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2011/05/12

原発事故の大本営発表に関する一考察

 東日本大震災、大津波からあっという間に2ヶ月が経ちました。福島第一原発の事故も未だ安心できる状態ではなく、むしろ徐々に放射能汚染が広がっている現実が日々伝えられています。

 この原発事故について、過去にも雑感を書いてきたのですが、またまた、別の角度から、いくつか書いてみようと思います。内容は、ほぼ推測、私見の類ですので、明らかな間違いはご指摘いただければ幸いです。
 
 まず今回は、この原発事故の状況や、放射能汚染に関する政府の発表・各種報道についてです。俗に政府の発表は「大本営発表」と揶揄されているわけですが、一体そう揶揄される原因となったのはどこにあったのでしょうか。また問題点はその大本営発表だけだったのでしょうか。

 例えば、事故の重大性についてですが、当初の官房長官からの説明から受ける印象よりは、遙かにひどい事故であったことがはっきりしてきています。正直、すでにチェルノブイリ以上だと私は考えています。
 個人的には、途中まで政府の発表を「正しいもの」と判断し、聞いていた私ですが、明らかにおかしいぞと感じたのは、大きくいうと次の2点がわかった時でした。

 1つ目は、福島第一原発に外部電源が引き込まれ、「中央制御室に”あかり”がともった」とされた時です。
 それまで、毎日のように原発本体の状態はどうか、温度はどうか、燃料棒のどのくらいが水につかっているのか・・・等が報道され、それに応じて対策がとられていると思っていたわけですが、中央制御室に電気が通っていなかったということは、それらをどのように確認していたのか(モニタリング)、素人的に全く疑問というこになってしまいました。現在も、原子炉建屋内に入れない状態であり、目視できるようなものではないことは明らかですし、モニタリングの不正確さから、全く水位が保てていなかったこと(燃料棒が解けて無くなっていたこと)も事実としてわかってきています。
 そう考えると、「すべての状況を把握した上で、手をうっている」かのような発表であったわけで(今でもですが)、まさに「大本営発表」そのものと言えるのではないでしょうか。

 2つ目は、前回記事にも書いたのですが、「今回の事故がレベル7であり、放射能放出量が、チェルノブイリ事故の10分の1」と発表された時です。上記にも書いたとおり、当初からの政府の発表の印象から、まさかチェルノブイリ事故の10分の1にも及ぶ大量の放射能が放出されたとは思ってもいなかったからです。政府としては、10分の1は少ないと言いたかったと思われるのですが、明かな言葉のごまかしであることはいうまでもありません。

 問題は、なぜ政府が大本営発表を行ったかという点です。
 一つは、細野氏が発言していますが、「パニックを恐れた」ことにあるでしょう。私自身、このことは正しいこととは思いませんが、理解できなくもない話です。正確に正しいことを発表することがいいことではなく、それがどう判断されるかが問題になるからです。
 判断するのは、政府ではなく、国民の側ですから、意図しない判断がされるのではないかという意識は政府の中に少なからずあったと思われます。まあ、その結果、放射能に関する判断指針というか解釈基準も同時に発表することになったわけで、一年間浴びてもCT一回分だの、ほうれん草を毎日食べてもどうのこうのという話につながったのでしょう。
 要するに、政府は過剰に反応しないことを意図して「大丈夫」だという方向から「大丈夫、大丈夫!」と発表したことになると思うのですが、それは同時に、逆に言えば「事態の矮小化」そのものになってしまったわけで、イコール「大本営発表」ということにもつながってしまった可能性があります。 
 
 ただ、私が本当に問題にしたいことは別にあります。
 世の中、原子力発電や、放射能について、詳しい人なんてたくさんいるわけはありません。当然ですが、総理大臣や、官房長官がいくら頭がよくても、その専門家でないことは明らかです。その専門家でないはずの、例えば官房長官から、非常に専門的な原子力発電所の話や、それこそ何ベクレルだ、何シーベルトだ、そして、安全だ、大丈夫だということが発言されるのか、そこに問題の核心があるような気がします。

 なぜ、ある意味素人のはずの官房長官が、専門的な発言をすることができるのか?、それは当然ながら、官房長官が、専門家からレクチャーを受けていたからでしょう。
 その専門家とは、原子力安全委員会か何か知りませんが、そのメンバーなのか、別の学者なのかわかりません。問題だと感じるのは、基本的に、今まで原子力を推進してきた、その中心人物と思われる方々から、事故の解釈のレクチャーを受けたことでしょう。

 この方々は、今まで、散々「安全だ」とお墨付きを与えてきた方々なわけですから、残念ながら、今回の事故について「矮小化したくてしょうがない」人々と考えていいのではないでしょうか。また、政府の対策が、何となく後手後手な感じがするのは、政府に知恵を与えている人たちが、放射能について強気だからとしか思えないわけです。この専門家の人たちが、コレはまずいから対策をとった方がいいとレクチャーしているとすれば、とても「何シーベルトだから安全です」なんて発表にはならないはずですから。

 さらに、マスコミに登場した多くの学者も、基本的に政府発表を大きく批判したり、疑問を挟むようなことはしませんでした。建屋が爆発した時、テレビで解説していた学者は、「建屋なんてただの覆いです、アレが壊れても問題ありません、圧力容器は非常に丈夫ですから、これが壊れていなければ何の問題もありません」と解説していました。おそらくその後の政府の発表も、ほとんど同じ内容であり、同じ内容のレクチャーを受けて発表したのでしょう。今から考えると、素人的にも、とんでもない発言だったことがよくわかります。

 ついでにいえば、マスコミの報道も、これら学者の意見に沿った内容で報道していたと思われます。原発の仕組みもそうですが、ほうれん草や、水が云々という話もまさにそうでしょう。
 と思っていたら、NHKがいつの間にか、原発報道の枕詞に、「深刻な事態が続いている福島第一原発では・・・」という言葉を使い始め、NHKも原発の現状に疑問を持ち始めているんだなあと感じたわけですが・・・。

 さらにさらに、マスコミがらみでいえば、専門家ではない、コメンテーターや、有識者?、評論家といった素人まで、専門家の意見を完全に鵜呑みにし、原発の現状、放射線の知識もないまま、「大丈夫」だと言い放っていたことは大問題でしょう。とある有識者は、「今回の事故は、チェルノブイリとは比べものになりません。格納容器は壊れてなくて、放射性物質が爆発して飛散したわけではないんですから・・・」って、専門家ばりに発言していましたが、何も知らないのによくここまで言えたものです。今となっては、全く間違った発言であったことは明らかです。

 ということで、政府の大本営発表の一断面を、私なりに考えてみました。要するに、専門家と呼ばれる方々に対する批判なわけですが、限られた情報の中で、方針を決定したり、解説したりということになると、この状況は仕方がないのでしょうか・・・、それともやっぱり私が疑念を抱くように、「矮小化したい」という気持ちが働いたのでしょうか。

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