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2014/07/17

人間相対性理論(医学と料理人の曖昧)

 私は職業柄やぶ医者をやっていますが(久しぶりにこの台詞が出た!)、一般に医学というのは、科学であると考えられています。正常な人間の仕組みがあり、病気となる原因が存在し、そして薬や手術で、その原因を除去したり、人間本来の治癒能力を引き出したりするわけで、その思考過程は、曖昧を許さない科学であります。

 と言いたいところなのですが、現実には、理路整然と診断や治療ができるわけではありません。現代の医学の知識ではまだまだわからないことも多いのです。しかも人間の体の仕組みはまだまだブラックボックスであり、例えば薬剤を投与した時、その期待される機序通りに効果が出るかどうかは、実際投与してみないとわかりません。しかも、個々の人間が、それぞれ違ったブラックボックスであるため、効果が出る症例、出ない症例、むしろ副作用が強く出る症例・・・といった具合に、一定の効果が期待できないことも多々あるということになります。

 診断も同じで、所詮病名というのは、人間が医学という学問を仕立てて整理整頓したものに過ぎません。神様が、こういう病気があって、この病気の特徴はこうこうこういうものだと教えてくれたわけではないのです。従って、しっかり「~病」と診断することが出来ない場合や、病気の特徴に例外というものが絶えず存在し、我々を悩ますことになるのです。

 実はそれだけではありません。人間個々に性格の差というものあります。医学的ではない話ではありますが、場合によっては、患者その人の性格をくみ取って治療を選択していかないと、本人の人生への納得を得られないこともあるかもしれません。

 まあ、そんなこんなを考えてみると、「医学は科学であるという探求心を決して忘れてはならないけれども、実臨床となると、教科書や論文に書いてある、理路整然とした病理的作用機序や診断分類法を、「絶対的真理」と考える方が、答えを得にくい場合もあるなあ・・・」というのが漠然とした私の気持ちなのです。
 
 そんな私が大事にしているのが、結局のところ「経験則」ということになりましょうか。医学にふさわしくない言葉ではありますが(偉い先生に見られたら怒られるのだろうなあ・・)、いわゆる経験に基づく「かん」と「さじ加減」ということになります。ただ、この経験則というものは、まさに「曖昧の世界そのもの」だけに、これを強調しすぎると医学が科学からどんどん離れてしまいます。そして、これをよしとしない雰囲気が、現在の医療の世界に相当に強いと感じています。

 私が考えていることは、前回ともつながる?ことですが、料理をつくることを考えればいいでしょうか。例えば、NHKの今日の料理のレシピを参考にすれば、そこそこおいしい料理が作れるのでしょう。塩が小さじ1杯、醤油が大さじ2杯・・・、さらに、強火で10分煮る・・・等と事細かに書いてあるわけですから、その通りやればいいのです。その参考書に、曖昧な表現はありません。(ちょっとあるかもしれないけど無視・・・)

 ただ、それで、この世で一番おいしい料理ができあがるかと言われれば、あくまで、そこそこの料理ができるとしかいいようがないでしょう。曖昧ではないため、一見ぶれがないようですが、それで超絶料理ができるものではないと思います。
 有名シェフであれば、その日届けられた食材の違いや、気温、湿度、あるいは、客の好みを考えた上で、「かん」による塩や醤油の「さじ加減」を行い、最高の料理を作り出すと思われます(あくまで想像・・)。

 では、気温何度、湿度何度、魚がどういう状態の時に、塩加減はどうするのかというマニュアルが存在するのかといえば、当然そんなものは無いと思われます。バリエーションが無限大であり、マニュアル化は普通不可能です。そこで結局のところ、上記のごとく、シェフの経験に基づく「かん」による塩や醤油のさじ加減がされた後、味見をしてさらに調節するという手順でおいしい料理が作られることになると考えられるわけです(あくまで想像・・・)。

 ここで問題にしたいことは、料理の世界で、味見をして後から加減を調節することを”よし”としない雰囲気があるかどうかです。つまり、そこに食材があり、そこに調味料があり、気温や湿度や、調理器具の具合を勘案すれば、料理を作る前に、適切な塩や醤油の量が本来決定されているはずだ・・・、そして、その塩や醤油の量をマニュアル化し徹底すべきで、「かん」による「さじ加減」で調理した上に、味見して調節するなど邪道である!・・・という考えがあるかないかです。

 もちろんそんな話がないのは当然です。皆さんは、おいしく仕上がるはずの塩や醤油の量は本来決定されているはずだから、その量を忠実に守って作られた、おいしいはずの料理がいいですか。それとも、シェフが、最後に味見をしてちょっと調味料を追加し、おいしく仕上げてくれた料理がいいですか。まあ、聞くまでもないことだと思いますが、私なら当然、科学的で絶対的ではなさそうだけど、シェフの「かん」という曖昧さから生まれた後者の方を選びますね。

 ところが、それが、科学たる医学となるとそうはいきません。原因(病因)があるから結果(症状・病態)があるはずですから、症状・病態を突き詰めれば必ず病名が決定することになります。そして病名が決定すれば、必ず適切な治療が決定されることになります。なぜなら、医学とは科学であり、必ず科学的で適切な答えがあるはずだからなのです。

 ということで、医学は現在、どんどんマニュアル化が進んでいます。治療のガイドライン化、根拠のある治療法の提示、それに基づく治療アルゴリズム化など、医者がやぶでも治療が出来るように懇切丁寧に方針が示してあり、私も重宝します・・・。これを料理に当てはめると、NHKの今日の料理を見ながら診療に当たるのと同じなわけですが・・・、おっと、これ以上言うと、権威の先生方から刺客を送られるので、このあたりにしておきます(汗)。でも、別の言い回しで、今後も私の意見は書いていきますけど・・・。

 勘違いされるといけないので、「基本が大事である」ということは、強調しておきます。ただその中で、マニュアル化という科学的根拠に基づく“絶対”と、経験に基づく曖昧という“相対”が、丁度バランスをとることが重要だと考えている今日この頃のやぶ医者の私なのですが、なかなか世の中は微妙な方向に進んでおります・・・。
さらに続く・・・。

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