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2014/09/01

人間相対性理論(再び歴史家の曖昧)

 評論家と呼ばれる方々についての雑感は、過去にも何回記事にしてきました(評論家評論経済評論家と競馬評論家結果論的評論家による結果論的解説評論はファンタジー)。内容はそれほど変わらない(ほとんど同じ)のですが、絶対相対(曖昧)をキーワードに、もう一度書き直してみます。

 今回は歴史家と呼ばれる方々のお話をしましょう。そのお仕事と言えば、過去の歴史を研究し、その中から重要だと思われる部分を取り出すことであったり、歴史的事実が起きたことの理由を研究したり、埋もれてしまった事実を明らかにすることであったりとそんなところでしょうか。

 さて、当然ですが、歴史というのは過去のことですから、起きてしまった事実をねじ曲げることはできません。歴史的事実の分析において、過去の他の歴史家とは違う解釈をすることはあるでしょうが、今さら織田信長は桶狭間で敗戦したとか、関ヶ原は西軍の勝利とか言われても困ってしまいます。したがって歴史家というのは、織田信長がどうして10倍する今川軍を破ることができたのか?、どうして、関ヶ原で徳川家康は勝利できたのか?ということを分析することになります(当たり前です)。

 ここで、ど素人の私が、とんでもない暴言を吐きましょう。例えば桶狭間の戦いで、なぜ織田軍が勝利できたのかということに関して、多くの歴史家の方々が、詳細に分析されているわけですが、その分析に対して、

「所詮、その分析は、結果論ではないのですか?」

と発言したとしたら、確かに暴言以外の何ものでもないでしょう。恐れを知らずとはこのことか?。まあ、お叱りを覚悟しつつも、しかし、屁理屈屋の私の暴言にも、一応理屈っぽいものがあるらしいのです。

 歴史的事実としての明確な結果は、決してねじ曲げられない以上、その結果に至る道筋には明確な理由があってこそ起きたと考えるのが歴史家の立場でしょう。したがって、桶狭間の戦いにおいて、どうして織田軍が勝利を収めることができたのかという、その理由を考察することが歴史家の仕事となります。

 そしてその歴史家の研究による信長勝利の理由が、例えば「徹底した情報収集が行われた」とか「攻撃目標を義元の首一つに絞った」、「雨を幸いに奇襲した」等とされています。しかし、これは、信長が勝ったからこそ、勝ったことの理由としてあげられているものです。ですから、結果論と言ったのです。これらの条件をあらかじめそろえていれば、必ず勝利できたかどうかは神のみぞ知るで、わからないでしょう。皆さんが当時にタイムスリップして、信長の参謀になったとしたら、必ず10倍する今川軍に勝てる自信がありますか??。私はそんな自信、全くありませんね。義元の料理人になって逃げますが・・・。何か?。

 結局のところ、その結果に至る明確な理由があったはずだということが強調されればされるほど、その結果に至ったことは、「必然であった」という結論になってしまうのです。無意識のうちに、現代人のほとんどが、桶狭間の合戦で織田信長が勝利したことを、必然であったと勘違いしているように思います。理由があって、結果がある、したがって、信長はもともと勝利を確信していて桶狭間に挑んだはずだと・・・。もちろん、勝利の確信があったとはとても考えられないというのが私の意見です。

 歴史のような、待ったなしの一回勝負で、必ず勝てるという十分条件が存在するはずだということを突き詰めたとするならば、むしろ、10倍の兵力で敵を攻めるということの方が必勝法だと考えるのが普通ではないでしょうか。しかし、負けてしまえば当然ながら必勝法ではないことが証明されてしまいます。そう考えれば、信長の勝利の理由など、結果論以外の何ものでもないということがよくわかると思います。

 ということで、ド素人歴史家の私彰の介の考える信長勝利の理由は、歴史家の皆様の考察通りの努力や作戦があった上で、「打って出ると決断したこと」と「戦は時の運」(勝利の理由になっていない・・・)という2つなんですけど、納得される方が皆無なのは十分承知の上でございます。

 思考過程は、過去の曖昧シリーズと同じということがおわかりでしょうか。明確な結果があるのだから、絶対的な理由が存在するはずだという思考過程から、絶対的理由を完遂したのだから、結果は必然であったという結論に飛躍してしまうという話です。現実には、数多くの選択肢の中から、実に曖昧な偶然の組み合わせで、ある一つの選択肢が選ばれ、歴史が刻まれていくのでしょうが、人はその結果に対して、なぜか絶対的理由付けを欲し、さらにその流れを必然と勘違いしてしまうのですね。まあ、過去のことは確かに歴史家に任せておけばいいのですけど、未来についても同じように結論を導けると考えている方々がいるので、それはさすがに大変なことだと思っているのですが・・・。

 今回は、過去記事の焼き直しです。今後も皆様方の絶対的必然の世界を、曖昧な世界に引き込む作業を続けたいと思います。

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コメント

どうも、自称歴オタでございます。
目から鱗ですね。そうなんですよこればっかりは。勝てた理由なんてあとからひねってつければ、どうにでもなるんです。実際タイムマシーンがあればそんなに悩むことではないのですが、あれ使っちまうと結局微妙な差違が生じる元になるわけでしてw

現在においても、様々な選択と運の結果ですから、リセットがきかないのがまたおもしろいといえなくもないのですよ。

ああ、高校時代に戻ってやりおなしたい。大きな独り言ですwww

投稿: demecchi | 2014/09/05 16:45

でめっち様、毎度コメントありがとうございます。
歴史って、おっしゃるとおり、リセットが効かない、一発勝負なんですよね。

ですから、でめっち様も、私も、高校時代にもどりたくても戻れません(涙)。輪廻転生してやり直すしかありませんかね・・・。

投稿: 彰の介 | 2014/09/05 18:55

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