言論の自由と曖昧論(2)
前回、言論の自由について書いたのですが、もう一度書き直してみたいと思います。言論の自由が当然守られているという現実の中で、ある言論というか意見発信が、
自分の言論は守られるべき、反対者の意見は規制されるべきという、方向に向かっていることを最近よく見かけると書きました。
しかし、それを批判的に言ったことと明らかに矛盾しますが、上記のような言論の自由とは明らかに反する意見ですら、言論という土俵から排除してはいけないというのが私の考えなのです。
わかります?。
「自分の意見は正しいのだから、正しくない他者の意見は言論の自由には当たらないから、排除されるべきだ」的な言論でさえ、言論の自由は保障しているということです。
だからこそ逆に、いくら保障されているとはいえ、上記のような自分の意見のみが正しい的な言論には、辟易ですし、ある意味極めて危険だと感じます。そのあたりが極めてあいまいなわけですが、曖昧だからこそ私的には、そういう自分中心の言論は慎みたいと感じるばかりです。そして、いくら相手が間違っていようと、相手のやり方が汚かろうと、それこそ、言論封殺をちらつかされて自分の意見を攻撃されようとも、残念ながら、それはやはり言論という土俵の上で戦うしかないと感じています。
いやいや、場合によって相手はその土俵から自分の言論を封殺しようとしているのに言論の土俵で戦うしかないなんて、彰の介は馬鹿か??って言われそうですね。しかし、現実現代の日本社会であれば、それやすやすと封殺なんてできません。封殺されそうだ!!的な言論の場が、必ずどこかに存在しているものでしょう。そうした封殺の動きこそ、むしろ悪いイメージを国民に与えかねない、自爆のような気がしますが。
そして、もう一段ややこしい話をすれば、それでいて私は、たやすく「言論の自由」「言論封殺」なんて言葉を言論に持ち込むべきではないとも感じているのです。というか、それらが持ち込まれている言論こそ、「自分の言論は守られるべき、反対者の意見は規制されるべき」という言論の応酬だと言いたいのです。つまりは、レベルが低いのですよ。
レベルが低い・・・、ついつい本音を書いてしまいましたが、誰かがレベルを下げてしまうと、言論の自由の下では、そのまますべての言論のレベルが下がってしまいます。
言論の自由とは、自由ゆえに曖昧で、ルールがあってないが如くなってしまう。だからこそ、言論の自由を振りかざすな、それこそあってないけどルール違反だ・・・という、私彰の介の超超屁理屈を一気に書きなぐってみました。
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コメント
おいらも一応40を過ぎたいい大人のはずですが、自分と対立する意見にはどうしても規制をかけたくなっちゃいますねw
自分の中のこだわりを捨て去り、平らな目で見なければ本質はつかめないのでしょうが、こだわりのある面については頑固なO型人間(科学的根拠はない)なので、そんなことが出来ないおいらは言論の自由をうっかり口にすべきではないですね。
投稿: demecchi | 2016/03/09 14:16
でめ様、毎度コメントありがとうございます。
偉そうなことを言ってすみませんが、こだわりのある点、譲れない点については、自分の意見を言えばいいと思います。「言論の自由」ですから・・・(たやすくいってみました・・・)。
私、普段静かで、突然噴火型のA型ですが(話とは関係なし)、私には私の意見があります。ただ、いくら相手の意見が間違っていると思っても、言論から退場させてはいけない。むかつくしかないんですね。むかつきますけどね。
また、よろしくお願いします。
投稿: 彰の介 | 2016/03/09 21:43