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2013/11/10

新自由主義の群像-過去記事訂正

 新自由主義について批判的な立場からいろいろと書いてきましたが、私自身もこの新自由主義を考察する過程でいろいろ考えさせられることがありました。特に、過去に自分自身がこのブログで書いてきたこととの矛盾が生じていることを自覚してきました。過去の自分は過去の自分として、一旦、現在の自分の眼で自分の過去記事と向き合ってみたいと思います。

 特に矛盾していると感じているのが、政治家・小泉純一郎首相(当時)を非常に高く評価していたという点でしょう。小泉首相といえば、新自由主義の権化のように言われているわけですが、当時の私にそういった認識はもちろん無く、むしろ郵政解散で熱狂した一国民にすぎませんでした。

 ちなみに私が小泉首相を評価した点といえば、
①自らの支持組織にまでメスを入れようとしたこと(郵政しかり、道路しかり・・・)
②構造改革を進めたこと
③財政立て直しを進めたこと

 まあ、大まかにはこんなところでしょうか。特に①は、私の「国会議員観」(政治家観)とも共感するところがあり、遂にこんな政治家と巡り会えたと思った次第です。

 国会議員というのは、憲法上「国民の代表」とされているのですが、実際には、地域の代表だったり、業界の代表だったり、思想的な代表だったり、つまり、利益代表というのが現実です。しかし、当選する時は利益を代表していたとしても、それが、全国民にとっての利益でないとするならば、国民の代表たる国会議員は、利益団体を裏切り、国民のために働かなくてはならない、そもそも、利益代表として働いたとするならばそれは憲法違反である・・・・という、非現実的な理想論が私の「国会議員観」ということになります。

 そう言う意味において、小泉首相は、自民党の票田たる郵政や道路といったところに次々とメスを入れた(入れようとした?)わけですから、中身は全く理解していなくとも、その姿勢に熱狂してしまいました。これこそ政治家だと感じていたわけです。そう言う意味において、当時「抵抗勢力」と言われていた方々は、まさに利益、利権の代表であるという認識であり、マスコミも含めた当時の雰囲気に飲まれた意見発信をしていたと言わざるを得ません。まあ、その全ての私の考えが、今となっては間違いである・・・とはもちろん思っていませんが、抵抗勢力=敵であると漠然と考えていたこと、抵抗勢力の抵抗勢力たるゆえんを全く考えていなかったことは、間違いであったと感じています。

 それに関連して②の話をすると、構造改革とは何か?ということを、評価しているくせに当時は全く理解していませんでした。現在の私の理解でいえば、構造改革=規制緩和など新自由主義路線ということになり、闇雲な構造改革は格差を生むのみ(特に現在のようなデフレ下においては)との見解を取っているのですが、当時、改革が必要だと漠然と考えていた私は、規制緩和などの政策がいいことだと信じていました。当然、規制緩和などの政策の全てが悪いなどというつもりはありませんが、相当に慎重でなければならないわけで、そう言う意味で、一政治家が断行するものでもなく、抵抗勢力が「よく考えようよ、考え直そうよ・・・」という姿勢も今から考えてみれば当然だったという理解に変わりました。

 そして、最近大きく宗旨替えしたのが③についてでしょうか。私はついこないだまで、国会議員の最大の仕事は、「国の借金を減らすことである」と考えてきましたし、ブログでもそう書いてきました。このままでは、日本がつぶれると真剣に思ってきました。しかし、どうもそんな考え方は間違っている・・・、いわゆる日本の財政を家計に例えて、健全化が正しいとする漠然とした考えには疑問を持つようになってきました。私ごときが、「国債の残高がどんどん増えても大丈夫なのか?」という質問に正しく答えられるわけもありませんが(多分誰も真の答えを知らない・・・)、最低限、国が支出を切り詰めることが、結果として国民の幸せになるのかということに関しては“否”という理解をしています(特にデフレ下の現在では)。これは、説明する自信がついたら(永久に説明できない説が有力ですが、笑)語っていきたいと思います。

 結論を言うと、何となく正しい、何となく正義という「漠然とした」思いは、大変危険だったなあということです。正しい、間違っている等ということは、はっきり言ってその場でわかるはずもないことですし、国の政策のような大きな事柄は、場合によっては世紀が変わって次世代の人でないと評価できないことかもしれません。だからこそ、「漠然とした思考停止」は問題なわけです。必死に両論考え抜いて出した結論が結果として間違っていたとしても、おそらく間違いと気付いた時点で訂正がきく可能性があります。しかし、ただ熱狂して、一方を敵にして、漠然と出した答えが間違っていた場合、全く訂正がきかないか、あるいは同じ過ちを何度も何度も繰り返すことになってしまうのでしょう。

 よくよく考えてみれば、人間の歴史などまさに過ちの繰り返しです。そして、小泉首相のおそらく誤っていたと思われる政治が、また安倍首相で繰り替えされようとしているような気がしてなりません。しかもバージョンアップして・・・。

 ということで、新自由主義というものを一般化していく作業を進めたいと思います。時代や、人物について、全く新しい切り口で考えて、新自由主義を定義づけていきます。新自由主義を私が定義してどうするんだという話がありますが、戯れ言だと思って、もう少しお付き合い下さい。

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