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2013/03/12

新平等主義 「バカにバカと言える社会」-③-

 「努力した者が報われる社会」という言葉は美しいのですが、現実には人間個々それぞれに能力には差があるのですから、努力すれば全ての目標がクリアできるわけではありません。そんな、夢のない社会をプロ野球の世界で考えてみましたが、一般社会も、この厳しい、努力しない者が没落する、自己責任の世界にしてしまおうと考えているのが、新自由主義者の方々です。なぜそんな世界を志向するのかと言えば、新自由主義者の方々がそもそも「優秀な能力を持った人間の集団」であるがゆえ、個々の能力の差なるものの理解が出来ないからだろう・・・ということを前回言い放ってみました。
 その他過去記事ご参照の程

 新平等主義 「バカにバカと言える社会」-序-
 新平等主義 「バカにバカと言える社会」-①-
 新平等主義 「バカにバカと言える社会」-②-

 「優秀な能力を持った人間の集団」ゆえに、その力を十分に発揮したいと考えれば、規制やルール,或は慣習などというものが邪魔に感じることもあるでしょう。究極的に言ってしまえば、新平等主義 「バカにバカと言える社会」-①-の最初で書いたような、身分制度のある時代を考えればわかりやすいでしょうか。生まれ持った身分によって将来の役割が決まってしまうのですから、そんな制度は廃止すべしと考えるのが、新自由主義ということになります。身分制度は、新自由主義者でなくても廃止するべきと考えるかもしれませんが、その方向性はまさに「新自由主義的」であるわけで、そのあたりについては、徐々に語っていこうと思います。

 さて、前回の最後に、そんな新自由主義者が、そもそも悪意を持って自身の考えを主張しているのかどうかという問題提起をしてみました。すなわち、「努力した者が報われる社会」などの言葉を掲げてごまかしながら、能力のない人を、「平等な社会」であることを理由に同じ土俵に上げて、利益を独占しようとするようなことを行っているのでしょうか。

 私の結論は、基本的に””です。
例えば、職場を思い浮かべて下さい。職場の中には、どうしてあれほど仕事が出来ないのに出世しているのだろう・・・と思える人はいませんか。上司でなくても、全く仕事がこなせないのに、自分と同じ給料をもらっている同僚とか。

 普段から、我々は、自分の仕事をちゃんと評価してほしい、仕事が出来ない人間にはそれなりの低い評価を与えてやってほしいと考えています。私も普段から非常にそれを強く感じています。仕事に自信がつくと、あいつと同じ給料なんてあり得ない、自分は倍もらってもおかしくないと考えることもしばしばです。それはおそらく、普通の人間であれば、普通に考えることだと感じます。しかも、それが特に間違ったこととも思われません。そうでなくては、まさに「努力しても報われない」ことになり、やる気や向上心の欠如につながってしまいます。それは、特に特別な主義でも主張でもありません。普通の人間の普通の考え方です。

 職場たる企業にしてみればどうでしょうか。当然企業にとって、能力のある者には責任ある仕事を与え、より利益を上げてもらわなくてはなりません。そのためにも、正当な評価をすることは欠かせません。能力のある者が出世し、能力のある者がたくさん給料をもらう、そんな企業でなければ活力が無くなってしまいます。企業の利益を考えれば、当然のことで、これを誤れば倒産への道を歩むことになってしまいます。

 このような、能力のある者が能力のない者と同じようには扱われたくないという、普通の人間の普通の思いや、企業がある程度能力に基づいて人事を行うことなどは、「能力主義」という意味において、「新自由主義的な考え方」であると言いたいわけですが、しかしこの程度のことであれば、現代社会においては、おおよそ受け入れられているものと考えることが出来ます。そしてある意味、それはあまりに当たり前のことであるため、「努力した者が報われる社会」として、社会通念上当然の考え方、方向性とされているわけです。

 だとすれば、新自由主義とは一体どのような主義を言うのでしょうか。私は、能力のある者が能力のない者と同じようには扱われたくない、という普通の人間の普通の思いを究極的に高めてしまったものが、あるいはそんな思いの遥か延長線上の考え方が、新自由主義だと解釈しています。

 その上で、「新自由主義者は悪意を持って自分たちの主義を主張しているのか」という問いに関する私の答えが“否“である理由は、基本的に、新自由主義者にとっても(一般市民にとっても)、それが社会通念上の特に問題とならない事柄だと信じてしまっていることだからです。もちろんそこには、悪意などないと考えていいでしょう。自分たちの利益のためだけに、利己的な自分たちの主張を繰り広げているとは、おそらく気付いていないのです。「おい、もっとおまえらしっかり働けよ!」程度の思いの延長が新自由主義というわけです。

 しかし、問題はその線引き、程度問題にあるわけです。

 新自由主義者の考える世界は、能力のある者が、2倍3倍どころか、10倍、100倍と給料をもらえばいいという世界です。能力のない者は、2分の1、3分の1、いやいや、派遣社員で、いつでも解雇ができて、最低賃金で働いてもらえばいいとうことです。これがプロ野球の世界であれば許されることなのかもしれませんが、一般社会となると大きな歪みを生みます。いわゆる「格差社会」です。

 格差社会に焦点を当てて、派遣切りをされた人たちを考えみれば、そこには非情な世界が広がっていることが何となく理解できるかもしれませんが、「あの上司は仕事が出来ないなあ」と感じていることの延長線上に「格差社会」があるとは、誰も思っていません。
 新自由主義の世界において、そんな上司は、首を切られて失業となりますが、上司のことをバカにしていたあなたにも、魔の手が忍び寄っているかもしれませんよ・・・・。実は私かも・・・・。

ということで、格差社会にしないためにも、「バカにはバカと言った方がいい」という話をしていきましょう。

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