« 2014年7月 | トップページ | 2014年12月 »

2014/09/28

人間相対性理論(社会保障制度の曖昧)

 同じ社会に生活している以上、困っている人がいれば助けなければならない・・・と考えるのが日本人というものですが、昨今、いろいろな意味で、他人を助けることへの疑問というのが、あちらこちらで聞こえるようになりました。

 一般論として、社会的弱者を助けるということに疑問を感じる人は少ないのでしょうけど、どうしても、「弱者を助ける制度」なるものができてしまうと、そんな制度に頼らず生きていこうというまっとうな人々がいる反対側で、インチキしてでも、その制度に乗って楽をしよう、という輩が出てきてしまうものです。そんなインチキ野郎や、おサボり人間の実例を目の当たりにすれば、「あんな奴らを助ける必要はない!!」と思うのも、これまた人間というものです。

 例えば、生活保護を受けながら、しっかりスマホを持っていたりして、たばこがやめられず、パチンコ三昧なんていう人がいるわけです。そんな人が、「息が苦しい」と言い出して、医療機関にかかっても、医療費はしっかり出してもらえて、入院もできる。たばこをやめろと言っても、聞く耳を持たないなんてなれば、カチンと来るのも仕方がないでしょうか。

 また、昨今の不況から、職に就けない人や派遣切りなどが話題となったことがありました。これらの方々にも、場合によっては、それこそ生活保護の申請をという話しもあったと記憶します。しかし、こんな話に対しても、失業保険などを充実させると、職を探そうとしないから逆効果だとか、ましてや、生活保護なんて簡単に認めていたら、その方が楽だと思う輩を大量生産してしまうではないかと言った批判も耳にするわけです。

 つまり、「弱者を助ける制度を充実させれば、多くの人間を堕落させてしまうだけではないか・・・」という考え方ですが、私も昔は「そうだよなあ」と漠然と賛成していました。以前、新自由主義の群像-自助論とブラック企業というエントリーでも、「自助論」の一節を取り上げましたが、まさに内容は同じことです。

外部からの援助は人間を弱くする。人のために良かれと思って手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失いその必要性も忘れるだろう。

 最近、政治の世界において、上記のようなある意味極論を訴える政治家を見かけることがあります。極論、すなわち、自助論の精神そのままに、「弱者救済制度は百害あって一利無し、自立を妨げるだけである、廃止するべきだ」という訴えです。もちろん、そういった政治家は、一方で「本当に社会として助けるべき人々が、現実には助けられていないことも多い、本物の社会的弱者は助けるべきだ」ということをペアとして当然訴えています。すなわち、インチキ野郎やおサボり人間は当然助ける必要はなく、そうでない本物の社会的弱者はしっかり守っていこうというわけです。

 そう言われれば、もしかしたら皆様方もその通りだと思われるかもしれません。しかし、そんな簡単にそのような理想論が達成できるのでしょうか。残念ながら、私自身が考えているこの人間相対性理論の方程式を解いてみると、決してそんな解は導かれないということを感じています。解があるのかといわれると、実は解はないのですけど・・・、解は、どこまでも曖昧であるということしか導かれません・・・。ということで、いつもの私の屁理屈を始めてみましょう。

 助けるべきではない人間と、助けるべき人間。何かしら、制度を設けたとするならば、前者と後者を明確に別ける定義を設定しなければなりません。すなわち、どこかで線を引いて、こちら側の方々は助ける、こちら側は助けないとするわけですね。さてさて、そんなにすっきり、みんなが納得いくように線引きというのはできるものなのでしょうか。結論から言えば、私は、そんなことは絶対に無理だと考えているのです。

 つまり、どこかで線を引けば、必ず、矛盾する事象が生まれるということです。この人は助けていいような気もするが、助けない方のカテゴリーに入っているという場合と、こんなやつ助ける必要もなさそうなのに、助ける方のカテゴリーに入っているという場合が必ず生じるということです。それは、絶対的な意味として、矛盾する事象が生じるとも考えていますし、助ける・助けないという概念が、人それぞれ相対的に違う(極めて曖昧な概念である)という意味でも、全ての人に納得してもらえる線引きなど無理だと考えるのです。

 例えば、職場に馴染めず、すぐやめてしまうことを繰り返し、結局生活保護を受けているような一人暮らしの方。これは、ただの本人の堕落と判断しますか?、それともやむを得ず、社会的弱者の一人と認めますか?。生活保護を打ち切れば、嫌々ながらも働き続けると思いますか?。仮に働かず飢え死にしても、それは自業自得だと考えますか?。
 こんな事例であれば、私自身は、生活保護を受けざるを得ない事例と考えますが、実際には本人の確信犯的な堕落かもしれず、まあ、判断するのは無理というものです。そんなことを考えれば、線引きなんてたやすくできるものではないと思いませんか。

 そんな線引き不全を回避する方法は、私が考えるに一つしかありません。すなわち、みんなが信頼できる特定の神様のような人物に、助ける・助けないというすべての判定をゆだねるという方法です。この人は、助ける、こいつは助けない、という判断をその信頼できる人物にゆだねわけですね。ただ、そんな神様のような判断ができる人物が存在するのでしょうか。残念ながら日本史上を考えても、南町奉行・大岡越前守様くらいしか思いつきませんがね・・・。

 結局のところ、万人が納得のいく線引きは存在しない、というのが私の結論です。であれば、どうするかといえば、線引きの位置をその時の社会情勢や考え方に合わせて引きなおすしかないと思うのです。つまり、できるだけ弱者を助けるべきだと判断するのであれば、多少おサボり連中も助けてしまうことになるけれども、それには目をつぶって、より多くの弱者が助かるように線を引く。反対に、できるだけ自立を促したいのであれば、本来助けるべき弱者が保護を受けられない事例が出てしまうかもしれないけれども、それには目をつぶって、おサボり撲滅ができるように線を引く。そういう線の引き方しかないでしょう。

 私はどう考えているかと言えば、現在の格差拡大社会においては、多少おサボり連中を助けることになっても、弱者を救うべく線引きするべき時代だと思っています。これは、まさに新自由主義批判そのものであり、一見それらしい、おサボり撲滅の考え方が、非常に強い格差拡大圧力であると考えているから他なりません。個人の自立への啓蒙と、日本社会全体の幸福を混同してはなりません。新平等主義的国家観を持って考えないと、ただの個人主義に収斂していくだけのことです。それは、本来の日本の姿から、どんどん離れていくことになるだけのことですから・・・。

 線引きの曖昧論、ご理解いただけるかどうか自信はありませんが、引き続き曖昧の世界へ、皆様をご案内いたします。
 
 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!

 かなり前からツイッター始めています。よろしければfollowしてください。そんなにつぶやいていませんが。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2014/09/01

人間相対性理論(再び歴史家の曖昧)

 評論家と呼ばれる方々についての雑感は、過去にも何回記事にしてきました(評論家評論経済評論家と競馬評論家結果論的評論家による結果論的解説評論はファンタジー)。内容はそれほど変わらない(ほとんど同じ)のですが、絶対相対(曖昧)をキーワードに、もう一度書き直してみます。

 今回は歴史家と呼ばれる方々のお話をしましょう。そのお仕事と言えば、過去の歴史を研究し、その中から重要だと思われる部分を取り出すことであったり、歴史的事実が起きたことの理由を研究したり、埋もれてしまった事実を明らかにすることであったりとそんなところでしょうか。

 さて、当然ですが、歴史というのは過去のことですから、起きてしまった事実をねじ曲げることはできません。歴史的事実の分析において、過去の他の歴史家とは違う解釈をすることはあるでしょうが、今さら織田信長は桶狭間で敗戦したとか、関ヶ原は西軍の勝利とか言われても困ってしまいます。したがって歴史家というのは、織田信長がどうして10倍する今川軍を破ることができたのか?、どうして、関ヶ原で徳川家康は勝利できたのか?ということを分析することになります(当たり前です)。

 ここで、ど素人の私が、とんでもない暴言を吐きましょう。例えば桶狭間の戦いで、なぜ織田軍が勝利できたのかということに関して、多くの歴史家の方々が、詳細に分析されているわけですが、その分析に対して、

「所詮、その分析は、結果論ではないのですか?」

と発言したとしたら、確かに暴言以外の何ものでもないでしょう。恐れを知らずとはこのことか?。まあ、お叱りを覚悟しつつも、しかし、屁理屈屋の私の暴言にも、一応理屈っぽいものがあるらしいのです。

 歴史的事実としての明確な結果は、決してねじ曲げられない以上、その結果に至る道筋には明確な理由があってこそ起きたと考えるのが歴史家の立場でしょう。したがって、桶狭間の戦いにおいて、どうして織田軍が勝利を収めることができたのかという、その理由を考察することが歴史家の仕事となります。

 そしてその歴史家の研究による信長勝利の理由が、例えば「徹底した情報収集が行われた」とか「攻撃目標を義元の首一つに絞った」、「雨を幸いに奇襲した」等とされています。しかし、これは、信長が勝ったからこそ、勝ったことの理由としてあげられているものです。ですから、結果論と言ったのです。これらの条件をあらかじめそろえていれば、必ず勝利できたかどうかは神のみぞ知るで、わからないでしょう。皆さんが当時にタイムスリップして、信長の参謀になったとしたら、必ず10倍する今川軍に勝てる自信がありますか??。私はそんな自信、全くありませんね。義元の料理人になって逃げますが・・・。何か?。

 結局のところ、その結果に至る明確な理由があったはずだということが強調されればされるほど、その結果に至ったことは、「必然であった」という結論になってしまうのです。無意識のうちに、現代人のほとんどが、桶狭間の合戦で織田信長が勝利したことを、必然であったと勘違いしているように思います。理由があって、結果がある、したがって、信長はもともと勝利を確信していて桶狭間に挑んだはずだと・・・。もちろん、勝利の確信があったとはとても考えられないというのが私の意見です。

 歴史のような、待ったなしの一回勝負で、必ず勝てるという十分条件が存在するはずだということを突き詰めたとするならば、むしろ、10倍の兵力で敵を攻めるということの方が必勝法だと考えるのが普通ではないでしょうか。しかし、負けてしまえば当然ながら必勝法ではないことが証明されてしまいます。そう考えれば、信長の勝利の理由など、結果論以外の何ものでもないということがよくわかると思います。

 ということで、ド素人歴史家の私彰の介の考える信長勝利の理由は、歴史家の皆様の考察通りの努力や作戦があった上で、「打って出ると決断したこと」と「戦は時の運」(勝利の理由になっていない・・・)という2つなんですけど、納得される方が皆無なのは十分承知の上でございます。

 思考過程は、過去の曖昧シリーズと同じということがおわかりでしょうか。明確な結果があるのだから、絶対的な理由が存在するはずだという思考過程から、絶対的理由を完遂したのだから、結果は必然であったという結論に飛躍してしまうという話です。現実には、数多くの選択肢の中から、実に曖昧な偶然の組み合わせで、ある一つの選択肢が選ばれ、歴史が刻まれていくのでしょうが、人はその結果に対して、なぜか絶対的理由付けを欲し、さらにその流れを必然と勘違いしてしまうのですね。まあ、過去のことは確かに歴史家に任せておけばいいのですけど、未来についても同じように結論を導けると考えている方々がいるので、それはさすがに大変なことだと思っているのですが・・・。

 今回は、過去記事の焼き直しです。今後も皆様方の絶対的必然の世界を、曖昧な世界に引き込む作業を続けたいと思います。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!

 かなり前からツイッター始めています。よろしければfollowしてください。そんなにつぶやいていませんが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年7月 | トップページ | 2014年12月 »