ブログのマスコミ化を憂う
今まで、このブログでもマスコミ批判をしてきました。が、私自身、現在議論されているような、マスコミとネットが対立関係にあるとは思っていません(そんな議論はありませんでしたっけ?)。マスコミにはマスコミのいい点悪い点、役割、限界があり、ネットにはネットのいい点悪い点があると感じています。事象によっては、マスコミが表、ネットが裏の関係にあるといってもいいでしょう。マスコミが建前論を、ネットが本音を、マスコミが穏やかに、ネットが過激に、マスコミが総論を、ネットが各論を、そんな関係がいくつもあるように思います。時には、それぞれの立場による意見発信を批判する場面もあるのでしょうが、それぞれの役割について批判したところで、何の意味も無いように感じます。
何でそんなことを言い出したかといえば、最近マスコミをにぎわせているあの坂出の事件で、そんな裏表の関係を見たからです。いつの間にか、かつて、マスコミを批判していたことを、ネットがそのままやっているこの状況は、許されるのか、批判されるべきなのか。新たなネットの問題が発生したようにも思います。
ネットの象徴といえば、今は亡き?「ほりえもん」ですが、彼が逮捕されそうになった時、ネットは一斉にマスコミの報道姿勢を「推定無罪」という言葉で批判しました。マスコミは、彼を犯人扱いしているという批判です。私自身、そういった批判には否定的でしたが(推定無罪とは何か?)、それに限らず、ネットはマスコミの決め付けや、取材方法などをさんざんに批判してきたはずです。しかし、今回の事件では、芸能人ブログで犯人の名指し記事が掲載され問題になったり、各地で犯人決めつけエントリーが出ているようです。有名人ブログでは問題になりましたが、多くのブログではもちろん問題視されません。それは許されるべきなのでしょうか、問題視すべきなのでしょうか。
ブログの定義を、「個人的日記」とするならば、何を書いても自由といった雰囲気があります。その一方、ネットを通して、不特定多数の人間の目に触れる可能性があるとするならば、ある程度書かれる内容の規制が必要という気もします。これは、有名人、公人のブログ、あるいは、集客力のあるブログはほぼマスコミ化していると考え、マスコミ並みの規制をすべきで、並みのブログは何でも自由でいいと考えるべきなのでしょうか。それとも、マスコミが本音では語れない裏の部分を、ブログで語るというのが、そもそものブログの役割であり、書いた内容を問題視されたことの方が問題なのでしょうか。
私個人の意見が、まだまとまっているわけではないのですが、ブログが個人の意見である以上、マスコミ並みの言論統制、つまりイデオロギー的な部分での公平性を保つ必要は全くないと考えています。右にしかあるいは左にしかハンドルが切れなくても、言論思想の自由の元、個人であれば許されるような気がします。ただし、その他の部分については、マスコミを批判するようなことは個人ブログでも当然批判されると考えます。マスコミの取材方法を批判するのであれば、同様の取材は個人でも許されない、報道の仕方がいけないのであれば、当然ブログでも同様の表現は許されないでしょう。ブログはブログの役割を保ちつつも、その役割を果すためなら何をしてもいいという理由はどこにも無いのではないでしょうか。
おそらく、例外的な事例が多数あると思いますので、私の意見にそぐわない部分もあるでしょう。あるいは、そもそも私の考え方が間違っているかもしれません。ただ、私は無作法に何でもかんでも情報を垂れ流すのがネットの役割とするならば、最後はよどんだ闇社会になってしまうだけと考えているのです。
このテーマ、また屁理屈こねつつ語りたいと思います。
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追加記事:大西さんのところの本来なら炎上閉鎖してもおかしくないサイトへトラックバックさせていただきました。
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