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2014/01/30

新自由主義の群像-学問のすすめ

 多くの著名人が散々「福澤諭吉」という人物の評論をしてきたと思うわけですが、その彼に、典型的新自由主義者のレッテルを貼ろうとしているのが、素人同然の私でございます。

 過去の記事を読んでいただいている皆様方には、何度も書いているのでご理解いただいているともいますが、私は新自由主義を一般化しようとしており、新自由主義=絶対悪とは考えておりません。あくまで相対的なものであり、逆の概念である新平等主義とその時代その時代において綱引きをして物事が決まっていくと考えています。まあ、要するに前回同様、福沢憎しで今回の話を始めたわけではないという言い訳でございます。

 さて。福澤諭吉と言えば、「学問のすすめ」が有名ですが、その冒頭に出てくる

天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず

という一節の引用は特に有名です。さらに、「天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく・・・」と書かれており、一見すると人類普遍の平等論を唱えているように考えられているのが、この「学問のすすめ」ということになります。しかし、その後を読み進めていくと、単純な平等論とは、全く意味が違うというのがわかります。というのも、万人が万人皆同じ位と言いつつも、実際には、賢い人、愚かな人、貧しい人、富める人、貴人、下人と著しい差が出てしまうわけですが、その理由について、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」という言葉を引用し、

賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり

と書いています。要するに、人間生まれながらにして、スタートラインは皆同じなのだから、もし差ができてしまうとするならば、それは学問をしたかしなかったかの差である。だからこそ勉強しろ!努力しろ!と学問を勧めているのが、「学問のすすめ」ということになりますか。

 ちなみに、「学問のすすめ」によって、学問を勧める、福澤の最大の目的は「日本国の独立」にあったようです。学問のすすめは明治4年から世に出ていますから、まだまだ江戸の雰囲気の残る日本において、いつ何時、西洋列強に飲み込まれるかもしれないことを憂いての啓蒙書と思われます。一国家の独立のためには、一国民一国民の独立が必要であり、一国民の独立には学問が必要というわけですね。国民一人一人を奮い立たせて、レベルアップ、ボトムアップを狙っていたのでしょう。

 というわけで、またまた、私の考える新自由主義の定義を再々再掲してみます。

 新自由主義とは「全ての個人が能力的に平等であることを前提とし(或は、個人の能力差を不平等であるとは認識しない)、努力したものが報われ、努力しないものは自己責任とする社会を実現すべく、固定化した制度や概念を出来るだけ排除していくことを旨とする主義主張」

 新自由主義の前提条件として、全ての個人が能力的に平等であると考えるわけですが、それは、まさに「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」という言葉そのものであって、賢人と愚人、貴人と下人の差は努力の差であるとしている時点で、まさに学問のすすめの考え方は、私の考える新自由主義の定義と全く同じ考え方だといっていいでしょう。

 固定化した制度や概念の排除という意味で福澤は、特に下の身分の人々へ発破をかけていると思われます。目指すは、江戸時代のような、お殿様が政治を牛耳る世の中ではなく、一人一人の国民による国民国家だったと考えられますから、国家というものを全く意識してこなかった身分の人々に、国家の独立というものが、一国民の独立の集合であるということを意識させ、支配されているという根性を根本から変えようというのが、この「学問のすすめ」の大きな目的だったと考えられます。

 江戸末期、明治初期のように、まさにこれから世界に対抗すべき国力をつけなければならないという時に、ガチガチの身分制度を取っ払って、のびのびと国民一人一人が活躍していかなければならないとするならば、まさに、新自由主義的な政策を進めることが最も合目的であり、それを啓蒙しようとした福澤が、現在も一万円札の肖像にされるほど国民から敬愛されることは、特に不思議でも何でもないことでしょう。

 ただし、当時百万部のベストセラーといわれる「学問のすすめ」に対する評価について、私は若干角度の違う見方をしています。

 誰しも、「学問のすすめ」によって、当時の日本人の意識が底上げされた(ボトムアップ)と評価していると思いますし、当然福澤自身も、この底上げ効果を狙って「学問のすすめ」を書いたと思われます。現実に、当時の日本人の意識が、これによってどの程度底上げされたかは測定のしようもありませんし、底上げ効果が無かったとはとても言えませんが、しかし、この啓蒙書による日本人への効果は、底上げ効果というよりも別の効果によって日本の独立に貢献したのではないかと考えているのが、屁理屈屋の私でございます。

 別の効果、それは、「学問のすすめ」の言わんとする内容が「新自由主義」的なのですから、当然、その内容に感動し刺激され、行動した人々も新自由主義的な人物だったと考えられることです。すなわち、過去記事に書いているように、「優秀で能力があって努力できる人」たちへこそ、絶大な効果があっただろうと思うのです。大半の、優秀でない、ごく普通の一般人が、どれほど底上げされたかは、上に書いたように測定のしようもありませんが、おそらく、極一握りの優秀な人々が、野に埋もれてしまうのを防ぎ、日本の独立を引っ張るリーダーとなるきっかけになる効果の方が遥かに大きかったのではないか・・・、というのが私の考えなのです。すなわち、つまみ上げ効果(ピックアップ)こそが、「学問のすすめ」の真の効果と考えられるのです。

 過去記事にも書いてきたとおり、バカ(あなたであり、私であり、平均的な一般国民)が、そうそう、一冊の啓蒙書によって意識を変えられるわけはないのです。新平等主義的に言えば、人間は生まれながらにしてスタートラインは同じではなく、個々に相当の個人差が存在します。したがって、個々の能力差によって、納まるべきところに納まるのが世の中というものです。しかし世の中が変わろうとしている中で、江戸の身分制度の気風のまま納まるところに納まり、埋もれてしまいそうな人物の拾い上げが絶対に必要だったわけで、その一躍を担ったのが、「学問のすすめ」ではなかったのでしょうか。

 ということで、福澤諭吉こそ、典型的な新自由主義者であるというということをぜんぜん書けませんでしたが、新自由主義の教科書?といってもいい、「学問のすすめ」を書いた方ですから、だいたい想像がつくでしょう。もちろん、「学問のすすめ」を新自由主義の教科書なんて評価しているのは、この世で私くらいのものなのでしょうが・・・。

 次回は、もっと新自由主義の教科書的書物の紹介と、ブラック企業の対比なんかしてみましょうか。

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コメント

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投稿: beijing escort | 2014/02/21 01:36

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