« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013/08/23

新自由主義の段階的荒廃論 解説②-前編

 前回、新自由主義の萌芽、能力主義的新自由主義について解説させていただきました。ジャガイモの収穫の例を出させてもらいましたが、普通、収穫量に比例して給料を渡すのが普通だと感じてしまうのですが、現実の社会では、意外に成果に比例的ではない給与体系になっていると思われます。不思議ですね。この能力主義的な考え方は、新自由主義的な考え方を、ごく普通の人が、普通に受け入れてしまう下地になっているのですが、新自由主義者がそのベールを脱ぎ、姿を見せ始めても、それに気付かないという問題を生じさせてしまいます。

 前回は、自身が地主になったつもりで考えたのですが、わかりやすく、今度は自前の土地でジャガイモを作る話を考えてみます。再度確認ですが、正確には経済学的に誤りがあるかもしれません。細かいところについてはご勘弁願います。例によって、AさんとBさんが同じ広さの土地を所有しているのですが、優秀なAさんは1500個、ダメなBさんは500個の収穫をあげています。

 1


 ここでわかりやすく、一つの仮定を掲げてみます。「農家の所有する土地は、広げてはならない」という規制があるとしましょう。他人の土地を買い上げてもいけないし、新しい土地を開拓してもいけないわけです。なぜそんな規制があるかといえば、それは、総理大臣の彰の介が、Bさんたちと結託し、それほど努力しなくても農家が食っていけるように、法律を定めたからです(仮定ですからね!)。Aさんのように、優秀な人間が出てきても、土地の広ささえ抑えておけば収穫量がある程度制限されますから、Bさんのようなダメ人間の収穫量でもやっていける環境が維持されるわけで、多くの農家が暮らしていけると、言い訳までに総理が考えたのでしょう(仮定ですからね!!)。

 Aさんはおもしろくありません。Aさんはやる気があって、努力できる人間なのです。もっと土地さえ広げられれば、より多くの収穫が見込め儲けることができるのです。しかも、やる気のない、努力しない人間が、のうのうとやっていける社会が許せません。「努力した者が報われる社会」をつくるためには、「規制緩和」「自由競争」が最も大事であると考えるに至り、大々的に世論に訴えるようになります。そしてやがて、世論に押され総理大臣彰の介が退陣、新しい総理の下、土地所有の規制が撤廃されることになりました(仮定ですからね!!!)。

 まあ、そんな状態を想定していただいて、めでたく規制が緩和され、Aさんが新たに開墾して、土地を1.5倍に広げたのが下の状態。収穫効率が変わらないとすると、よりたくさんのジャガイモが生産されるようになり、市民としては、より安いジャガイモがたくさん食べられるようになりました。Aさんも努力によって収入を増やすことができました。そして既得権益でのうのうと生きてきたBさんは、ジャガイモの価格の下落による収入減で、苦しい生活を送ることになります。めでたし、めでたし。

 3


 過去記事のとおり、こんな、優秀で能力があって努力できる人間で、その進まんとする道を塞ぐ規制や既得権益を排除すべきと考えるAさんのごとき人を、新自由主義的であると書いてきました。そして新自由原理主義とも呼べるようなこの段階を真性新自由主義と名付けました。この段階において、上記の文章通りだとすれば、Aさんに悪意がないのはもちろん、Aさん自身の努力が報われたこと、Bさんは自己責任で没落したという意味で、誰もそれが間違った改革であったとは考えません。

 しかし、実は、規制を緩和するということは、多くの人に門戸が開かれることに他なりませんから、周りに多くのライバルが出現することになります。ライバルはBさんだけではないのです。Aさんのように、優秀で能力があって努力できる人間は一人だけとは限りません。したがって、Aさんは規制緩和を訴えた張本人である以上、新たなライバルの出現によるより激しい競争を受け入れなくてはなりませんし、もちろん受け入れているのでしょう。私が重視するのはその考えを一貫して持ち続けているかどうかです。競争こそ全てであり、没落するのは自己責任とする考えで一貫している段階であれば、それを真性新自由主義と定義して、悪意のない段階と考える訳なのです。

 9


 さて、勝手にめでたしめでたしとしましたが、本当にめでたしなのかどうかについて、私はかなりの疑問を持っています。一見して、特に問題無いと思われるこの段階について、いろいろと後半で屁理屈をたれたいと思っています。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!

 かなり前からツイッター始めています。よろしければfollowしてください。そんなにつぶやいていませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/08/15

新自由主義の段階的荒廃論 解説①

 前回、新自由主義の「悪意」について、その発生時期を段階論としてまとめてみました。主義主張の一貫性という意味では、成熟した成功者(新自由主義者)であっても、常に激しい競争にさらされ続けなければならないわけですが、一旦力を得た新自由主義者は、その力を確保するためよからぬ方向へと歩み出してしまうような気がします。

 今後数回、ちょっとした例を挙げて、この新自由主義の段階的荒廃論を順番に説明したいと思います。説明内容については、わかりやすくを旨としておりますので、経済学的には若干の誤りがあるかもしれません。細かいことに関しては、ご容赦いただきたいと思います。

 さて、下の図です。わかりやすく説明するため、自分が地主になったつもりで考えてみて下さい。ある同じ広さの土地を、Aさん、Bさんに貸して、ジャガイモを作ってもらいました。

1_2

 Aさんは必死に頑張ってジャガイモを1,500個収穫したのに対して、Bさんはサボっていたのか500個しか収穫できませんでした。例えばの話ですが、このジャガイモを売った収入が20万円あったとして、地主たるあなたは、Aさん、Bさんにこの20万円をどのように分配しますか?

 「オイオイ、そんなの決まっているじゃないか、1,500個と500個の収穫なのだから、当然Aさん15万円、Bさん5万円に決まっとる!!」

と思った皆様、立派な新自由主義者として認定いたします(笑)。いわゆる前回提唱した能力主義的新自由主義の段階です。もちろん今までに何度も書いてきたとおり、上記のように完全能力制で考えてしまうことは、ごく普通のことであり、社会通念上当然とされていることですので、レッテル張りではありません。むしろ、収穫量に関係なく、平等に10万円と10万円を配分すべき・・・と考えた方がいたとしたら、(要するに、社会主義的な考え方ですが)、ちょっとおかしい、お花畑様としか言いようがありません・・・。言いようがありませんが、一応両論(①15万円と5万円の配分、②10万円と10万円の配分)の考え方を、新自由主義的及び新平等主義的な考え方を元に説明します。

 AさんもBさんも能力は同じであり、「努力の差」が収穫量の差につながったと考えるのが、新自由主義的な考え方です。「努力の差の絶対値」が収穫量の差という、この考え方は非常にわかりやすいと思います。

6

 一方、AさんとBさんには、そもそも能力差があって、さらに、それぞれ努力できる最大値も違っているというのが、今まで表題としてきた新平等主義的な考え方です。理想的(お花畑的)に、AさんもBさんもそれぞれ各人に可能な最大の努力をしたと仮定すると、「能力差+努力できる最大値の差」が収穫量の差と考えることができます。AさんもBさんも、それぞれ能力に応じて最大の努力をしたわけですから、「努力の差」はない(努力した割合に差はない)と考えることができ、収穫量に関係なく給料を同じに・・・というのが、10万円と10万円の配分の根拠となります。

7

 現実には、どちらが正しいと言えるでしょうか。おそらく、AさんとBさんの間には、上記の通り、絶対的か割合的かはともかく、努力の差があると思われるのですが、残念ながら、収穫量以外の数値は能力差を含めて全くわかりません。それぞれどの程度の能力があり、それぞれどの程度努力したのか、それは全くのブラックボックスということになります。したがって、両論①②ともに、仮定に根拠が無く、努力しただのしないだのという理屈は全くの想像に過ぎませんから、どちらも正しいとは言えません。わかっているのは、歴然とした収穫量の差だけです。

8

 こんな時、新自由主義的な考え方と、新平等主義的な考え方が綱引きを始め、丁度釣り合ったところで給料は決まるのでしょう。例えば、基本給を6万円くらいとして、残りを能力給として、結果12万円と8万円に分配する・・・・なんてところで落ち着くのが最も現実的なところだと思います。納得いただけませんか?。

 実際の会社等では、ほとんど年功序列であり、実力差があったとしてもボーナス時の査定くらいしか給料の差はないわけですから、能力差よりも、ず~っと小さな給料差で社会は成り立っているはずです。つまり、今回の件について、実際には、10万円と10万円という分配に、より近い状態で多くの人が納得して働いているにもかかわらず、15万円と5万円に分配するべきと考えた人が多いであろうことは、ある意味錯覚であり、非常に不思議なことと考えることができます。

だからこそ、もしAさんが、

「能力だの、努力だのどうでもいいです。結果として収穫量3倍を実現しているのだからその割合通りの給料がもらえないこの世の中はおかしい!!」

と主張したとすれば、「そうだよなあ・・・」と思うのが普通なのです。

 さて、これからAさんが真性の新自由主義者へと変貌していきます。そのあたり、次回、また図を使って語っていきたいと思います。

人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!
 
 かなり前からツイッター始めています。よろしければfollowしてください。そんなにつぶやいていませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »