(再)メジャーマイナー論
私立の地元色の薄い学校が活躍することの多い昨今の高校野球で、公立の農業高校、金足農業が大活躍しています。無論、頑張っているのはみな同じで、地元も、他県も、私立も、公立もないわけですが、火が付くと、そこだけを応援してしまう報道姿勢にはいい加減辟易です。
ということで、全く検索もできなくなっているので、このえこひいき報道への批判?考え方?屁理屈?である、私のものすごく古い記事をここに(少し改変して:古い部分は注を入れました)再掲します。今も昔も全く変わっていないのがよくわかりますねえ。
メジャーマイナー論 2004/11/27の記事
メジャーマイナー論とは何か。簡単に言うと、多くの人から応援されたり勝って欲しいと思われる人やチームをメジャー、逆にメジャーの引き立て役になったり、負けて欲しいと思われる人をマイナーと呼ぶ私の造語です。時にマイナーというのは不当に悪役にされたり、報道されたりするので、その救済っていうのがメジャーマイナー論の1つの主旨であり、また、人間というものは常にマイナーへ落とされる可能性があり、その精神論を唱えるのも、メジャーマイナー論です。
具体的な例を1つ。ただいま、女子プロゴルフの賞金王争いが熾烈になっています(注:当時の話です)。女王不動(ふどう)か、新生宮里(みやさと)か、明日のリコー杯の結果にかかっています。この二人の真剣勝負・・・、と言いたいところですが、どうも世間では、どちらかというと宮里藍に逆転で賞金女王になってもらいたいと言う雰囲気が強いように思われます。この、賞金女王になってもらいたいという立場にたった宮里のことをメジャーと呼んで、逆に負けて欲しいと思われている不動の立場をマイナーと呼んでいるわけです。これが如実に現れているのがテレビやら、新聞などの報道です。とても平等にどちらが勝つかなんて感じではありません。逆転賞金女王誕生といわんばかりの雰囲気でニュースで紹介され、新聞に書かれています。一見すると、「そんなに偏った報道ではないのでは?」と思うかもしれませんが、それは気持ちの上で宮里が勝ったらいいなって思いつつ新聞なんかを見れば偏りは感じないかもしれません。おそらく不動ファンの立場から見ると失礼なって感じがするのではないでしょうか。ちなみに私は宮里藍と結婚したいぐらいの宮里ファンなんですが(本気!)、残念ながら私の性分なんでしょうか、このメジャーマイナー論が染み付いている私は、このようなメジャーマイナー化が起きてしまった時点で賞金女王は不動さんになってもらいたいと思ってしまうんですね。そうでなくても、もう少し報道は世間受けではなくて、メジャーマイナー論的な意味で平等に扱えないものかと怒りを覚えるわけです。これは判官びいきではありません。判官びいきは、判官びいきされている人がメジャーですから、ちょっと違います。
こんなメジャーマイナー論的な例はスポーツ等勝負の世界でよくみられます。相撲の世界でいうと、「小錦(注:ハワイ出身の巨漢力士)」、今風に言うとKONISIKI?なんかはマイナーの典型だったでしょう。とにかく彼が勝つと場内にため息が漏れ、負けると割れんばかりの拍手で包まれる。あんな状況でよく戦っていたものだと感心したくなります。しかし、皮肉なことに、彼は大関を陥落し、負けがこむようになったら半メジャー化し、全く逆の状況になりました。つまり、弱い小錦なら受け入れるってことですから世間は厳しいものです。
私の大好きな将棋の世界でもありました。羽生善治が前人未踏の7冠(注:永世7冠ではない)達成目前のとき、羽生君がメジャー化、相手の谷川浩司がマイナー化しました。将棋なんて全く知らない世間の人が、なんかかわいらしい天才が偉業を達成しそうだぐらいのノリで羽生君を応援し、戦っている最中なのにもう7冠達成みたいな報道がされました。谷川浩司って知らない人が多いかもしれませんが、十七世名人の称号を持っているえらい棋士なんです。ちなみに羽生君は永世名人の称号は持っていません。どちらかと言えばメジャーな道を歩んできたはずの谷川浩司が突然世間から仇役にされたときはどんな気持ちだったんでしょうか。自分が負けたほうが世間は喜ぶんですから・・・。
もしかすると、皆さんの中には、「勝負の世界であれば、世間からどう言われようと、どう思われようと、勝てばいいじゃないか」と思われたかもしれません。それはそれでおっしゃるとおりです。そんな逆境の中で負けたとき、世間が冷たくて・・・なんて言い訳にもなりませんし、勝負自体には何も不正やハンディはないのですから。また、応援するのにも、「宮里と結婚したいんだったら、普通に宮里を応援すればいいじゃん」と思われたかもしれません。それもまたおっしゃるとおり。ファンなのに応援しない方がおかしいといわれれば確かにそのとおりです。それを、全く否定するつもりはありません。それはそれ、そんな状況に遭遇すると、いつもの私の屁理屈的な思考が動き出してしまうのです。私は、マイナー落ちした人を応援したいんです。不当な報道に物が言いたいんです。世間の向いてる方向の逆を向きたいんです。なぜって、それは、「そこにマイナー落ちした人がいるから」としか言いようがありません・・・。
追記:コメント欄より
(上記記事の主旨は)主に報道に対する不満ですね。あるいはそんな報道に乗せられるのではなく、純粋に勝負として、勝負している当人の背景をよく知ろうよ、という訴えです。それを大げさに、極端に、「マイナー落ちした人を応援」としました。
メジャーマイナー論と報道のセンス 2006/8/25の記事
「時を考える」さんが何で勝った人を褒めないの?という記事をアップされています。先日の高校総体で、卓球の愛ちゃんが負けちゃったという報道がされたのですが(注:愛ちゃん=福原愛 当時高校生)、勝った相手の宇土さんが全く相手にされていないと言う話です。これは、私が勝手に提唱するメジャーマイナー論の一端と考えていいでしょうか?(注:上記記事)。
メジャーマイナー論の説明を、前の記事から簡単に抜粋して整理すると、
多くの人から応援されたり勝って欲しいと思われる人やチームをメジャー、逆にメジャーの引き立て役になったり、負けて欲しいと思われる人やチームをマイナーと呼ぶ。時にマイナーというのは不当に悪役にされたり、報道されたりするので、その救済がメジャーマイナー論の1つの主旨であり、また、人間というものは常にマイナーへ落とされる可能性があり、その精神論を唱えるのも、メジャーマイナー論である。(マイナーへの考え方であり、メジャーにケチをつけるのが主旨ではない)
ちょっとパターンは違うかもしれませんが、上記愛ちゃんのニュースで言えば、愛ちゃんがメジャー、宇土さんがマイナーであり、愛ちゃんに勝ってみごと優勝したのにもかかわらず、愛ちゃんが負けたことをより強調するための引き立て役にされただけで、たたえられるわけでもなんでもないということです。勝手に想像するに、次回この両者が対戦すれば、より愛ちゃんがメジャー、宇土さんがマイナー化されて報道されるでしょう。リベンジして愛ちゃんが勝ったりすれば、まさに仇を討ったような話になってしまうことは想像に難くありません。勝っても負けても、引き立て役に過ぎない、そんな役柄を作り出してしまう報道というのはどうなんでしょうね。それとも、報道が悪いというより、メジャーをより引きたてる報道を欲している、我々の側に問題があるのでしょうか。
ところで、先日の高校野球(注:2006年当時です)では、日本中に大ブームを起こした?人物が現れました。もちろんその人は、ハンカチ王子こと早実の斎藤佑樹投手です。その端正なマスクに溢れる汗を、ハンカチで拭う姿がとてもかわいいという話ばかりでなく、歴代の大投手ともひけをとらないその活躍に、彼は連日ワイドショーで取り上げられることになりました。
その活躍や、彼の甘いマスクを嫉妬こそすれ(笑)、否定するつもりは全くありませんが、メジャーマイナー論的には、彼への報道というものは、実に危ういものだったと感じています。要するに、彼は事実上メジャー化してしまったわけですが、彼の人気をあおればあおるほど、相手の駒大苫小牧高校や、そのエース田中投手がマイナー化するという現実があったということです。まあ、双方の活躍をたたえるということで、ぎりぎり、ひどいメジャーマイナー化は抑えられたかも・・とは思っていますが、そんな危機感が報道にあったかどうかは疑問の残るところです。特に、斎藤投手がワイドショーに取り上げられたのが、決勝戦当日の朝、さらに、引き分け再試合となったその当日の朝であったことは、その危機感のなさ、報道のセンスのなさを非常によく表していると考えます。互いに全力を尽くして戦おうとしているその当日に、斎藤投手のいとこからハンカチの出所を聞き出したり、同級生に斎藤投手がどんな少年だったかを聞き出すインタビューを報道するなんて、危機感もセンスも何もないと考えるのは私だけなのでしょうか。いずれにしても、駒大苫小牧高校および田中投手が、早実および斎藤投手の引き立て役になりかけた事実は、メジャーマイナー論的に見逃すわけにはいかないのです。
しかし恐ろしいのは、ハンカチ王子というメジャーが現れたからこそ駒大がマイナー化したわけですが、一歩間違えば、駒大がメジャー化し、相手チームがマイナー化したかもしれないということを考えなくてはなりません。特に今大会では、駒大が「甲子園夏三連覇」という大偉業を抱えていましたし、さらに春の選抜を不祥事で辞退していましたから、「そのつらさを乗り越えた」な~んてことを大々的に報道すれば、優勝してもしなくても、相手チームがただの引き立て役につくりあげられた可能性は十分にあったと考えられます。
まあ、偏屈な私が、そんななかったことまで心配してしまって、報道の皆さんには申し訳ありませんが(笑)、残念ながら、現在の報道にメジャーマイナー論的視点はほとんどなく、話題性や視聴率が上がればいいというのが現実でしょう。「自分が負けると、世間が喜ぶ」というマイナー化は、勝負師であれば乗り越えなくてはならないものかもしれませんが、しかし、自分達がメジャーやマイナーを創り出しているという危機感を、報道には常に持ち続けていただきたいと考えている、偏屈男の彰の介でした。
追記:マイナー化されかけた、田中投手は、その後メジャーに行ってしまいました(失笑)。
おあとがよろしいようで・・・・。
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