから、ばらまきの財源を考えると胃が痛くなりますし(借金返せるのか?と思うと夜も眠れない・・・)、増税や負担増は、やむなしと考えているわけです。まあ、ききわけのいい子と言えばいいでしょうか(笑)。不況のため、エコ系のポイントやら減税やらが行われ、高速道路が安くなったのであれば、当然いずれその穴埋めをしなければならないのでしょう。エコポイントなどは、景気対策としてよかったのかなあとは思うのですが(環境対策にはなっていないが)、しかし、この負担をいつどのように回収するかなんていう話は、今も昔も、もちろん今後も一切出てこないでしょう。この負担を景気回復だけで回収できるとは到底思えません。無駄の排除で財源が生まれるというのは夢だったというのは、現政権が実証しつつある現実です。
 
 もちろんその人その人の置かれた立場によって、賛成できる部分と反対の部分は当然違うのでしょうが、総論として、国民受けを狙った政策には賛成しかねるものが私にはあるわけです。しかも、それが、「選挙のため」であれば、「選挙で戦えないから」ということであれば、そんな全く見通しのない政策には、根底から賛成できないわけです。

 上記は私の意見ですが、皆さんはいかがなのでしょうか。仮に、私のような、ききわけのいい子が過半数割れ、或いはそれどころか少数派であったとすれば、昨今の政党の政策は正しい、成功ということになるでしょう。「選挙対策」としては・・・。

 次期参議院選挙の民主党のマニフェストに、「増税を明記」なんていう記事をネットのどこかで見たような気がしますが、言っている方々には頭が下がる思いです。たぶん小沢先生にこっぴどく怒られて、明記なんてされないでしょう。まあ、増税による増収は、別のばらまきに使うという話もあり、そんなに単純な話ではありませんが。

 政治が、選挙のためにあるとすると、結局のところ悪循環に陥り、何も前に進まないような気がします。選挙の結果ではない、一貫した主張ができる政治家ってなかなかいません。いたとしても、大政党の中では埋もれてしまうか、干されるかです。
 日本の政治に対する「漠然とした不安」・・・・、入水間近の彰の介です。

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2010/05/06

総論各論マジック2

 連休をぼーっと過ごした私です。人出の多い時期には外に出ない主義ですので・・・。

 今回は、前回の続きで、総論各論を使い分けて、批判上手になろう・・・、もとい、総論各論を上手に使った批判に気をつけろの第二弾、「総論を各論で批判する」について理屈っぽく屁理屈こねます。

 連休といえば、春の(秋も)大型連休の分散化という話題が一時ニュースにでました。分散化というのは、各地域で分散化するという案ですね。日本を5つのブロックに分けて、日本全国一斉ではなく、分散して休みを取ろうということのようです。職業柄やぶ医者をやっている私は、あまりカレンダー通りに休みが取れませんので、いい案なのか悪い案なのかわかりませんが、まあ、いろいろと賛否両論あるようです。

 ちょうど私が語ろうとする「総論各論」の例として、いい記事がありましたのでリンクしておきます(連休分散化より有給完全取得の義務付けが先だ)。ぜひ一読していただきたいのですが、一見全く普通の批判記事(休日分散化案に対する)ですが、これこそ私が言いたい典型的な批判テクニックを使った記事と言えるかもしれません。こういうプロの方の記事を批判する立場にない私が、批判的にこの記事をとらえるのは実に問題ですが、このブログが、ネットの片隅で独りごちているということで何とか許してもらえないでしょうか・・・。また、すべての中身がおかしいと言っているわけではないのであしあからず。

 まず、休日分散化の目的、すなわち総論について、この記事によると、 

年末年始や盆暮れ、GWに客が集中している観光地や交通機関の需要を平準化

させることが目的としています。それによって、観光振興や内需拡大につなげようということらしいのです。そして、この記事では、この総論に対して批判するわけですが、いみじくも、小見出しには「総論賛成、各論問題」として、各論問題が述べられています。まず、商工会議所会頭、経済同友会代表幹事なる方のコメントで、休日の分散化によって、全国の企業のネットワークがバラバラになることの懸念が述べられ、記事著者の意見としても、

地域をまたぐ仕事はシステムを変更するだけでも膨大なコストと時間がかかるし、仮にこれが実現できても効率が落ちる

と批判しています。さらに、

・大企業が休みになることで中小企業に仕事のしわ寄せがいくかもしれない
・運輸業者は他のブロックの顧客に納品するために休みを取ることはできない
・単身赴任者や遠方に住む家族や友人と旅行に出かけるのは難しくなる
・勤務地や通学先で家族の休みがバラバラになる
・全国規模のスポーツ大会の開催日にも影響が出る
・「憲法記念日」など、それぞれに歴史的、文化的な意味のある休日を一概に平準化してしまうことへの抵抗や批判もある

とまあ、各論での批判が並んでいます。一つ一つの各論は、確かにごもっともという内容です。こういう記事を読むと確かに、デメリットが多すぎて、こんな制度はダメだこりゃと思うわけです。
 
 ところで、総論について、著者はどう考えているのでしょうか。残念ながら、直接的に、総論に対する意見は書いてありません。しいていえば、「企業活動からみてマイナス面が大きい」とし、前段のように莫大なコスト云々によって総論を批判しているようです。また、上記各論による批判を書き連ねて、デメリットが多すぎるから、総論反対ともとれるでしょう。

 で、結局のところ、総論、すなわち、この休日分散化のメリットについての、評価というのが、全くないわけです。素人的には、この総論のメリット、例えば交通渋滞が緩和されるメリットや、観光業が分散化で潤うメリットと、この著者の言う、企業の非効率化によるデメリットの差というものが知りたいわけなのですが、総論の評価がないため比べることができません。何となく、莫大なコストという言葉で、ごまかされてしまっています。
 それこそ、批判のためだけにこの記事の書き方を批判するのであれば(笑)、「あのひどい交通渋滞に巻き込まれても仕方ないとお考えですか?、交通渋滞がイヤなら、旅行に行くなと言いたいのですか?」と意地悪く書けばいいわけです。著者は何も書いていないので、どう思っているかがわからないわけですから。

 ちなみに、後段の各論のオンパレードですが、私的に言うと、あまりに細かい各論過ぎるという印象があります。つまり、「批判の水増し」といえばいいでしょうか。総論反対の材料にするのはいいのですが、しっかりした考察がないと、屁理屈屋の私の格好の批判ネタになります。

 例えば、大企業の休みが中小企業のしわ寄せって、別に休日を分散化しようがしまいが、同じだと思いますし、運輸業者も、分散化しようがしまいが、休みなく働かないといけないのは当然でしょう。連休中、とある観光地で、山のように積み上がった、お土産の地方発送の処理を運送会社の方が必死にやっておられました。全国規模のスポーツ大会の開催日・・・・、う~ん、実に各論ですが、総論を覆すようなことはないでしょう。はっきり言って何とかなるような・・・。ちなみに、最後の休日の意味的な問題だけは、各論ではなく、総論批判に当たるというのが私の解釈です。

 最後に、この記事は、有給休暇の取得率が、日本では低いとして、有給休暇の取得率を上げることで休日分散化の目的、すなわち、内需拡大、観光振興が達成できるとしています。つまり、休日分散化のメリット部分の埋め合わせをすることで、デメリットを浮き上がらせようとということだと思いますが、残念ながら、今回の休日問題と有給休暇取得の話は別問題です。有給休暇の取得率アップを先にすべきだと著者は述べていますが、それが達成されてから分散化しろという意味でないことは明らかですし、分散化と関係なく、取り組んで悪い問題でもありません。分散化、有給休暇のメリット両取りができればそれに越したことはないわけで、別に相反することでも、なんでもありません(これは、別問題を持ち出して問題点をすり替えてしまう駐禁症候群的批判に近いかもしれません)。ちなみに、各論オンパレードの中に、単身赴任などで家族がバラバラだと、休みがずれるとの話がありましたが、これを有給休暇取得で補うという彰の介案はどうでしょう。一石二鳥では?。
 正直言えば、私を含め、休日に休めない職業の人は世の中にたくさんいると思うのですが、そういう方々はもともと家族と休みがずれているわけで、上記批判も各論中の各論だなあと思っていたわけですが・・・。

 ちなみに、こういう記事を書くと、私が休日分散化賛成なのか?と思われるかもしれませんが、一応、総論賛成です(笑)。コスト云々、経済効果云々なんていう話は素人にはわかりません。一つ言えることは、やってもいないのに、本当に問題かどうかは、おそらく誰にもわからないと思うことです。例えば、今まで休日が分散化されており、急に全国一斉長期休暇にしようという話になれば、「交通渋滞がひどくなるのではないか、長期にわたって企業活動が停止され効率が下がるのではないか、中小企業にしわ寄せが行くのではないか・・・」な~んていう批判がされるのでしょうから。
 
 この記事の著者は批判的材料としてとらえていますが、私の考えは、経団連会長の意見と同じかもしれません。御手洗会長の言葉を要約すると、

地域の活性化や観光業の雇用平準化には意義があるが、企業の生産活動に影響もあり、各論では解決すべき問題が多い

おそらく、著者の意見も、総論には意味があるが、各論に問題が多いと要約できると思うのですが、いつの間にか総論反対になっているわけです。不思議ですね。各論の問題点を一つ一つ解決しようという気はないわけで、面倒くさいからやめようと言うことでしょうか。まあ、できれば、最初に総論の評価をすべきではないかと思うことと、各論の水増しで、総論批判をすべきでないというのが、私のまとめになりましょうか。

 ということで、批判記事にありがちな、各論での総論批判の一例を見ていただきましたが、無論、私の屁理屈に過ぎません。真剣に、この記事の批判をされないようお願い申し上げます・・・。

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