民意とエリートと衆愚政治
民意とは何か。わかりやすく、国民の多数決の結果であると多くの人が思っていますが、果たしてそうでしょうか。(以前のエリート論と民意がわけのわからない文章になったため、ある意味書き直しです。)
例えば、私が、「消費税増税絶対反対、アンケート結果からも増税反対が過半数を超えている。政府は民意を聞け!」と意見発信した場合、その文章はいかにもそれらしいわけです。しかし、そのアンケートに答えた国民というのは、日本の税制、財政、経済、その他を熟知したうえで、そう答えているわけではありません。それこそ、「日本の財政は火の車である。増税に反対というのはただ税金を取られるのが嫌なだけ。そんな内容のないアンケート結果を民意とは何事!」と言われれば、確かにそうかも・・・なんて思う方もいるでしょう。
私の民意に関する考えはこうです。国民の大半は、難しいことはわからないか、無関心です。馬鹿にしているわけではありません。過去のエリート論に述べてきたとおりです。すべての国民が例えば日本の政治や財政や経済についてペラペラ話し出したら、その方が気持ち悪いというものです。よく、国民はもっと政治について関心を持って、政策について考えるべきだなどとそれらしい意見を言う人がいますが、むしろ、そういう意見を発信する人間が、国民の中の少数派の政治マニア(エリート)であって、多くの国民は政治マニアではありません。そんな政治マニアでない大多数の国民にアンケートなどを取れば、なんとなく賛成か、なんとなく反対か、よくわからないと答えるにすぎないわけです。
したがって、それこそ消費税率を上げるべきでない、いや上げるべきだと言い合っているのは、国民のごく少数派の政治マニアがさらに2つに割れて論争しているだけであり、その定義が国民の多数決の意見とするならば、民意などとはとても言えない代物であると私は考えているのです。
敢えて私なりに民意というものを定義するのであれば、現在使われている文脈で民意というものを考えるのであれば、
私の意見、それが民意としか、言いようがないと考えています。
例えば、私自身は、消費税の増税はするべきではないと考えています。したがって、私にとって、消費税増税反対というのが民意です。なぜなら、私なりに勉強して、それが正しいと信じているからです。増税するとさらに国民の格差拡大、貧困化につながると信じているからです。消費増税に賛成することは絶対に間違いだと信じていますから、アンケート結果がひっくり返ったとしてもそれを民意とは認めません。
という意見なので、本当は書きたくないのですが、その流れで消費税増税賛成の方にとっては、消費税率を上げることが民意です。消費税を上げないと、財政が成り立たない等々と信じているわけですから、それが日本の未来にとって良くないと信じているわけですから、それこそが民意なわけです。アンケート結果がどうであっても消費税増税反対を民意とは認めないでしょう。
少数の政治マニア(エリート)の論争が「民意だ!民意だ!」と叫びながら言論空間で戦われ、国民全体の多数決という定義での民意の奪い合いを起こします。そして、勝った方は「民意の勝利」「民主主義の勝利」「国民は正しい判断をした」等とそれらしく勝ち誇り、負けた方は、「衆愚政治だ(馬鹿な国民が誤った判断をした)」等と嘆くことになるのでしょう。民主主義の限界を、或いは、ポピュリズム的な政治動向を「衆愚政治」と大昔の偉人の時代から言ってきたと思うのですが、それはその実、上記のようなエリートによるただの敗者の弁に過ぎないというのが私の意見です。
しかも、自分の意見が正しいと思えば思うほど、いかなる方法を使ってでも民意を奪い、政治経済等をより良い方向に向かわせたいと思うものです。しかし、実は、全く正しくなく、どんどん国民を不幸のどん底へ陥れることもあるわけです。つまり衆愚政治の犯人は、衆愚たる国民ではなく、間違った自分の意見を強弁し強要する一部のエリートということになるのではないでしょうか。
昨今、自分の意見が正しいと思えば、あのヘイトスピーチも真っ青の暴言を平気で書き綴る人たちがいます。しかし、実際には私の意見も含めて、自分の意見が正しいのか、間違っているのか、それは神様しかわからないのですから(ある種の曖昧論)、もう少し謙虚になるべきとも思いますし、この駄文が謙虚にかこつけて攻めるだけの方々に対する批判になればと思います。
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