« 新自由主義の段階的荒廃論 解説②-前編 | トップページ | 新自由主義の段階的荒廃論 解説③ »

2013/09/09

新自由主義の段階的荒廃論 解説②-後編

 前回は、新自由主義がまさに熟す瞬間の話をさせていただきました。いやと言うほど何度も書いていますが、私が考える新自由主義は、必然の中から発生しており、悪意の中から発生しているわけではありません。「優秀で能力があって努力できる人」たる新自由主義者の方々が考える、規制緩和や自由競争などは、普通の人が聞けば当たり前と思える内容です。そのあたり、前回の解説②-前編でご理解いただけましたでしょうか。

 その当たり前の話を復習しておきます。Aさん、Bさんのジャガイモの収穫の話を例に考えました。Aさんは非常に優秀で、たくさんジャガイモを収穫できるのですが、規制があって(土地が広げられない)、収穫量は頭打ちとなります。Bさんは、それほど努力しなくても、あまり差ができませんので何とかやっていけた・・というのを仮定してみました。
 そうすると、優秀な人が、「規制が発展を妨げている」と考えたとしても、一般的に間違ったこととは思えません。努力をしないBさんが、規制緩和されて没落したとしても、それも努力しないBさんが悪いのであって、「自己責任」と評価されてだれも間違っているとは思わないでしょう。

 さて、全く問題がないと思われる上記の話ですが、確かに全く問題がありません。ただし、社会・国家が、まだ発展途上であったとするならば、あるいは、個人啓発的な話としてならばの話ですが・・・。(毎度ですが、経済学的な内容に関しては誤りがあるかもしれませんがご勘弁を。)

 私が考える問題点はいくつもあるのですが、とりあえず一点、以前、新平等主義 –新自由主義的思考と錯覚-や、新平等主義 –新平等主義的国家観-で述べてきたことの繰り返しになります。一言で言えば、個人の発展と、国家の発展を混同して考えてはいけないという話です。

 ジャガイモの話で言えば、ジャガイモを作れば作っただけ売れる、すなわち、どんどん手取りの収入が増えるという状態を想定すれば、個人の農家の発展が、そのまま国家の経済力の発展になりますから問題はありません。したがって、そのような想定において、「努力してジャガイモをどんどん作れ!、努力しないやつは没落しろ!」という啓蒙は、そのまま、国家の目標となり、そのまま国家の発展につながります。実際には、努力した者はしたなりに成功するのはもちろんですが、しなかった者もそれなりに生きていけることが想定され、没落する人間は最低限に抑えられると考えられます。

 しかし、ある程度成熟し、例えば現在の日本のように経済的な成長が止まっている社会を考えたらどうでしょうか。そんな社会では、ジャガイモは作れば作っただけ売れるわけではありません。むしろ作れば作るほど価格の低下をうむだけです。すなわち、同じ仕事量(収穫量)に対する手取りの収入が相対的に下がってしまいます(デフレ進行?)。それは、間違いなく努力しない人たちを没落させてしまいます。努力した者が努力したなりに成功するのは前段と同じですが、努力しなかった者が没落する可能性が、(収入がどんどん下がるわけですから)非常に高くなるでしょう。これは、いわゆるパイの奪い合いという状態であり、国家の発展でも何でもありません。ただただ二極化するだけということになります。

 私は、極めて比喩的に、「努力した者」と「努力しなかった者」という言葉を使っていますが、実際にここでいう「努力しなかった者」というのは、新平等主義 「バカにバカと言える社会」-④-で「バカ」の定義として述べたとおり、「あなたであり、私であり、平均的な一般国民」ということができます。したがって、「優秀で能力があって努力できる人」たる新自由主義者の方々や、あるいは、「あなたであり、私であり、平均的な一般国民」が、特に悪意も感じず、当たり前と思われる内容の話も、実はただただ、平均的な一般国民の没落を意味するだけの可能性があるのです。努力した者が報われる・・・・分だけ、一般国民が苦しい生活を強いられるとするならば、それが国家としてまっとうな政策かどうかは、十分に議論されなくてはなりません。

 もう一つ、私が極めて比喩的に、新自由主義者のことを、「優秀で能力があって努力できる人」と持ち上げているわけですが、当然のことながら、自分の努力が実ることだけを考えている方々であり、それを、「努力した者が報われる」という響きのいい言葉に変換し、陶酔してしまっているだけの集団と言えます。そんな言葉に酔ってしまっているため、あなたや私などの一般市民が没落しても、「自己責任」とすることで、罪悪感が全く生まれません。もちろん、このように自己責任として一般国民が切り捨てられることが、国家としての幸福ではないことは言うまでもありません。

 さらに、自分の努力が実ることだけを考えている方々が、突如として国策を語り始めることがあります。「国が発展しないのは規制があるからだ」・・・と。まさに規制緩和で大成功したAさんの話に戻っていくわけですが、自分の成功・発展と国家の成功・発展を混同してしまうという大勘違いにより、ますます成功する者は成功し、没落する者は没落する社会がうまれるという、悪循環が始まるのです。
したがって、この悪循環が生まれる前に、なんとか新平等主義的観点から、ある程度の規制をかけて国民全体が幸福となるよう釣り合いをとらねばならないのでしょう。

 当初全く悪意が無いと思われた状態も、いつの間にか、ある特定個人の利益のための政策になってしまっている・・・、最初のスタートがあまりに当たり前であるが故になかなかそんな変化に気付かない・・・、それが真性新自由主義と名付けた段階の、問題の芽生えと言えると思います。そして、この段階をしっかり解決できなければ、徐々に最終段階、御都合主義的新自由主義を蔓延させてしまうことになりますが、そのあたりはまた次回に・・・。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!

 かなり前からツイッター始めています。よろしければfollowしてください。そんなにつぶやいていませんが。

|

« 新自由主義の段階的荒廃論 解説②-前編 | トップページ | 新自由主義の段階的荒廃論 解説③ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/45497/58159841

この記事へのトラックバック一覧です: 新自由主義の段階的荒廃論 解説②-後編:

« 新自由主義の段階的荒廃論 解説②-前編 | トップページ | 新自由主義の段階的荒廃論 解説③ »