エリート論と民意
昨今、原発再稼働中止や安保法案反対などのデモが各地で行われているようです。基本的に政府は、原発を再稼働する方向ですし(というか再稼働させた)、安保法案も通すつもりで審議しているのですから、これらデモを行うということは、当たり前ですが政府の方針に反対ということになります。そして、新聞やらテレビやらでは、このデモに対し「届かぬ民意」と表題を打っているところもあります。
民意・・・それを国民の意思とするならば、そして、デモ隊の訴えを、「届かぬ民意」と評するのであれば、デモ隊の訴えは、国民の声を凝縮したものということになります。むむむ・・・、でも原発再稼働や安保法案に賛成の人もいると思うのですが、その方々の民意は民意ではないのでしょうか。また、そもそも原発のことや安全保障についてよくわからない方もいっぱいいると思うのですが、それらを無視して「民意」としてしまっていいものなのでしょうか。デモをすることが民意とするならば、原発再稼働賛成派や、安保法案賛成派が、政府の応援のために大規模にデモを打った場合、「民意が届こうとしている」と評されるのでしょうか。
いやいやいや、たとえば、原発再稼働に関するアンケート調査によれば、再稼働反対の方が賛成の方を上回っているのだから、再稼働反対のデモを民意と評していいと考える方もいるでしょう。私がちょっと検索して出てきた毎日新聞のアンケート調査によると下記結果とのことです(リンク切れ)。
本社(毎日新聞)調査:川内再稼働に反対57%
毎日新聞は8、9両日、全国世論調査を実施した。11日に再稼働する見通しの九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)について、再稼働に「反対」との回答は57%で、「賛成」の30%を上回った。毎日新聞 2015年08月09日 22時32分(最終更新 08月09日 22時55分)
とりあえずわかりやすく、民主主義の原則にのっとり、賛成派の民意は無視して過半数をとった再稼働反対を「民意」としましょう。私が問題にしたいのは、再稼働反対と答えた過半数の人々のうち、一体何%の人が、原発について十分な知識を持ったうえでそう答えたかということです。原発の仕組みについてどれだけ勉強し、電力についてどれだけ勉強し、放射線についてどれだけ勉強し、自然災害についてどれだけ勉強し、多くの意見の違う専門家の話を十分理解して自分の頭でそれらを統合して結論を出した方が何%いるのか。
上記のような原発再稼働に関して猛勉強したうえで自分の意見を持っている方がどのくらいいるのか、もしこれが少ないとなると、根拠のない反対ということになり、賛成派の意見を聞いていないだけで、なんとなく流されている結果ととらえられても仕方ありません。数字には全く根拠はありませんが、想像するに、十分な知識を得たうえで反対している方は、どんなに多く見積もっても1%未満でしょう。それ相応に新聞やネットで知識を得たり、信頼できる知識を持った誰かの意見に賛同しているなどを含めても、これまた根拠はありませんが、せいぜい10%がいいとこだと思います。低すぎるという意見があるかもしれないので、勝手に倍したとしても、真剣に勉強して反対している方2割、なんとなく反対している方8割というのが現実ではないでしょうか。
私は思うのです。本来、原発を稼働させる、させないというような類の話は、極めて専門的であり、それを一般人に考え理解させて判断させるなど到底無理な話だと思うのです。基本的に福島であれだけの事故が起きたのですから、また同じことが起きてはいけないと思う人が多いのは普通に想定されるわけで、再稼働に関する考察なしに反対する人が当然多いでしょう。そんな専門性の高い問題における考察のない意見を「民意」という言葉に置き換え、あたかも「民意は正しい」という前提を作り上げてもいいのでしょうか。「届かぬ民意」・・・、非常にいい言葉ですが、残念ながら体制反対派のプロパガンダにしかなっていない言葉です・・・・
・・・・・、まあ、ここまで我慢してこの文章を読んでいただいた方、申し訳ありませんが、以上トリック記事でございます。どうでしょう、もし原発再稼働反対派の方がこの文章を読んだら、「彰の介というのは、再稼働賛成派で、屁理屈をこねて反対派を攻撃している」と感じ、反論を考えながら読まれたでしょうし、再稼働賛成派の方が読んだら、「そうだそうだ、勝手に民意を語るな!!」と感じながら読まれたでしょう。再稼働賛成派の方には残念なお知らせですが、上記、私の考察が正しいとすると、アンケートにおける再稼働賛成に票を投じた方々の多くもさほど原発の知識を持って危険性について考察されている方は少ないでしょうから、反対派を批判できるものでもないし、まして再稼働が正しいという結果は全く導かれませんのであしからず。
ということで、所詮言葉の問題だと思うのです。
「民意」とは正しいことであるという思い込み、イメージがあり、「民意」によって政治は行われるという民主主義の前提があります。だから、賛成派も反対派も、「民意」という言葉を奪い合うのです。アンケート結果=民意であるとするならば、それを持って反対派は民意であるといい、賛成派は民意に根拠なしと反論し、さらにあくまで民意はアンケート結果ではなく選挙だと主張し、現政権を選んだのも民意だ!!・・・などということになるのです。
私が言いたいのは、上記のように専門性をもって賛成反対を声高く訴えている言論人たち、あるいは、デモのような行為に出る、行動力豊かな人たちを、ある種のエリートと考えているわけですが、このエリートの皆様方は、自分の意見の専門的レベルでの正当性がすべての国民に伝わるはずだ・・・と信じてしまっているということです。そして、アンケートのような曖昧なものであっても、賛同してくれた人々はすべてこのエリートと同じレベルで、専門的知識を共有できていいると錯覚しています。反対の意見の人々には、知識もなく、なんとなく流れに流されただけ、もっと勉強しろ、あの言論人のデマに乗りやがって・・・的な発想に至るのですが、そんな姿を最近よく見ますね・・・。
しかし、実際には、多くの人にその専門性は届いていないどころか、無関心の人も大勢いるわけです。それは、エリート以外の人が勉強しないからいけないのでしょうか。無関心だからいけないのでしょうか。私はそう思いません。社会とはそういう人間構成で出来ているものであり、全員をエリートと同じレベルに上げるなど100%無理です。そして、全ての人をエリートと同じレベルに上げることを前提で事を進めることを全体主義と呼ぶのです(私論)。
私は、言論人は言論人で、みんなの見える言論空間で戦えばいいと考えており、その現場を見せることで、ほんの少しの人でも、知識を持ったり関心を持ったりすればいいと思っています。その中で、少しでも自分の意見をエリート以外に広めようと思えば、民主主義が民意の奪い合いである以上、それらしい、「いい言葉」を使って多少だましてエリート以外の人の賛同を得るのも、それはそれで許されると思っています。だからこそ、社会の代表層たる言論人は、責任が重大どころか、いつでも腹をかき切る覚悟で自分の意見を発しなくてはならないと考えているのです。
ということで、まとまらず結論が自分でもよくわかりませんが(笑)、一つの結論は、私彰の介は、言論人ではない・・・ということで・・・。良い政策は、いい言葉、いいイメージのみから行われるものではないのに、民主主義ではそんなそれらしい、いい言葉を前面いだして宣伝し、エリート以外の票を囲い込むことが許されるという矛盾。私にこの矛盾を解くことはできません。人間社会は、どこまでも曖昧であるというのが結論でしょうか。
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コメント
一部の人はその豊富な知識をもって理論的に反対もしくは賛成をしてはりますが、大多数はその場の雰囲気等でまさしく「勝ち馬に乗る」的な行動をとるはずです。正直なところガチンコで少数意見を語るというのは、相当にエネルギーを消費するものであり、民主主義の原則?「多数決」からすれば、ものすごくむなしい時間を費やすと言うことを覚悟の上でなさいといわれそうです。民意というのは大体が政府の都合の良いことに収斂されていくもの、というかそういう情報操作をされてしまう者なのかと思っています。たとえが良いかはわかりませんが、太平洋戦争末期の大多数の国民と軍部の乖離など、何かしらの権力を持った一部の暴走が、全体の利益を損なう方向に向かってしまうというあれです。実際のところぎりぎりとはいえほとんど原発なしで電力供給できてるし(これはかなり老朽化した火力発電所をフル回転してますから将来的には不安です。)当分はどうにかなるでしょう。どんなものでもメンテナンスしなきゃすぐに故障するのですから、メンテナンスの問題を先送りというか、安全なメンテナンスに不安のある原発よりも、面倒だけれど安全なメンテナンスの出来る他の原発を使いたいですね。ものすごく長くなり自分でも混乱してきましたので、この辺で。
投稿: demecchi | 2015/09/15 13:32
demecchi様、毎度コメントありがとうございます。
「権力を持った一部の暴走が、全体の利益を損なう方向に向かってしまう」
私もその通りだと思います。先の戦争もその通りでしょう。ただ、一部の暴走は、政府など権力に限りません。民意をつかめば、逆転できるのが民主主義です。それらしい言葉、それらしい理屈によって、反権力側の暴走もあり得ます。
暴走と信念は紙一重なんでしょうかね。
投稿: akiranosuke | 2015/09/15 22:13