2008/03/17

裏帳簿

 とある報道番組を見ていると、自治体のお役人による裏金問題を特集していました。裏金が裏金たるゆえん、その動かぬ証拠が「裏帳簿」な訳ですが、事細かに書かれている裏帳簿を見ると、その丁寧さにお役人仕事がにじみ出ています(笑)。

 時代劇でも、裏帳簿が動かぬ証拠となるお話があります。義に硬い侍が、お代官様?あたりの不正に気づき、藩主に訴え出ようとするところを、お代官様一党がその侍を闇討ちする、そんな侍の意志を受け継ぐ友がなんとか仇討ちしようと、その不正をあばこうとする、そんな友たちの行動をご隠居様が助けようとし、矢七か由美かおるあたりが、代官のもっている裏帳簿を盗み出して、(途中略)印籠だして、めでたしめでたし・・・・・。

 しかし、どうも私が不思議に思っていたことは、なんでそんな危険な裏帳簿を、お代官様は後生大事に残しておいたのだろうという疑問です。どうせ不正に手に入れたお金なのですから、闇から闇へ持ち逃げすればいいわけで、わざわざ裏帳簿をつけておく必要があったのでしょうか。ましてや、誰かが不正を暴こうとしていることがわかっているのに、第一級の資料である裏帳簿を、由美かおるに簡単に盗まれるとは、あまりにも納得できない話ではあります(笑)。

 まあ、だからといって、自治体の裏金に関する帳簿を、捨てればいいのにと思っているわけはありません。そもそも、何で裏帳簿をつけなければならないのかというのが私の疑問です。何しろ裏の金なのですから、その証拠となるものを残すべきなのでしょうか?。

 裏帳簿をつける理由、それは、裏金が代々受け継がれているものであり、誰かに持ち逃げされないようにするためかもしれません。入りと、出をはっきりさせておけば、裏の会計担当者によるちょろまかし(ごまかしてお金をいただいちゃうこと)はできません。前任者と、後任者に疑われてしまいます。ただし、仮にちょろまかしが判明したとしても、横領で訴えられるかというと、もちろん訴えられないわけす(当たり前!)。それとも裏には裏の警察官みたいなのがあるのでしょうか?。仕事人みたいな人に、それこそ闇討ちされたりして・・・。

 裏帳簿をつける理由、もしかすると、「それがお役人だから」かもしれません。もう、帳簿をつけないといられない性分なのかもしれません(笑)。裏帳簿の丁寧さは、普通の人間ではまねできません。ある意味、律儀、ある意味、丁寧、ある意味、会計は表も裏もうっかりつける・・・。まあ、表と裏の区別もつかないとなると、相当に重症と言わざるを得ないわけですが・・・。

 残念ながら、大昔から裏金みたいなものは存在したのでしょう。それに疑問を抱かない人たちもいたでしょうが、当然、悪いことをしていることに気づき、胸を痛めていた人たちも大勢いたに違いありません。不正に声を上げなかった事は悪いことではありますが、実際そんな集団の中で声を上げることは、たやすいことではないでしょう。ある意味、きっちり証拠となる裏帳簿を丁寧につけていたことが、ささやかな抵抗であったのかもしれません。

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2008/03/12

責任論だけが問題?

 さんざん、責任者が責任をとらないのが問題だと言うことをこのブログで言い続けてきてなんなのですが・・・、ただ責任論を追求するだけの、昨今の政治的な話題は、それはそれで本質論ではないような気がします。

 石原都知事の、銀行問題。現在都民ではないので関係ないような気もしますが、それにしても、あの、あの、人を罵倒するのが趣味の石原都知事が、言い訳と責任転嫁をくりかえしている姿を見ると、まあ、滑稽以外の何ものでもありません。さんざん責任論には厳しい発言をしてきたのですから、最低限、「銀行の経営に関する指示を与える権限はない」等という発言はすべきではなかったでしょう。

 テレビで編集された画面しか見ていませんので、何とも言えないのですが、都議会をみていると、石原都知事の責任論の事ばかりが質問されています。石原都知事に責任があることは間違いなく、それをとろうとしていないことは確かに問題だとは思うのですが、しかし、現実にはその責任をとったところで、何の解決にもならないような気がします。

 素人の私が言うのも何ですが、問題の本質は、「新銀行東京に、400億円の追加支援を行えば、それで銀行の経営が成り立っていくかどうか」ではないのでしょうか。つまり、追加支援を行っておきながら、やっぱりだめでした、場合によってはさらに追加支援が必要なんて言う話にならないのかどうかを見極めることが大事でしょう。責任論と言う言葉を使えば、「400億円の追加支援が、責任論の先延ばしに過ぎないのではないか」という見極めをしなければならないということです。
 この銀行に現在損失が出ていることは疑いようもない事実ですが、しかし、再生すれば元が取れるという話になれば、一応、一応、都知事や銀行に関わっている人たちのメンツも保たれるというものです。しかし、つぶしてしまったら、その時点で損失確定ですから、責任論から逃れることはできません。したがって、そんな責任論から逃れたいがための、ただの延命策なのか、根本治療になっているのか、さらにその責任を都知事が自覚しているのかどうかということを、我々に聞こえるように議論をしてもらいたいものだと感じているのです。

 日本という国は、伝統的に「問題の先送り大国」ではないかと感じています。なぜ、問題を先送りにするかと言えば、それは責任者が責任を先送りにするためであり、その結果、問題がさらに悪化するのは言うまでもありません。責任の追求は、問題の本質を論議することであり、形だけ、うわべだけの責任論追求は、結局問題の先送りに手を貸しているに過ぎない面もあるのではないでしょうか。

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2008/02/08

新・警察の怠慢

 以前「警察の怠慢」という記事を書いたのですが、またしても警察に怠慢な対応があったので、密かにネット上でチクらせていただきます。

 私は職業柄やぶ医者をやっているわけですが、先日病院に運ばれてきた患者のお話です。その患者さん、誰かにある飲み物(ペットボトル)をもらったらしいのですが、その飲み物を飲んだ後(2口ほど)、吐き気をもよおしたというのです。近医にいって治療を受けたようですが、吐き気が止まらず、血圧まで低下してきたとのことで、救急車で私のつとめている病院へ搬送となりました(細かいところまでは当然ながら書けませんのでご容赦を)。ちなみにその飲み物、異臭がして泡立っていたようです。

 他人から飲み物をもらい、飲んだら調子を崩したわけですから、なんか事件臭い話のように感じませんか。もちろん、事件かどうかは全くわかりません。患者さん本人の言っていることも全て鵜呑みにはできません。とにかく、捜査しなければならないでしょう。しかし、この件で近医から通報を受けた警察の対応はこれまた極めて怠慢なものでした。

 警察がとった行動は、「患者本人の容態がよくなったら話を聞きに行く」とそれだけだったといいます。担当した当直医が、当然のごとく「飲んだペットボトルを本人が持ってきているが、どうすればいいのか」と尋ねたところ、なんと

捨ててください
と答えたらしいのです。最大の物証である、このペットボトルを捨てるよう指示するのは信じられません。
 
 さらに翌日、担当医が再度警察に連絡を入れたのですが、逆に警察の方から、その患者に自殺企図があったのではないかということを聞かれたようです。つまり、他人から飲み物をもらったのではなく、本人が自殺しようとして、何らかの物質を飲み物に混ぜて飲んだのではないか?というんですね。まあ、何も捜査していないくせに、勝手な作り話をするなという話ですが、むろんその患者に自殺企図は無く、むしろ、そんな話をでっち上げようとしている警察の豊かな想像力には感心せざるを得ません。自殺でも何でもいいのでしょうが、とにかく事件にはしたくないという、警察の意図をまざまざとみせられている感じです。

 そのときの電話でも、結局その飲み物の回収の話にはならず(当然ながら、捨てずに残しておいた)、そんな状況のままでいいのかということを担当医から相談され、とにかくその飲み物だけは、警察に回収してもらうことになったというのが、今回のお話の顛末です。その後音沙汰もなく、飲み物の検査が行われたかどうかは全くわかりません。まあ、患者さんは快方に向かっていますから、適当に処理して事件にだけはしないでしょう。

 しかし、それにしても世間で毒餃子が大問題になり、毒物に関する関心が高まっているこの時期に、また、相撲部屋での力士死亡事件で、警察の初動に問題があった(事件性はないと判断した)とされているこの時期に、まあ、何もしないを絵に描いたような行動をとる警察にはびっくりです。何もしないなら何もしないで、せめて、飲み物だけでも回収しておけばよかったのにと思うのは私だけでしょうか。こちらは治療に当たっている立場なので、捜査上のことをねほりはほりすることはないわけですから、飲み物だけ回収して、警察の方で捨てればよかったと思うのです。

 結局のところ、どれほどに警察がたたかれようとも、その場で反省したとしても、末端レベルでの体質というのは全く変わっていないということでしょう。人間の本質、それは楽がしたいということで、ある意味、けなげな努力を惜しまず、仕事量を少なくしようとするその本能は、いかんともしがたいということなのでしょうか。

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2008/02/05

コレラと毒餃子と役人の能力

 毒餃子。世間はその話題で沸騰しています。
 本当は一ヶ月も前に、毒餃子が蔓延しているかもしれないということがわかっていたようですが、情報がお役所の方に上がっていなかったようです。それで、厚生労働省というか、舛添大臣が情報をあげることの徹底を指示したようですが、まあ、ことはそんなに簡単なことかどうか、ちょっと疑問を感じています。

 情報を、お役所に報告するということに関し、私の経験を2つほど。
 一つは典型的な食中毒。これは、団体で旅館に泊まっていた集団に、下痢嘔吐が大発生して病院に次から次へと運ばれたという例です。たまたま当直だった私のところに、ざっと30名ほど運ばれ、とんでもない忙しさになってしまったわけですが、これは明らかに食中毒が疑われるということで、翌日保健所に連絡しました。

 もう一つは、食中毒ではなく伝染病がらみのもので、はっきり言ってしまうと、コレラってやつです。下痢を主訴に病院を訪れた患者ですが、私は便の培養をとり、点滴をし、整腸剤等を処方して帰宅としました。しかし、二日後(だったと思います)に培養からコレラと判明してしまったのです。

 さ~て、街にコレラが出たということで、その地方の議員さんから、病院へ怒りの詰問状が届きました。「どうして、コレラの患者を、隔離せずに家へ帰したのか!」っていうんですね。まあ、確かに帰してしまったわけですが、それには理由があります。まず、症状的に重症ではなく、十分外来通院で対応できる状態だったこと、そして、コレラだという特有の症状は何もなかったこと(下痢だけ)、そして何よりも、便培養をして、それがコレラだと当日にはわからないということです。

 便培養というのは、培地と呼ばれるものに便をくっつけて、生えてくる菌を調べるものですが、それが生えてくるのに一日、さらにそれがコレラであると判定するのに、一日かかります(細かいこと忘れましたが、もう一日必要だったかもしれません)。したがって、「下痢」というだけでコレラ疑いとしていたら、毎日毎日10人も20人も隔離しなければならなくなってしまうわけです。

 コレラと判明したからには、伝染病予防法にのっとって対応しましたが、それまでの対応に不備はなかったと確信しております。たぶん。
 しかし、コレラが出たというだけで、行政も、議員さんも浮き足だって、さて誰が悪い、病院が悪い、なんで隔離しなかったんだという話になってしまうんですから、大変です。ちなみに、ご家族から病院に、容態はどうかの確認の電話がありました。そのときわかったことなのですが、患者さんが隔離されているだけでなく、実は(おそらく行政処置として感染の確認が済むまで?)家族も家から一歩も出られない軟禁状態だったようです。つまり、伝染病予防法の発動は、それ自体、大きな社会的責任を伴うものであり、ろくに知識もない、浮き足だった議員がごたごた言ってるレベルの問題ではないのです。

 たとえば、今回の毒餃子でいえば、確かに最初の患者が餃子を食べて臭かったなど、怪しいことを訴えていたとのことですが、さてそれだけで毒餃子と判断できていたのでしょうか。むろん、その機会を逃したことは、後になってみれば明らかですが、その現場の担当が私だったら、いちいち届け出ていたかどうか・・・。正直、今年の冬は下痢嘔吐が非常にはやっており、「餃子を食べたら」という言葉を重く受け取らないかもしれません。

 さらに、仮にここで毒餃子ということが判明していたとして、厚生労働省に全国規模の中毒問題をちゃんと情報を収集し、分析する能力があったのでしょうか。また、最大の問題は、安易な情報の開示は、「風評被害」になる可能性もあるわけで、その責任を、いや、そのリスクを役人がかぶる勇気があるのでしょうか。その勇気がなければ、結局情報があげられたとしても、「そんなの関係ねー」で終わりかもしれません。

 結果がわかってしまえば、それがコレラだと、それが毒餃子だとわかってしまえば、あとから鬼の首を取ったように、何やってるんだ的な文句も言えるわけですが、現実にはリアルタイムで進行する結果のわからないことに対し、早急に対応が必要なことが多いのではないでしょうか。
 上にも書いたように、今度は安易な情報開示による、風評被害が起きないことを祈るばかりです。

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2008/01/29

憧れのノーワーキングリッチ?

 「名ばかり管理職」そんな言葉が報道されています(マクドナルド訴訟 店長は非管理職 東京地裁が残業代認定)。そういえば最近、飲食チェーン店などに行くと、店長にしては随分若いなあと思う人が働いていました。やり手なのだろうと漠然と思っていましたが、あの方々も、実際には経費きりつめのための犠牲者だったのでしょうか。

 管理職は残業代がつかないのに目をつけて、一般の仕事をさせておいて管理職に就けるなんてよく考えたものです。素人的には、だったら残業せず、実際お店の方がどうなってしまうのか、本社の本当の管理職の皆さんに見せつけたらどうかとも思ったりもします。店がおかしなことになって、店長失格ということになれば、めでたく管理職からはずされて、残業代がもらえる・・・・、まあよくわからない、私の作り話ですが。現実には、こんな社員は即刻「クビ」ということでしょうね。そういう職を失うかもしれないというリスクを考えれば、裁判にせよ何にせよ、この店長の行動に出たという勇気には、脱帽という思いです。

 こういうワーキングプアー系の管理職がいる一方で、肩書きだけで全く働かず、高~い給金もらっている連中もこの世には存在しています。まあ、ノーワーキングリッチ??とでも言うのでしょうか。この手の人たちは、最終的な仕事である「責任をとる」ことさえしません。なにしろ働かないから、責任の取りようも無いわけです(でもやっぱり、責任は現場が取らされる)。しかし、こう書くと、そんなノーワーキングリッチ系の人間にはなるまいぞと思うのですが、実際我々が真にうらやましいなあと思っているのがまさにこのノーワーキングリッチではありませんか。なってしまえば、そんな罪悪感はどこかに消えて、ノーワーキングを享受するため、いかに下っ端を働かせるかということしか考えなくなってしまう・・・。「そうだ、店長っていう肩書き与えれば、やる気出して働いてくれるだろう!」・・・、本当に名案中の名案です。

 少し年をとってきて、徐々に管理職的地位になった私の反省も含んでいます。一応気持ちとしては、「働かざるもの食うべからず」、「現場を知らずしてものを語らず」、とは思っていますが、時々こうして反省しないと、堕落してしまうので、自虐ネタは今後も欠かせません(笑)。

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2008/01/22

高齢者虐待防止法

 高齢者虐待防止法、この法律で初めての逮捕者が出たようです(「高齢者虐待防止法」違反で初逮捕、調査に抵抗の43歳女)。実を言うと、私こんな法律があることを全く知りませんでした(恥)。しかし、法律の概要を読んでみると、当たり前の話ですが、医師(やぶ医者も含む)は虐待の可能性を知る立場にありますから、協力しなくてはならないとなっています。それを知らなかったというのは、全くもって、言い訳にもなりません(恥)。

 なんでそんな事を言い出したかといえば、正直以前から特に老人に対する虐待を問題だと思っていたからです。近年、子供に対する虐待は大変問題になっており、社会問題化し、報道などでも大きく取り上げられています。しかし、残念ながら、限りない未来がある子供たちとは対照的に、老人が厄介者扱いされても、家族的にも社会的にもあまり問題にされないことが多いと感じていたのです。

 明らかに暴力を振るっていると思われる介護者、床ずれでボロボロになるまで放っておく家族・・・、そんな老人虐待の現実を、医療現場で見ることが希にあります。今までは何もしようがなかった(と思っていた)のですが、ちゃんと報告しなければならない立場にあることがわかりました。が、今回の逮捕者のような、極端な放置や虐待ではなく、プチ虐待は残念ながら世の中に山のようにあるでしょう。

 問題点は2つ。子供ではなく老人だから問題視しない、あるいは、されてこなかったことは、今後十分啓蒙し解決していかなければならないこと、そしてもう1つは、老人介護の過酷さが、この虐待を生んでいる可能性があることでしょう。この問題、子供の虐待と同じように、問題視し、報道されることを望みます。

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2007/12/14

被害妄想の憧れと現実

 何度かこのブログでも書いていますが、私はかなりの被害妄想系の人間です。人がどう思うのか、どう考えているのかが非常に気になり、心配になり、行動できなかったり、逆に何も思っていない人に切れたり(ごめんなさい)してしまうわけです。よく言えば、いろんな人の心を深読みしすぎるということですが(表現が正しいかどうか?・・)、実際には自分がいいと思い込んでいることは結構、遠慮なくいろんなことを言っていたり行動してしまって、ひんしゅくを買っているかもしれません(ということを考えること自体が被害妄想という話もあり・・)。

 被害妄想の良い悪いは置いておいて、そんな私が憧れるのが、自分の思っていることを、自信を持って、誰が何を考えようと言おうと、行動し発言できる人です。

 舛添 要一厚生労働大臣なんか、私の憧れの人ですね。宙にういた年金記録の名寄せなんか、絶対1年でできっこないのに、「最後の一人、最後の一円まで」って堂々と自信を持って発言し、できなかったら堂々と自信を持って「そんなこと言っていない」と発言できるのですから。もし私が大臣で、できないことをできるなんて発言していたら、もう、胃潰瘍に片頭痛を合併し、最終的には鬱病になって切腹を覚悟するはめになっていたと思います。
 私が舛添大臣に憧れると書いたのは、決して嫌味でも冗談でもなく、ある意味本気で、あの気にしない性格になれたら、本当に楽だろうなと感じるのです。そんなこと感じませんか?。

 そもそも政治家は、舛添さんくらいの人間でないと務まらないかもしれません。いちいち1つの発言、1つの公約に縛られていたら、それで行動が制限されてしまいます。業者からお金をいただいていても、宴席に同席していても、知らぬ存ぜぬを貫けないような軟弱な精神構造では、政権与党の重鎮も務まらないでしょう。鈍感力ではありませんが、一方で叩かれ強いという側面もあるわけですから。反論されたらごめんなさいって言っているようでは、改革はとてもできるものではありません。

 ただ、我々の職場でも、同様に、人の考えていることなんか全く気にせず、自分勝手に行動できる人物がいます。そんなことやったらひんしゅく買うぞ、と思うことはふつう行動できないわけですが、それをやっても気にならない性格であれば、堂々とやって、楽ができるわけです。そういう行動をとる人間が、社会から追放されるかというと、意外にそうでもなく、俗に「憎まれっ子世にはばかる」といわれて、立身出世していく人も少なからずいるわけです。コレが被害妄想系の私から言うと、本当にうらやましいと言うか、究極に蔑んでいると言うか、なんと言うか・・・。まあ、一言で言って、「真似は、決して、できません!」。

 実は、私が以前から政治の話題について、野党が反対党であってはならないと主張するのは、そのあたりが原因です。そのあたりというのは、野党のときは反対していたのに、与党になったら手のひらを返すなんていうことが、(私が政治家だったら)できないから、矛盾の無い、一貫性のある主張をしてもらいたいと願っているのです。
 まあ、別に私が野党の政治家じゃないから、余計な心配しなくてもいいか・・・。政治家たるもの、主張を180度変えるぐらいのことができないと、務まらないって言ったばかりでした・・・。

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2007/11/14

残念ながら、ねじれは民意・・

 どうも素人の私には、現在の政局がよくわかりません。衆議院が連立与党、参議院が民主党が過半数をとっているねじれ状態というのはわかるのですが、お互い原則論を貫くわけでもなく、建前論をいくわけでもなく、本音を戦わせるわけでもなく、どうなるのですかね。それにもまして、われわれ国民は結局どうしたいのか、これが全く見えてきません。

 最も早く、このねじれを解消するには、衆議院を解散して、民主党が過半数をとることでしょう。これが不思議なことに、自民党が衆議院選挙でどう頑張っても、ねじれは解消しません。衆議院選挙で与党が過半数を取って、それが民意だといわれても、参議院の民意を無視することはできないでしょう。つまりむこう三年間はねじれたままです。

 というか、衆議院選挙でたとえ与党が過半数を取ったとしても、現在のような三分の二を確保するような大勝は期待できません。だったら、与党は堂々と衆議院の優越を使ったらどうかと思うのですが、これが本来法的根拠のない問責決議案が出されるからできれば避けたいって、これもよくわかりません。なにしろ衆議院を解散したところで、民主党が勝たなければねじれは解消しないのですから。

 何が言いたいかというと、テレビで解説者などがよく言っている「大事な法案について、ねじれの中で政局にしてはいけない」という言葉が納得いかないということです。この言葉を素直に聞けば、与党と、野党が話し合って、妥協しなさいということですから、まさに「大連立大賛成」のはずではありませんか。ところが、先の大連立の話のときは、せっかくのチャンスを棒に振った的な論調は全くありませんでしたし、国民が望んだという雰囲気もありません。

 大連立が問題だというのであれば、自民党は衆議院の優越を使う、民主党は、徹底して参議院で法案を蹴散らして解散に持ち込む、すなわち、徹底して政局にするしか打開の方法は無いのではありませんか。それこそが、衆議院選挙で郵政解散した時、自民大勝させた民意と、参議院選挙での記録的自民の大敗をもたらした民意の結果だと思うのですが違うでしょうか。その間、法案が通らないのは、政治家の怠慢でもなんでもなく、残念ながら民意の結果です。

 私はどう考えているかといえば、先の参議院選挙の結果は、むこう三年間、民主党(あるいは非自民)に政治をやらせてみようという意味だったと感じていますから、何とか解散に追い込み民主党を勝たせる以外に方法はないと思っています。その間の多少の駆け引きは、目をつぶるしかありません。
 やっぱり自民党でないとダメだと感じている人は(先の小沢騒動で私もちょっと感じていますが・・・オイオイ、笑)、残念ながら参議院選挙でああいう民意を表してしまった以上、三年間強引国会が行われるのを我慢するしかありませんね。

 ということで、久々にねじれた屁理屈をこねました。私の書いた記事の意味がわからない方、決して異常ではありませんのでご安心ください。

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2007/09/25

検挙率100%超??

 警視庁の今年上半期(1~6月)の空き巣や事務所荒らしなどの侵入盗の検挙率が111.5%だったそうです。えっ!!そんなばかな!!。100%超えてどうするの?。<侵入盗>検挙率100%超 上半期・警視庁調べ(毎日新聞) 抜粋しますと、

「発生した事件の数より捕まえた数が多い?」。警視庁の今年上半期(1~6月)の空き巣や事務所荒らしなどの侵入盗の検挙率が111.5%と、初めて100%を超えた。検挙率は、発生が確認された事件のうち、どれだけ解決(検挙)されたかを表す「治安の目安」とされるが、過去の事件が解決した場合も検挙数に加算されるため起きた現象
 記事には、警視庁にとって、うれしい統計マジック等と書いてありますが、統計を知らないだけであって、うれしい話ではありません。基本的に100%を超えるわけ無いはずですが、そのマジックとやらの種明かしについて、
(1)地域の防犯ボランティア活動が浸透して空き巣などがしにくい状況が生まれ認知件数が減少している
(2)余罪50件以上のプロの窃盗犯の逮捕が相次ぎ、検挙件数が伸びた 
の2点が挙げられています。(1)は空き巣(事件)が減ったといういい話です。事件件数が減ったから、捜査も充実し、検挙率も上がったのでしょう。(2)も、基本的に窃盗を繰り返す「悪いやつ」を捕まえたという話ですが、統計的に分母をいじらずに、件数だけ上積みしたのが、この統計のマジックとうことになります。

 検挙率の計算において、当然、過去の事件も解決したのであれば、過去の事件の件数も分母に入れないといけないでしょう。でなければ、何のためのデータかさっぱりわかりません。分母と分子の意味が違うのですから、全く意味の無いデータになってしまいます。上半期の検挙率であれば、上半期に起こった事件についての件数を分母に、その事件についての検挙数を分子にしなければならないのは、おばかでもわかるでしょう(単純に言えばの話ですが)。私が言いたいのは、これは数字のマジックではないということです。意味の無いデータ(何を意味しているかわからないデータ)が提示されているということに我々は気付かなければなりません。

 国民をごまかすための、同じような統計いじりは、年金問題での分母減らしにもありました。統計データというのは、極めて客観的のようであり、その実、こうして都合よく改ざんされて使われている現実もあります。この記事内容もよく読めば、事件が減り、検挙が増えたという、決して悪い話ではないのですから、ちゃんとまともなデータを我々に提示してもらいたいものです。

 (ちなみに・・・、この記事ではわかりにくいのですが、事件件数として認知されていない事件についてまで、検挙された犯人が自供した場合、検挙件数に足しているわけではないですよね・・・・。)

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2007/09/14

自民丸沈没の予感

 私は、一応、中国史というのを趣味にしています。特別な知識を持ち合わせるわけではありませんが、その血みどろの権力闘争を通読し眺めていると、人間のおろかさを十分堪能できます(笑)。

 別に中国に特異的な話ではありませんが、何故か王朝と言うのは、数百年のスパンで交代する宿命を持っているようです。どんなに隆盛を極めた王朝も、なぜかほころびが生まれ、乱れ、そして滅亡していきます。日本史でも同じことが見られますが、盛者必衰とはよく言ったものです。

 この滅亡の原因はなんなのでしょうか。な~んて、専門家でもない私が解説するようなことではありませんが、そこは趣味ですので、いろいろな原因の1つを挙げさせてください。あくまでいろいろある原因の中の、ひとつの仮説です。

 それは、権力闘争にあります。王朝ということになれば、皇帝の座を巡る権力闘争もありますし、家臣たちの権力闘争もあります。権力闘争も、よい意味での競争となれば何の問題もありません。しかし、権力闘争のためだけの権力闘争、あるいは、いわゆる足の引っ張り合いが始まると目も当てられなくなります。
 
 例えば、ある王朝の家臣AとBの間に、ライバル関係が生じたとします。例えば戦いの時に、より大きい戦果を上げた方が上位に立てるわけですが、逆に、相手が失態してくれるとこれまた上位に立てるという理屈もあります。ですから、Aが戦いに出たときに、BはわざとAが負けるように画策したりし始めるわけです。

 AとBだけの関係であれば、Aが負ければ、Bが権力的に強くなって、めでたしめでたしという話ですが、王朝にとっては、戦いに負けるのですから、王朝の弱体化につながります。戦いだけではありません。往々にして優秀な人物というのは、無能な権力者にやっかまれ、罪を着せられ殺されたり追放されたりすることがあります。権力者にとっては、ライバルの出現の芽を摘み、権力を安定させることにはなりますが、王朝にとっては優秀な人物を失い、これまた弱体化につながってきます。

 つまり、王朝を船に例えるのであれば、わざと船底に穴を開け、穴が開いた責任をライバルに押し付けるようなもので、そんなことをしてまで権力の座についたとしても、気付いた時には、船は沈没寸前だったりするわけです。あくまで船あっての自分、王朝あっての自分の存在というものを忘れ、ただただ権力におぼれ、自分のためだけに行動していれば、いつの間にか、自分自身が身をおいていた存在がなくなってしまうことがありうるという話です。

 まあ、そんな話とは一見関係なさそうですが、安倍首相辞任後の自民党を見ていると、船底に開いた穴に気付かないまま、自民丸の船長を誰にするかにきゅうきゅうとしているように思えてなりません。
 例えば、農水大臣が辞任することを、「船底の穴が広がった」と考えている人は少ないでしょう。早めにやめればそれで問題なし、誰かにポストを譲ればそれで良しとでも考えている雰囲気さえあります。自分さえ、身体検査に合格すれば、あとの人間は合格しない方が自分の株が上がるなんて考えている人も多いかもしれません。しかし、それでは、自民党不信はどんどん広がるわけですから、気付いた時には自民丸は沈没し、身体検査合格のはずの自分の存在自体の身の置き場が消えていたということになりかねないわけです。

 といいつつ、自民党という党は私の考えるようなボロ舟ではなく、不沈艦かもしれません。沈んだら沈んだで、「潜水艦だ」と言い張りそうですし・・・(笑)。まあ、なんといっても、ライバルの船の民主丸も怪しい限りですから。政治という大きなくくりでいえば、自民党の失態を民主党は喜んではいられません。政治不信自体が、民主丸の底に穴が開いたことと同じなのですから・・・。でも、それを追い風だと信じてやまないところは、それはそれで末期症状なのかもしれません。うむ、誰か早くそれに気付いてくれないと、日本丸が沈没しますぞ!。

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2007/09/07

台風の目と東京ローカル

 昨日台風9号が、私の住む町を通過しました。窓に打ち付ける雨と風は正直、恐怖を感じさせました。そんなとんでもない嵐が、夜中に突然ぴたりとやみました。どうやら、台風の目に入ったようです。つまり、この台風は、私の住む町の真上を通過して行ったようなのです。

 台風の目に入ったお陰で、落ち着いて寝ることができましたが、朝方はまた吹き返しの風と雨が襲ってきました。しかし、やってくる時とは勢いが違います。出勤時には晴れ始めていましたから、昨日の恐怖はなんだったのだろうかと言う感じです。

 しかし、まあ、どうでもいい話なのですが、台風が静岡県の上空にまさに来たらんとし、暴風雨の真っ只中にある中で、テレビの台風情報を見ると、「台風9号、首都圏を直撃」ですか。直撃されんとしているのは、首都圏じゃなくて、わが町なのですが・・・。東京の繁華街が、早めに店じまいしてどうかしましたかね。多摩川が増水する前に、狩野川の増水が問題でしょう。規模が違うとはいえ、交通事情が麻痺するのは、田舎も同じです。

 まあ、どうでもいい話ですが、東京ローカルな話題は、その重要度、ローカル性に関わらず、トップ扱いになります。そんなことに文句を言うどうでもよさには目をつむってもらうとして、そのことに気付いていないマスコミの方々には、何か言いたくなってしまう私です。東京ローカル以来、2回目の、田舎の遠吠えでした。

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2007/08/28

大臣の存在意義

 安倍内閣の改造人事が終わりました。ニュースや特別番組などで随分詳しく放送していましたが、さてはて、閣僚人事なるものにどれほどの意味があるのやら・・・。

 私は昔から疑問に思っていたのですが、大臣ってそもそも極めて短期間に変わってしまいますから、どれほどの仕事をしているのでしょうか。先日防衛省の事務次官人事でごたごたがありましたが、(事務方の肩を持つわけではありませんが)いきなりやってきた、何も知らない大臣に、いきなり好き勝手にやられたらたまらないと言う気持ちは、わからなくもありません。

 公立の美術館や博物館の館長さんというのは、自治体のいちポスト(あるいは天下りポスト)であり、ど素人の人間がやっていることが希にあります。そのため、生え抜きの学芸員の方がせっかく積み上げたものを、台無しにされることも有るようです。大臣、ことに、自民党における大臣と言うのは、あくまでいちポストであり、適材適所というよりは、ど素人館長のような人事のためのポストと考えた方がいいのではないでしょうか。自民笹川氏いわく、津島派からの大臣選出について、「防衛大臣じゃなくて良かった」、あるいは農水大臣の遠藤氏曰いわく「農水大臣はこない方が良かった」等の発言はあるいみ本音中の本音であり、適材適所ではなく、まさに人事のためのポストということを公言しているに等しいと考えていいでしょう。

 ただの顔だけだったら、事務次官が大臣やってもいいのではないか、そんなことも考えたりします。顔に吹き出物ができたくらいで辞任するような(おっと、あの方はもっと別の理由での辞任でした)、そんなどうでもいいポストなら、無いほうがましでしょう。やるからには責任を持ち、陣頭指揮をとって活躍してほしいと思うのですが、そう考えてる大臣さんは一体何人いることでしょうか。現実には、役所の作った答弁書を朗読し、任期を無難に全うするのが何よりと考える大臣が大半なのではないでしょうか。顔ぶれだけ見て、サプライズがないとか、お友達とかいう評価をしているマスコミもマスコミですが、まあ、とにかくお手並み拝見といきましょう。この内閣が終焉するであろう数ヶ月で(笑)何ができるかわかりませんが・・・。

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2007/08/21

文武両道は不可能か?

 最近殺人事件が多すぎて、どの事件がどうなってなんだったか、全く記憶に残りません。しかも親族殺人すら当たり前になってしまいました。先日も孫が祖父を殺害したなんていうニュースを見ましたが(現在孫が逃げて、逮捕状が出た)恐ろしいものです。
 
 この事件の原因は、ワイドショーによれば、祖父から学業のためにスポーツ(部活)をやめろと言われていることに、孫が腹を立てていたとかいないとか・・・。真偽の程はわかりませんし、具体的なことはわかりませんが、まあ、一般論として親や親族から「部活なんかやめて勉強しなさい!」と言われることはよくある話かもしれません。

 それが、殺人の原因になること事態は全く理解できませんが、「とにかく勉強だけしていなさい」という親の理論は、私にとってはいい理論とは思えません。それは、まだ子を持っていないから理解ができないのかもしれませんが、私個人としては、子を持った時に、絶対そういう思想は持つまいと誓っている理論ともいえます。実際子供を持ったら、ころっと宗旨がえするかもしれませんが・・・(笑)。

 その根拠は、私の父が私に語った言葉に納得しているからです。それは、

「スポーツしていたから、何か部活をやっていたから勉強ができなかったと言う人間は、部活をやめたって勉強できない」
という言葉です。これは、言い訳する子供の方をたしなめる言葉ではありますが、立場が逆になっても真なりと言うのが私の考えです。つまり、部活を親の理論でやめさせたからと言って、学業が劇的に伸びるのか?、あるいは、部活をやめさせて勉強だけした中高校時代に意味があるのか?ということを、私は疑問に思っているのです。

 正しい、間違っている、ということでは計ることができない話だとは思いますが、皆様のお考えはいかがなものでしょうか。

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2007/08/11

テレビに出る医者は名医か?

 私は職業柄やぶ医者をやっていますが、患者さんからとんでもない話を聞きました。具体的なことはもちろん話せませんが、テレビに出ている医者の中にはかなり胡散臭いやからが混ざっているという話です。

 私のところにある「A」という病気で通っている患者さんがいるのですが、その患者さん、テレビ番組でその「A」という病気についての特集を見て、その番組に出ていた2人のドクター(もちろん「A」という疾患の専門家)のところへ私に黙って診察してもらいに行ったようです。まあ、一応私も、その「A」という疾患の専門医なわけですが(笑)、有名な先生に意見を求めたいと思うのは患者として当然であって、私は基本的にそういった患者さんの行為には寛容です。正式にはちゃんと紹介状を持っていってもらい、意見を聞いてほしいものですが(セカンド・オピニオン)、私の外来へ帰ってきていただいたところを見ると、私の診療も捨てたものではない?ようです(大笑)。

 ところで本題ですが、そのテレビに出ていた専門家の一人は某大学病院の先生だったようで、当然診断は「A」、治療についてどう言われたかは聞きませんでしたが、私のところで引き続き診療するということになったようです。
 ところが、問題はもう一人の医師の方です。テレビに出ていた専門家という話ですが、なんと診断が「A」ではないと断言したようです。「A」という疾患に関する検査データが陽性であるにもかかわらずそれは全く無視して、一部のどうでもいいデータの異常を指し示して「こちらが原因だ」と言ったようで、さらにたちが悪いのは、「今の治療は強すぎる」、「対症療法とサプリメントで治療を」などと説明したようです。

 その患者さんは、そのドクターにそんなことを言われてしまったため、「先生には申し訳ないとは思うけど、それら医師に診察をしてもらった」ということを私に打ち明けたうえで、「テレビに出ていた専門家の先生に「A」じゃないと言われて困ってしまって・・・、どうしたらいいんでしょうか」とそれは困った様子で私に語り掛かけてきました。正直、勝手なことをして勝手に困られても、こちらの方が困るのですが、残念ながら常識的に言って「A」という診断はどうにも間違いようがなく、はっきり言ってそのドクターの対応には怒りがこみ上げてきました。

 具体的なデータの話ができないので、どちらが正しい間違っているという検証をこの場ではできないのですが、仮にその患者さんが「A」という病気でないとしても、そのドクターが「○○病」という別の診断名を下さなかったこと、また、「A」ではないという論拠を述べなかったところは私としては納得いきません。また、原因としたデータ異常は、あまりにも幼稚で素人的な指摘であって、よくもまあそんな話を患者にするものだと本気であきれました。

 とここまで書いても、(具体的な話ができないので)テレビに出ていた先生の方が、やぶの彰の介より正しいのではないかと思われる方も多いかもしれません。が、一応、私のやぶ医者生命をかけて、そのテレビに出ていたというドクターは、とんでもない「やぶ医者」だと断言しておきます。それにしても、どうしてテレビでそういう”やぶ系”の医者が、専門家として、あるいは名医として取り上げられるのかわかりません。本物の名医もいるのでしょうが、この患者さんのようなことが起きることを考えると、何を根拠にテレビに呼ばれたのか理解に苦しみます。そのあたりテレビ局の責任は重大で、いわゆる第二の「あるある」的問題が起きても、全くおかしくないでしょう。

 運良くその患者さんは私の外来へ帰ってきてくれましたが、「テレビに出ている専門家」ということを理由にその先生の方を信じたとしたら、おそらくボロボロになっていたと思われます。私も完璧な名医とは言いません。どちらかと言えば、迷医?かも知れませんが(笑)、皆様におかれましては、くれぐれも怪しげな「名医」に騙されないようお気をつけ下さい。

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2007/08/07

原爆の日

 8月6日、広島原爆の日。朝8時15分、NHKのテレビの中継を見ながら、一分間黙とうしました。

 戦争で亡くなられた方は、もちろん広島の犠牲者だけではありません。しかし、私は、かの戦争における象徴といえば、それは広島だと考えています。

 独占なのかどうかわかりませんが、平和記念式典の中継はNHKのみで、民放は朝青龍の仮病疑惑ばかり放送していました。8時15分という時間帯も、ちょうど出勤時間でなかなか黙とうすることもできず、学校も夏休みで、子供たちも行事として行うことも無く、知らず知らずのうちに日本人心から「原爆」というものが消えようとし、一地方に起きたことで、平和記念式典が一地方の行事のごとくになってしまったかんがあります。

 核廃絶が目標?にも書いたのですが、日本が、そして日本人が、核兵器に対してどう考え何をしてきたかといえば、何もせず忘れようとしてきただけなのかもしれません。アメリカに「投下に意味があった」と言わせるほどに、「必然的に使われた」兵器だとは、私はとても思えませんが、せめて、世界唯一の被爆国として、国民をあげて黙とうするぐらいのことはしてもいいのではないかと考えたしだいです。

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2007/08/03

肩書き防衛?

 政治家は、何かスキャンダルを起こすと、責任をとって(辞任にしろ更迭にしろ)辞めることがあります。何を辞めるかといえば、そのとき持っている最高の肩書きの役職を辞めるわけで、大臣なら大臣、委員長なら委員長、党の役員ならその役を辞めるという話になります。しかしコレって実に不思議な話だと思いませんか。

 赤城農水大臣、農水大臣を更迭だそうです。野党はもちろん、与党自民党からもやめろコールが盛んだったわけですが、この方のスキャンダルは、不透明な政治資金の問題でした。不透明な政治資金が本当に問題であるならば、基本的に「議員」をやめるべきであって、大臣を辞めれば許されるという理屈がどうにも私には理解できません。総理の任命責任を問う前に、犯罪者まがいの人間が議員をやっていること自体が問題だとは思いませんか。

 そもそもこういう問題は、なぜ大臣になって出て来るのでしょうか。大臣だろうが、平議員であろうが、その問題性に全く関係ないと思うのですが。スキャンダラスにかきたてたいために、ネタを溜め込んでいる人たちがいるとするならば、ぜひ今もっているネタを全部おおっぴろげにしてもらいたいものです。なぜって、そんなネタにされる人たちが、何か肩書きを持ってしまったら、その肩書きの役職を辞めれば罪が消えてしまうのですから・・・。

 民主党が今ひとつ信用されない理由として、「民主党だって、はたけばほこりが山と出てくる」ような雰囲気を持っていることがあるのではないかと、私は思っています。自らが、法律以上に厳格な規律を持ってほしいと思っていますが、いざというときのためにいろいろな役職や肩書きを党員に与えるというのも1つの防衛手段かも知れません(笑)。

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2007/07/28

風評被害?

 新潟中越地震では原子力発電所に次々とトラブルが起こったことが報告されています。私も前回、原発の想定外は許されるのか?で問題を提起させていただきました。
 一方、例えば海水に放射性物質を含んだ水が流れ出たということから、近隣の魚が売れなくなっているとか、あるいは、ヨーロッパでは日本中が放射能に汚染されてたと勘違いされているなどの、いわゆる風評被害がでてきているとのことです。
 風評被害がいいとは思いません。全く関係ないところで経済的に損失が出ているとすれば、当事者にとって大問題でしょう。
 ただ、それを単純に、「過大報道しているマスコミのせい」という論調をインターネット上では多々見かけます。果たしてマスコミを叩けばいいのか・・・、それはちょっと違うのでは?というのが私の意見なのですが。

 全くマスコミの肩を持つつもりはありませんが、残念ながらこの手の風評被害をなくすためには、「報道しない」とするしかないと思います。地震があったことを地震があったと伝えさえしなければ、新潟県近辺への旅行を取りやめることは無いでしょう。原発で事故があったとしても、海水が放射能に汚染されたとしても、それを伝えなければ、魚が売れなくなるなんてこともないでしょう。

 「正しく伝え、報道すること」と「風評被害」というのは、諸刃の剣?というか相反する関係ではないかと思います。もちろん、現在のマスコミの報道に、過大なところが無いとはいえません。あおるだけあおって、視聴率だけ稼いで逃げるという姿勢がないわけでもありません。しかし、マスコミにとって最も大事なことは、あったことをありのままに伝えること、問題点があればそれをクローズアップすることであり、新潟で地震があり、多くの方が被害にあったことは伝えなくてはならないことだと思いますし、原発の火事と、焚き火を同じように扱ってもらっても困ります。放射能を含んだ水が海水に流れたことも、それがいかに害がないとしても、伝えなければならないことであるのは明らかであると感じます。逆に風評を恐れて報道しないなんてことは許されないのではないでしょうか。

 残念ながら、大地震がおきたとすれば、その近隣への旅行はちょっとやめようと思うのは当然だと感じます。また、放射能が、いかに害がないかを強調して報道したとしても、いや、そんなことを逆に言えば言うほどに、近隣の魚が売れなくなるのは道理だと思います。繰り返しますが、残念ながら風評被害を起こさないためには、報道しないことしかありません。

 といって、私が何かいい解決策を持っているかと言われれば、何もないというのが本当のところです。ただ、自然災害一般に関して、金銭的備えを自治体なり国なりがしておくべきとは考えているのですが、現状、蓄えどころか借金大国の日本です。風評の穴埋めをするおぜぜがないことは、残念ながら明らかなようです。

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2007/07/19

原発の想定外は許されるのか?

 新潟中越地震の被災者の方々にはお見舞い申し上げます。それにしても、この地震において、原子力発電所で火事があり、放射能漏れを起こしていたことは大変気になることです。何かといえば安全安全と繰り返す、電力会社や国の言葉の信頼性が怪しいものだと実感させられました。

 私は個人的には原発反対派です。その理由は単純であり、国土の狭い日本において、一基の原発が事故を起こせば、それは国がつぶれるということを意味するからに他なりません。やたらと安全だということが強調されてきましたが、人為的なミスも多数あり、それを隠蔽する体質もしっかり身についてしまっているという報道がされたのはつい最近ですが、いつ何時この国がつぶれるのかということを被害妄想的に考えざるを得ませんでした。

 ましてや、ハードについて、まさか地震ごときで放射能漏れを起こすとは思ってもいませんでした。M6.8が想定外(設計上、M6.5には耐えうる)というのですが、そもそも原発に「想定外」という言葉を使うことが適切かどうかに疑問を感じます。それこそ未曾有の地震がおきて、原発が大爆発を起こして、想定外の地震でしたと言われても、国がつぶれてからではなんともなりません。そもそも想定マグニチュードが、6.5というのもあまりにしょぼいような気がするのは私だけでしょうか。考えられる巨大地震に、安全域を足したぐらいのマグニチュードが想定されていなければならないのは当然だと思うのですが考えすぎですか。

 マグニチュードではわかりにくいので、震度でいえば、6強で原発が壊れるようでは正直話にならないと思います。私個人としては、想定が甘いわりに、簡単に「想定外」という言葉が出てくること事態に問題を感じます。原発の直下に断層が走っていても「想定外」、地震の規模も「想定外」・・・、そんなもの「決して安全ではありません、何かあっても責任は負えません」と言っているようなものです。

 ふと感じた素人的疑問ですが、海岸線に存在する原発の津波対策というのは万全なのでしょうか。決して大津波が襲ってこない場所に建設されているのでしょうか。それとも原発周囲には、何十メートルもの高さの防波堤が建設されていましたっけ?。何かあったときに、想定外の津波が発生しましたなんてことは、ありえないのでしょうね????。

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2007/07/04

核廃絶が目標?

 久間防衛大臣が「戦争を終結させた、原爆投下はしょうがない」発言で辞任しました。ものすごく好意的に発言を解釈すれば、「原爆を投下されるまで、戦争を継続した当時の政府に問題がある」「本土決戦にでもなっていればもっと死者が出ていた」と言いたかったのでしょうが、まあ、なかなかそうは受け取ってもらえないでしょうね。

 私の考えを言えば、アメリカの原爆投下には、人種差別的側面、実験的側面があったと考えており、結果として、間違いなくホロコーストだったと確信しています。したがって、アメリカの行為を肯定することはもちろんできません。ただし、かの戦争は、沖縄戦ですらしなくても良かった(さっさと降伏すればよかった)と思っていますから、当時の政府の責任もゼロとは思っていません。

 また、我々日本人は、過去アメリカに対して、何かあればちょっとした抗議はしてきたかもしれませんが、継続的に、原爆投下の責任を問うようなことはしてこなかったような気がします。したがって、今回の発言がアメリカ擁護のための発言だったとして、だからといって、我々が「アメリカに責任がないとでも言うのか!」と怒るほどに、今までアメリカに怒ってきたとは言えないような気がします。

 それにしても、安倍総理が久間氏に関するインタビューの中で、「日本の究極の目標は核廃絶ですから・・」と発言していたのは、なんとも納得がいきません。自民党の中で「核抑止論」の話が出るくらいなのに、核廃絶が目標とは全く思っていないのではないかと思いますし、今まで日本政府が、世界の核廃絶のために、積極的に何かしてきたかといえば、正直何もしてこなかったといってもいいくらいではないでしょうか。

 「非核三原則や世界の核廃絶が日本の国是」なんて形だけは思っていますが、残念ながら政府も、国民も、その意識は極めて希薄であったと思います。久間氏に怒る前に、我々日本人自身が、もう一度真剣に、原点に戻って、戦争のこと、原爆のことを考え直す必要があるのではないでしょうか。

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2007/07/01

牛肉コロッケとお薬

 世の中に、牛肉と信じられていた混ぜ肉が出回っていた、いわゆる「ミートホープ事件」。私の個人的な感想は、肉を扱う専門家が、そのことに気付かなかったのか?という疑問と、牛肉と豚肉の区別もつかない消費者を批判した社長の発言は、実は本音中の本音なのではないかと思えてならないことです。要するに、騙すことより騙されるほうが悪いという理論ですが、あまりに簡単に騙されたことで、その罪の意識も低くなっていったのかも知れません。まあ、言い訳にもならない話ですが、偽装を見抜こうともしなかった管轄の行政府はもう少し非難されてもいい話のような気がします。

 これを我々の世界に置き換えると恐ろしいことになります。私は職業柄やぶ医者をやっていますが、先日点滴用の、ある薬を生理食塩水に溶かしながら、ふと頭によぎったのが「この薬、ただの水だったらどうしよう」ということです。薬の中身を確認するすべは全くありません。我々は、ラベルに書いてある薬の名前を、その薬であると信じ切って使っているに過ぎず、それこそラベルの貼り間違いでもあれば一発アウトです。

 薬に関して、業者が偽装し始めたらとんでもないことになります。生理的食塩水は0.9%の食塩水ですが、はっきりいって0.8%でも0.7%でも、害はほとんどないと思われます。入れる塩をケチれば利益につながる・・・、しかし、特に医者からは問題視されない、患者にも不利益はない・・・となれば、そんな偽装が行われるかもしれません。風邪薬の類であれば、どうせ数日で治るのですから、小麦粉混ぜたって、害は少ないかもしれません。やってみて、なにも文句が来なければ、そのまま薬として世に出され続けるかもしれないのです。

 末端の我々や、実際薬を投与される患者にその確認をさせるのは不可能なわけですから、やはりそこは行政府にしっかり監視をしてもらうしか手がないように思います。現在、例えばジェネリックなどがもてはやされ、要するに安い薬の方がいいという風潮がありますが、「成分が同じで価格が安い」といううたい文句が、絶対という補償はありません。実際私は、患者さんにジェネリックを処方したとたんに病態が悪化し、元の薬に戻した経験があります。
 
 私はむしろジェネリック推進派ですが、価格が安い→儲けが少ない→コストダウンが必要→ちょっと中身の薬をケチる→安い薬だとアピールする・・・な~んていう業者が現れない補償はありません。業者を信じることはもちろん大切でしょうが、国が国としてジェネリックを推進するのであれば、我々が安心してジェネリックを出せるような、しっかりした監視をし、結果を報告していくようなわかりやすい制度をしていっていただきたいと願うばかりです。まあもちろん、ジェネリック以外の大手の薬も同様ですが・・・。
 
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2007/06/16

言うはやすしの年金問題

 責任者というのは責任を負う人のはずですが、実際の責任は下っ端に面倒見させるというのが責任者のやり方です。責任者は責任をとらない、それが責任者なのです(でもやっぱり、責任は現場が取らされる)。そうは言いつつも、自分自身がそろそろ責任者になりつつあるので、おまえこそ現場を知らない人間といわれないように頑張らんといかんのですが・・・。

 現在、世間の話題といえば「年金」でしょう。安倍総理がこの年金問題に関して、例えば24時間電話対応をするとか、この1年で5000万件の不明年金を照合するとか適当なことを言っています。まあ、私からしてみれば、また責任者が責任の放棄をしているようにしか見えません。別に、安倍総理が電話応対をするわけではありませんし、国会議員が総出で年金番号の照合するわけでもありません。コレだけの仕事をするには、相当に残業代やら経費もかかるのでしょうが、安倍総理のポケットマネーを当てるわけでも、社会保険庁の責任者の給与から天引きされるわけでもないでしょう。また、実際に受話器の向こうから、機関銃の様に浴びせられるであろう不満の受け皿は、結局のところ下っ端の下っ端の末端職員にやらせるだけのことなのですから、まさに責任者にとっては「言うはやすし」です。

 そんな折もおり、見つけてしまったのがこの記事です(年金電話相談 回答要員は「素人」で大丈夫?)。なんと、ほとんど対応し切れていないと極めて評判の悪かった、年金電話相談ですが、このコールスタッフを、募集する広告を社会保険庁?が出しているというのですから、もう、びっくりです。確かに、社会保険庁の正規の職員は遊びほうけていて、末端の窓口業務はアルバイトにさせているという話を聞いたことがありますが、ことここにいたって素人に対応させるというこの無責任さ、責任放棄は、あきれて物も言えません。こんなもの募集する前に、過去にさかのぼって社会保険庁に務めていて、天下った元職員(もちろん長官も含めて)を動員して、対応に当たったらいいんじゃないですか。それだったら、「45分対応したら15分休み」でも、私は許しますよ(大笑)。もちろん、ご奉仕でタダですけどね。社会保険庁の失態のつけを、アルバイト代という形で国民にしわ寄せし、しかもど素人のいい加減な対応ですませ、責任者達は安泰というのでは、もう話になりません。

 私の言いたいのは一言のみです。責任者は、とにかく現場に行って、現場の状況をみてくださいということだけです。現場を見ずして責任者面するな!、と言うことに尽きるというのが、私の意見でございます。

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