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2010/08/26

「彰の介の大予言」と「小沢アレルギー」

 ブログを書いていると、過去に書いた記事をついつい忘れてしまうことがあります。自分にとって印象がある記事や、反響のあった記事は別ですが、そうでないと埋もれてしまうわけです。

 実は、そんな感じでまさに埋もれようとしていた記事を、たまたま読み返してみて、ノストラダムスもびっくりの大予言がされ、現実になっていた(笑)ことに気付き、ここに再掲したいと考えてみたわけです。さらに、本日、民主党の小沢氏が、次期代表選へ出るようなので、これについても意見を書いてみようと考えました。

 そんな埋もれ書けていた記事が、ちょうど一年ほど前に書いた「塞翁が馬の選挙戦」という記事で、ぜひ一読してみてください。平成21年8月20日の記事ですが、8月30日には、衆議院選挙が予定されていました。郵政選挙で大勝した自民党ですが、この記事を書いた直後の衆議院選では、大敗が予想され、政権交代かと騒がれていたわけです。そんな勝った、負けたを塞翁が馬と表題したわけですが、ついでに、その後の(本年平成22年の参議院選挙)まで書いていたことを全く忘れてしまっていました。抜粋しますと、

自民党にとって今回の総選挙は、大勝利後の、大敗(あくまで予想ですが)かもしれませんが、しかし、順番からいくと次の次はまた勝利かもしれません。民主党を中心とする与党が、全く実行力を持たないか、しょうもない政策ばかり実行したとすれば、次の参議院選挙で、自民大勝の可能性もあり、再び日本はねじれの時代を迎える可能性があります。

 もちろん、参議院選挙では、自民党が大勝?といえるものではなく、別にこの記事は大予言をしていたわけでもないのですが、私の憂いが完全に現実になってしまったということに、我ながら愕然としてしまいました。「再びねじれの時代」なんてことを当時書いていたのは、たぶん私だけです。???、たぶん・・・。そんな憂いというか、逆に言うと民主党への注文を次のように書いていました。

民主党にとっては、今回の選挙で大勝することが大事なのではなく、政権をとったその時から、いかにまともな政治をするかどうかが問題であることは言うまでもないわけです。・・・
民主党が先の先まで読んでいたとすれば、野党時代から、いい加減な反対のための反対はできません。今回政権をもち、マニュフェストについつい書いてしまった反対党時代の政策を、結局実行できないとか、実行して大失敗するとかすれば、大やけどを負うことになるでしょう。・・・

 自分で言うのも何ですが、まさにこの通りではありませんか?(笑?笑えない・・・)。私にこんな先見の明があったとは、我ながらびっくりですし、こんな大事なことを書いていたことを忘れてしまっていたことにもびっくりです(記憶力の低下が激しいかも・・・)。政党は、こんなすばらしい見識を持つ私を、三顧の礼を持って招聘すべきでしょうね(大笑)。

 まあ、冗談はともかく、本日小沢氏が民主党代表選に立候補することを宣言したようです。今後の政局について、上記のように、ばっさりと予言してみたいのですが、上記記事があまりにもずばっと当たっているので、今回は曖昧にしておくのが賢明というものでしょうか・・・。

 結局のところ、国民からすると、「管総理」では頼りないという認識が広まりつつある一方、相変わらずの「小沢アレルギー」というのも激しいわけです。私も小沢アレルギーが激しいのですが、それは単にあの人相からだけではありません。今回の参議院選挙で、民主党が負けた理由を「管総理の消費税発言」に求めるところが大きいのですが、実際には、ハトちゃま総理の決断力のなさと、小沢氏の政治と金の問題が大きかったことを忘れてはなりません。それと、私が予言したように、民主党がマニフェストとして掲げ、票集めに使った政策が、実際には問題だらけだったことがこの一年でよくわかったわけですが、それこそが最大の敗因であり、そして、まさにこの政策を掲げたのは、私が思うに小沢氏だと考えているわけです。

 たぶんですが、もし小沢総理誕生となったら、すぐさま過去の「政治と金」の問題が引きずり出されるに違いありません。もしかすると、過去の・・どころか、新たな金がらみの問題が出てくるかもしれません。はっきり言って、政治どころではなくなるのではないでしょうか。もう一つは、政策実行についてですが、これからは小沢氏好みの「甘い誘惑政策」では、日本がつぶれてしまいます。つぶれるか、実行不能か、二者択一ですが、小沢氏から、国民に負担を求める政策は、決して出てこないでしょう。それが、選挙に強いという本当の意味です。私の小沢アレルギーはこのあたりにあたって、政権を持って長続きするような気がしないわけです。

 管総理続投となったら、小沢氏は党を出るのでしょうか。何となく、今回の代表選は、関ヶ原の戦いの様相を感じさせるため、その後に挙党一致で立ち直れるような気配を全く感じません。正直、分裂した方がいいのではないでしょうか。小沢アレルギーの私のような人のためにも、小沢氏の政策に期待している人のためにも、相容れない集団は、分裂していただいた方が、選択がしやすいというものです。また、混沌とした世界に逆戻りのような気もしますが、急がば回れでしょう。

 私の駄文は私の意見であって、正解でも不正解でもないとは思うのですが、ド素人の意見が現実になる世の中はあまりいいことはないでしょう。政治家の方々にはくれぐれも、ド素人に勝手に好きなことを書かれないような世の中にしてもらいたいものです。

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2010/08/19

マニュアル人間な世の中

 私はお金持ちなので(笑)、数ヶ月前に、ゆえあって某金持ちカードを持つことになりました。まあ、持つだけで、大金使わなければ問題はないということで・・・。
 そのカード会社?を使って、とある人気旅館を電話で予約しようとしたのですが、この時、金持ちカードだけに対応もいいだろうと思ったのが大間違い、とんだマニュアル人間に遭遇してしまったというお話です。

 以下電話でのオペレーターとのやりとり(言葉の一言一句まで覚えていませんので、あえてかなり脚色してその場の雰囲気をつくっています)

私 「今度旅行で○○旅館に泊まりたいのですが、人気があると聞いていますので、とりあえず今の時点で空いているかいないかだけ教えていただきたいのですが」

オペレーター(以下オ)「最初に本人確認をさせていただきます・・・」(本人確認省略)

これがまた、丁寧な言葉遣いでそれ自体問題はないのですが、随分ゆっくりとした口調のしゃべり方なんですね。丁寧と言うよりは、馬鹿丁寧と言うべきでしょうか。まあ、それはともかく、長い本人確認が終わった後・・。

オ「ご旅行のお日にちを教えていただけますでしょうか」

私「○月○日か×日を考えているのですが」

オ「何名様のご利用でいらっしゃいますか?」

私「大人2人です」

オ「性別は?」

私「私と妻ですが・・・」

ごく普通の問答かもしれませんが、あくまでオペレーターの口調はゆっっっっっくりで、馬鹿丁寧が続いています。しかし、性別?を聞かれたあたりから何か変だぞ?と思い始めました。

オ「ご予算の方はおいくらぐらいでしょうか」

私「予算??、えーと旅行会社のホームページに○○円となっていましたが、それくらいではないのですか?」

オ「「○○円””(から)」となっておりまして、その値段ではない可能性もございます。で、ご予算の方は?」

私「・・・・まあ、だいたい○○円くらいで考えていたのですが・・・。とりあえず、空き状況が知りたいので、高くてもいいので空いている部屋を教えてください」

オ「はあ・・。えーと、お泊まりの際のお食事に関しまして、苦手なものやアレルギーはございますでしょうか?」

私「あのー、空き状況が知りたいだけなんですけど、いまそれに答えないとダメですか?」

オ「はあ・・。」

実際の会話ではもう少しいろいろ聞かれていて、ここまでで10分くらいかかったような気がします。本題はとにかく空き部屋確認がしたいだけなのに、そこに話がなかなかいかないので、だんだんいらいらしてきました。が、こうやってゆっくりと、しかも関係あるような無いような話をしてきて、次に今更のようにオペレーターが放った言葉にさすがの私もびっくりしてしまいました。

オ「本日はあと10分ほどでこのデスクは終了いたしますので、本日は空き部屋状況に関しましてお答えすることはできません。」

私「えー!!!。まだ時間内なのだから、調べてもらえませんか?」

オ「大変申し訳ありませんが、本デスクは○時で閉鎖されますので、明日お答えすることしかできません。」

今までゆっくりと馬鹿丁寧に余計なことをしゃべっておきながら、すぐには調べられないと、ひょうひょうと、しかも今頃言うかと「カチーン」ときてしまいました。すぐに状況を知りたかった私とちょっとした押し問答になったのですが、結局本日は終了の一点張りでした。
 しかも、こちらがやや怒り気味なのは雰囲気でわかると思うのですが、今まで同様のゆっくりとした口調で、丁寧に、極めてマニュアル的に次の言葉が発せられた時は、私もついに怒鳴ってしまいました。

オ「明日お答えいたしますが、明日ご在宅でない時間帯はございますでしょうか?」

私「朝からいるから、いつでもいいからかけてこい!!」 「プチ」(電話切る)

 まあ、こうして振り返ってみると、このオペレーターは対応はともかく、目的が達成できなかった私がただ切れただけと思えなくもありませんが(笑)、最低限、時間内に受けたことは、その日のうちに答えなければいけないだろうと思うことと、答えられないのであれば、一番最初にその旨伝えるべきだろうと思った次第です。そして何よりも、オペレーターの対応が、最初から最後までおそらく100点満点のマニュアル通りで、こちらが何を聞きたいのか、何を求めているのかを理解したうえで対応していないというのが最大の問題でしょう。さらにこのオペレーターは、私が怒っていることを察知して、いかにも申し訳なさそうに「明日しか答えられない」と言えばいいのに、全く口調が変わらず淡々とマニュアルの台詞を話していましたから、たぶん怒っていることすら理解できなかったのでしょう。
 
 まあ要するに、精巧なマニュアルを作ったとしてもそれを使いこなす人間がいなければ意味がないというわけです。しかも、金持ちカードのくせにこれですから、私のような偽物はともかく、本物のお金持ちの皆さんがこのサービスで納得しているのでしょうかね?。
 ちなみにこのオペレーターが仕事場の同僚?先輩?上司?に事の次第を話したのかどうか、30分後に再度電話がかかってきて、旅館の空き状況について答えていただきました。やればできるじゃんと思わなくもありませんが、私のせいで残業させて、申し訳ありません。○時に閉鎖するはずだったのにねえ・・・。

 先日職場の面接官をする機会があったのですが、就職活動をする若者から発せられる言葉も極めてマニュアル的な言葉が多かったような気がします。あれでは全くアピールになりません。むしろ、マニュアル外しをした方が面接官の心をくすぐるような気がするのですが、あくまで平均点狙いというのが世の風潮なのでしょうか?。というか、マニュアルが存在するということは、そのマニュアルに沿って合格させている職場が多いということで、それはまたそれで「マニュアル企業がマニュアル社員を就職させている」という、いとおかしな世の中と言えるかもしれませんが。

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2010/08/12

国産への幻想

 先日妻とスーパーへ買い物へ行ったときのこと。ごま油が無くなったとのことで、ごま油を探しに行きました。ごま油の陳列棚には、いろいろな業者ものが何種類も置いてあり、しかも値段にはピンからキリまで、随分開きがあるものだなあと感じました。

 さてさて、どのごま油を選ぶかですが、大手の安っぽいのはやめて、いいやつを買おうということになり(うちはお金持ちなので・・・笑)、結構値段の高いのを手に取ってみました。残念ながら、パッケージを開けてにおいをかぐわけにはいきませんが(当たり前)、表の商品ラベルはなかなか秀逸で、いかにも手作りしてますよ、というのが伝わってきてよさそうです。ところが、ボトルの裏に貼ってある商品説明のラベルをみて「おや?」っと思ってしまいました。

 原材料はもちろん「ゴマ」な訳ですが、そこには「胡麻(トルコ産)」と書いてあるではありませんか。他の商品と比べてちょっとお高い、いやかなりお高いごま油であり、しかもパッケージラベルからは全く外国を想像させませんので、当然のことながら「国産のゴマ」だと勝手に思い込んでいた私は、ちょっとがっくりしてしまいました。「トルコ産だって・・・」ということで、その商品は一旦陳列棚に戻すことになってしまいました。

 ということで、陳列棚にあるすべてのごま油の、ゴマの原産国調べが始まったわけですが、これがまたちょっと意外なことがわかりました。実はそのスーパーに置いてある、先ほど手に取った商品以外のごま油は、すべて、ゴマの原産国が未記載だったのです。これは普通に考えると、「国産ではない」に違いありません。ウナギのように中国産を国産と偽る事件が後を絶たないご時世です。私ら夫婦のように、国産がいいと思い込んでいる人も少なくないでしょうから、国産のものは必ずその商品イメージから国産と表示するはずです。いやいや、裏のラベルではなく、表の商品ラベルにでかでかと「国産胡麻使用」などと書くでしょう。

 さてさて、そのスーパーで売られているすべてのごま油の原料のゴマが、国産ではないらしいことがわかりましたので、どれを購入するかですが・・・、やはり、正々堂々と、原産国を「トルコ産」と表示していた唯一の商品、すなわち、最初に選んだ商品が信頼もでき、商品に自信があるのだろうと考え、そのお高いごま油お買い上げの運びとなりました。家に帰ってから、さっそくそのごま油を使いましたが、予想に違わぬ一品でした。こんな香りのいいごま油は初めてです。もちろん、高かったので、そう感じただけかもしれませんが・・・いやいや、そんなことはありません、本当にいい商品でした。

 その後、毎度おなじみのWikipediaやその他ネット記事で、ゴマについて調べたのですが(Wikiのゴマのページ)、何という認識不足でしょう、日本で使用されるゴマは99.9%輸入なのだそうで、中国やアフリカ諸国、南アメリカ諸国など、世界各地から日本に輸入されているようです。ちなみに、トルコからの輸入は、それほど多くないようですが、ゴマの王様といわてれいる「金ゴマ」の名産地のようで、高級品はトルコ産が多いようです。国産の金ゴマよりトルコ産の方が評価が高いとするネット記事もありました。いや~、無知とは恐ろしいものですね。

 もしかすると、買った商品の「胡麻(トルコ産)」というのは、十分に高級品アピールだったと思われるのですが、私のような素人には「国産でない」というnegativeアピールになってしまうわけですから困ったものですね。もちろん、値段が高いので、ゴマの違いや味、香りがわかる方だけご購入くださいというのが、作り手側の考え方なのでしょうが。ちなみに、国産ゴマを使用したごま油は、通販サイトなどを見ると100g1500円から2000円以上するようですから、お金持ちの私でも買えません。

 ところで、ごま油を使ったお気に入りレシピをお一つ紹介します。冷や奴(ひややっこ)なのですが、豆腐に、ごま油をたらっとかけて、塩を振り、醤油を適量かけるという「ごま油奴」です。ポイントは当然ごま油、上記商品でこれをやったら本当においしかったです。これを大手の安ごま油でつくると、くさい奴になりますのでご注意ください。あと、くれぐれもカロリー超過にはご注意ください。

 ということで、国産への幻想を反省したというお話でした。それにしても、国産のゴマというのがほとんど無いという現実を放置していていいものやら・・・、何か心配になってきました。

 
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2010/08/05

紙媒体への価値観2

 前々回、「紙媒体への価値観」という記事を書きました。情報としては、ネットも本も新聞も同じだと思うのですが、すでにネットにある情報と同じ本を作りたい、買いたいと気持ちがなぜか起こってくることや、すでに知っている情報(のはず)を、わざわざ新聞を買って確認するという不思議な行動を起こしてしまうことは、実に不思議・・・という話でした。

 この、ネットの情報と、本や新聞といった紙媒体との大きな違いといえば、基本的に、ネットの情報は「無料」、本や新聞は「有料」という点が挙げられると思います。となると、上記ネットから紙媒体へという行動は、無料から有料への行動とも考えられ、この不況のさなか大変不思議な行動であることは間違いありません。もちろん、この無料の情報が、有料の情報のシェアを食っている現実はあるわけですが、そういった有料から無料へ一辺倒に流れがあるわけでも無いところに不思議な感覚を感じているわけです。

 この不思議さの答えをず~っと考えていたのですが、答えかもしれないあることに気付きました。
 先日、池上彰さんについて記事にしたのですが(池上彰さんの意見発信に注目)、この池上さんの書籍が随分売れているようです。いろいろ著作はあるようですが、中には、テレビ番組(そうだったのか・・・など)の書籍もあるようです。なぜ番組の内容をまとめた書籍が売れるのか、これも、よく考えてみれば不思議なことです。なにしろ、テレビでもうすでに放送してしまった内容なわけですから、なぜあえて本という形で買って内容を確認しなければいけないのかというのは不思議な話です。実はこれも、テレビ番組として見れば「無料」、本として買えば「有料」ということになりますから、上記、ネットから紙媒体という話と同じということになります。

 全く想像に過ぎませんが、テレビの情報をなぜあえて紙媒体で確認するのかという答えは、テレビの情報伝達手段に原因の一つがあると思われます。つまり、テレビというものは、情報を、時間的に、一方的に、視覚と聴覚で我々に伝えるわけです。その情報を伝えている瞬間は実に鮮明ですが、情報としての実物感は花火のようにパッと消えてしまいます。よほど頭のよい方でなければ、番組内容をすべて記憶することはできません。いい番組だったなあと思えば、その記憶を本に託すという意味で、この番組本を買ってみるかと思うことは決して不思議ではないようにも思います。もちろん、もっとわかりやすい例としては、料理番組を見ただけで、砂糖が小さじ何杯で醤油が大さじ何杯で・・・なんてことを記憶することはできないでしょうから、番組の料理本を買ってみようかと思うことはごく普通かもしれません。

 そんなことを考えていると、あまり意識をしていませんでしたが、テレビというのは非常に優れた「無料媒体」だと感じるわけですが、「記憶」ということになると紙媒体にはかないません。もちろん、ドラマや映画となれば、ビデオに撮らないとだめですが、情報番組やそれこそ料理番組などの内容を記録閲覧しようと思えば、ビデオでは明らかに不便で、本にはかなわないのは明らかでしょう。
 そんな例からは少し外れているかもしれませんが、ニュースのたぐいも同じかもしれません。テレビでニュースを見たとしても、もう一度新聞で確認するということは、記憶という意味で無意味な行為ではないのかもしれません。新聞の場合、本と違って、時間がたてば、ちり紙交換(最近こないかも・・・)行きになるわけで、本とはちょっと違うような気もしますが、パッと消えてしまうテレビよりは、情報を記憶するという点で安心感があるのかもしれません(このあたりの考察は明らかに甘いですが・・・)。

 もしかすると、テレビの出現によって、決して紙媒体が無くならなかった理由は、テレビの情報と、紙媒体の情報が、それぞれ相補う関係にあったからかもしれません。もちろん、それぞれが食い合ったところもあったのでしょうが、「無料」で配信された情報を「有料」の紙媒体で補うという蜜月関係??は、ネットの登場まではさほど問題にならなかったのでしょう。

 私は前々回、ネットから紙媒体への動きがあるということを書いたのですが、おそらく、ネットの情報というものが、今のところ「本」等と比べて記憶としての安心感や利便性がないため、有料であっても本が買いたいという発想になるのかなあと今回考えたわけです。つまり、テレビの情報を補う本のように、ネットの情報を補う本という関係です。
 しかし、実際には、ネットの情報というのは、テレビと比べれば、遙かに紙媒体によく似ています。文字の羅列が多いですし、一瞬で消えていくこともありません。つまり、ネットから紙媒体という流れよりも、実はテレビ等の情報を補う役目を、紙媒体から奪っている流れの方が遙かに大きいのではないかとも考えるわけです。すなわち、これは「無料」から「無料」への流れということになります。今後電子書籍が普及すれば、それ自体無料ではないでしょうが、音楽コンテンツと同じように、安価に配信されることは明かです。およそ、「無料」から「無料」の流れと考えてもいいかもしれません。

 こういう、紙媒体がネットに置き換わってしまうかのような話は、大昔からあるわけですが、実際そうなっていくのかならないのか、それはいいことなのか悪いことなのか、そのあたりを解く鍵の一つが、この「無料」から「無料」への流れを考察することにあると思われます。
 
 ということで、そのとっかかりとして、テレビと同じ無料媒体であるこのネット世界の「無料」について、今後考えを書いていきたいと思います。たぶん・・・。

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