2015/07/29

ブログ開設11周年!!

 7月25日で、本ブログ「彰の介の証言」は11周年を迎えることができました。
 
 恒例の一言・・・、11年の長きにわたり、このブログを細々とではありますが続けてこられたのは、すべて、私、彰の介自身の努力のたまものであるということを、しみじみと感じております。

 ということで、細々どころか、いい加減閉鎖ではないか?という声が絶えませんが(実際は、閉鎖ではないか?という声さえ全く聞かれないほど閉鎖に近いですが・・・)、まあ、閉鎖するのも手間がかかりますので、しばらくの間、閉店セールを続けていきたいと考えております。

 以前は、今後の抱負を必ず書いたていたのですが、さすがに実行されたためしがないため、最近では、抱負さえ書かなくなりました。むむむ、これはいかん。一体いつになったら一念発起するのか。読者の皆様方のいらだちの声がまたまた聞こえてきましたが(実際は、何も聞こえない・・・)、私は私なりに、適当に忘れたころに更新していきます。

 それでは皆様、今年も閉鎖しない「彰の介の証言」を、よろしくお願いいたします。

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2014/07/28

ブログ開設10周年!!

 7月25日をもちまして、当ブログ「彰の介の証言」は、開設10周年を迎えました。今のところ閉鎖の予定もありません(笑)。
 いつものお約束ではありますが、10年の長きにわたり、このブログが続いてきましたのは、ひとえに、私ひとりの努力の賜と自負しておる次第でございます。

 さすがに10年も経ちますと、過去に書いてきた考え方と、現在の考え方に若干の?いや相当の齟齬が生じている場合がございますが、そこは、私が決して言論人などと呼ばれる人間ではないということで、ご勘弁いただければと存じます。

 今後のこのブログの方向性ですが・・・、と書いて、実行されたことがないので、今回は明記しません。とりあえずは、書き始めました「曖昧シリーズ」人間相対性理論を、ちょこちょこと書いていきます。これを、新平等主義シリーズとドッキングさせる計画です。

 10年の節目ですので、何かおもしろい企画でもと考えつつ、ネットの片隅で独りごちる、この零細ブログでは、何ともならないという結論で、今まで通りのご報告とさせていただきました。

 それでは、皆様、今後とも「彰の介の証言」をよろしくお願いいたします。

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2013/07/29

ブログ開設9周年!!

 7月25日をもちまして、ブログ開設9周年を迎えました。
 とりあえずお約束で・・・、ここまで続けられたのは、全て私の努力のたまものです・・・、ということにして下さい。

 最近は、新平等主義シリーズを、忘れた頃に書いておりますが、本当は、ソフトネタをどんどん書いていきたいのが本音なのです。一時、お堅いネタには疲れが生じて離れておりましたが、やっぱり何か書かないと気が済まない感じですね。忘れた頃にポツポツとこれからも書いていきます。

 もうすぐ、記事数も500を迎えます。いい加減時間がないのを言い訳にしないで、記事数を増やしたいですね。まあ、無理なんですけど。

 そんなこんなで、今後も「彰の介の証言」を何卒よろしくお願いします!。

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2012/08/18

ブログ開設8周年!!

 さすがに、ブログ開設8周年を7/25に迎えたとはいえ、今回ばかりはいつものようにはしゃげないですね。
 なにしろ、前回の「7周年」の記事から、この「8周年」の記事の間に、たった13本の記事しかないのですから・・・。自然界でいうところの、絶滅危惧種ということですね。

 絶滅危惧種となりつつある原因ですが・・・
①時間は・・・ある。
②暇は・・・ある。
③忙しくは・・・ない。
④書きたいことは・・・ある。
⑤気力は・・・全くない。
 ということで、気力が全くないのが原因のようです。ピークを越えたスポーツ選手か??。

 でも、でもですね、私も自分自身の過去記事を読んでみることがあるのですが、我ながら、良く書けた記事がたくさんあります。自分でいうのも何ですが、ネットの片隅に捨てておくのはもったいないと思ったりもするわけです(汗)。まあ、今後いい記事が出てくるのかどうかは疑問のあるところですが、ソフトネタ、まじめネタともに、絶滅しない程度に記事を出していこうと誓った、ブログ開設8周年でした。

 それでは、「また会う~日まで~、会える~時まで~・・・!!」
 もみあげ。

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2011/09/01

ブログ開設7周年!!

 いやいやいやいや、いやいやいやいや、なんと、このブログの開設記念日を全く忘れておりました。相当脳がやられてきました。あれこれ一ヶ月以上前の7/25をもちまして、「彰の介の証言」は7周年を迎えました。
 
 これも皆様のおかげ以外の何もなでもないのですが、恒例ですので、「私の努力のたまもの」と軽く言っておきます。何しろ、この一年での更新数がたったの24本であり、大きなことは言えません。絶滅も近い状況です。そのうち、毎年更新数1本、すなわち、この○周年記念の記事だけになったりして・・・と冗談ではなくそう思ったりもします。

 今後の「彰の介の証言」ですが、どうしていこう的なことを過去何度も書いてみたものの、実行されたためしはありません。ですが、これも恒例ですので、一応書いておきます。

 一つは、現在住んでいる静岡県伊豆地方の自然に関する記事なんか書けるといいかなあと思っています。神社巡りとか、野鳥のこととか、全くの私の趣味ですけど・・・。とりあえず、一本分のネタはすでに用意していますが、一本で終わる可能性大です・・・。

 二つ目は、元祖研究。これなんかネタとしてはまさに企画倒れになりそうですね。世間には元祖○○と銘打ったお店とか商品が結構ありますよね。これをコレクションしたいと前々から思っていました。それをネタにしようと思っているわけですがどうなることやら・・・。まあ、これも一本分のネタは用意しましたが、記事にするかどうかは微妙です・・・。

 ということで、明らかに「彰の介の証言」がソフトネタ化している、していく方針ということになりますね。7年もブログ記事を積み上げてきてみて、ネットの片隅で独りごちているこんな零細ブログであっても、書くことの怖さをちょっとだけ感じていて、それで筆が遠のいている現実もあります。別に炎上したことも全くないのですけどね。

 それでは、皆様、これからも「彰の介の証言」をよろしくお願いいたします。

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2011/03/10

メディア生態系理論

 いつもながらお久しぶりの彰の介です。
 そして、いつもながら、ばかばかしいことを理屈っぽく考えている彰の介です。

 このブログを始めた頃から、何度も何度も、「ネットの世界と既存メディアの関係」のことを考えてきて、特に、その争いといいますか「ネット対マスコミ」的なものの見方には、何度も、もの申してきました。過去記事にも書いていますが、ネットでブログを書いているような人間は、当然「ネット派」なわけで、私もそう分類されることになってしまうわけですが、しかし、ネット派のマスコミ攻撃にも辟易するものを感じていました(派閥論と駐禁症候群本質論と派閥争いなど・・)。

 そして今回も、全く同じことを書こうとしているわけですが、言葉を変えて、ネットも既存メディアも「生態系」の中の一員じゃないの?と言いたいだけなわけです。・・・と結論を書いてしまったので、これにて終了でもいいのですが?、まあ私の屁理屈にも少しの間お付き合いください。

 今回は、その序論で、本当の「生態系」に関する、私の屁理屈です。上記、ネットだ、メディアだ、マスコミだといろいろ書いてありますが、本日は全く出てきませんのでご安心ください。自然界の生態系のお話です。

 生態系という言葉の、正確な定義を私は知りませんが、食物連鎖とか弱肉強食という言葉で言い換えてもいいかもしれません。植物が光合成で得たエネルギーを、草食動物が食べ、それを肉食動物が食べ、それらの糞や死体を微生物が分解し、植物の栄養になって・・・というエネルギーの循環と言ってもいいのでしょう。たぶん。

 そこで私の屁理屈ですが、「弱肉強食」という言葉に私流の理屈をつけてみましょう。
例えば、シマウマは、ライオンの餌食になるという関係であり、俗にライオンが強くて、シマウマは弱いとされるわけです。ライオンは”生態系ピラミッド”の頂点、その下にシマウマが存在することになります。

 確かに一匹一匹を比べればそういう強い弱いという関係になりますが、「生態系」の中で考えた場合、決して強い弱いの関係はありません。ある安定した生態系を考えると、食べられる側が存在しない限り、その上の上位の捕食者の存在はあり得ません。いくら強くても、弱いものを食い尽くしたらその種は滅んでしまうことになりますから。
 
 いや、むしろ、生態系における強さ弱さというのは、あるいは、安定性というものは、全く逆かもしれません。種として食べられる道を選び、生態系の中に組み入れられた場合、すなわち、その生態系において、欠くべからざる”エサ”となった場合、種としては大変安定して生き延びることができるという考え方もできると思います。

 その道の専門家ではない私が、何でそんなことを考えたかと言えば、海の中の「鰯の群れ」や、田んぼの「オタマジャクシ」がむしゃむしゃと他の生き物に食べられるシーンを見るたびに、何でこんなにいろいろな生き物に食べられる、いかにもか弱い「エサ」のような生き物たちが、ずっと自然界を生き延びてこられたのだろうと疑問に思ったからです。

 生物というのは、いかに他の生物から食べられないようにという「弱肉強食」の理論から徐々に進化してきたかのように語られることが多いのですが、どう考えても、鰯やオタマジャクシは食べられないように進化してきたとは思えません。まあそんな弱い生き物たちがどうして生き残ってきたか、いや、むしろ繁栄してきたのかという答えとして、(正しいか正しくないかはわかりませんが)私の出した答えが上記に書いた、「エサとして生態系に欠くべからざる存在になること」というわけです。

 よく、「ほ乳類の祖先は、恐竜から隠れるように暮らしていた」なんてことが語られることがありますが、それが弱肉強食的に、恐竜が強くて、うろうろしていると食べられるという意味で言われているとしたら、それは全くのでたらめでしょう。ほ乳類の祖先が、恐竜の時代も生態系の中に組み込まれていたとしたら、食べられたからと言って絶滅することはないわけです。カエルやオタマジャクシが、次々にタガメやヤゴや、魚や、鳥に食べられても、絶滅しないのと同じ理屈です。必要不可欠な存在になれば、むしろ強食よりも種として安定というのが私の考えなのです。

 ということで、本日語ったことは、おそらくメディア生態系理論にはあまり関係ないような気もしますが、人間のための、人間的切り口でこの自然界の生態系をみた場合は、現在のネット対マスコミ的な派閥論的言い争いの無意味さを語る丁度いい例になると思います。が、本日はこれまで・・・。

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2009/05/12

派閥論と駐禁症候群

 正直、最近、ネットメディアに疑問を感じている、私彰の介でございます。
 はっきり言って、最近というか、今頃でもあるわけですが、何事も一長一短と言うことを、肝に銘ずべきという心境です。

 先々回、発熱で診療拒否という記事を書いたのですが、あの元になっているマスコミ情報に、噛みついている記事などを見て、その一方的な視点が気になっていたことが(しかも、おもに身内擁護のためにしかなっていない)書いた理由の1つです。
 世の中、どんなことも、一方的な視点で片付くことは少ないと感じます。こっちも悪いし、あっちも悪い、こちら側も改善すべきで、あちら側も改善すべき・・・、ただ、ネットではなかなかそう言う議論にたどり着くことがないなあと感じているわけです。

  医療批判で言えば、昨今の「救急車のたらい回し報道」が問題になりました。当初のマスコミからの一方的な医師批判報道姿勢に対して、医療関係者側から「たらい回しではなく、受け入れできない状況、疲弊しきっている状況」等の情報が出されたのは、大変意味があったと思われます。私も医者の端くれとして、当然同様の意見を持っていたわけですが、過去、マスコミから医療批判はされるものの、医療側擁護の報道はありませんでしたから、大変な進歩と考えていました。

 この医療側からの意見を世に出す、1つの窓口になっていたと考えられるのがネット情報でしょう。医師の現実が、現場の医師から語られ始めたのですからこれ以上の情報はありません。
 
 ただし、以前の私の記事でも書いたのですが、世の中には裏の裏があり、疲弊しきっている医師がいる裏では、残念ながら疲弊を加速させ「援護狙撃」している、おさぼり医師も存在しているわけです。したがって、医療側の医療側のための情報公開は、実は、医療側の堕落のお手伝いもしているという側面もあるわけです。

 しかも、なぜかネット関係者??というのは、マスコミを仮想敵国としてしまっています。私も半分そうですが・・・。したがって、昨今、医療批判をマスコミが流せば、早速にマスコミ批判がネット上で展開されます。今回の発熱で診療拒否しかりです。

 私は、医療側の人間として、当然ながら医療側の擁護がしたいわけですが、一点の曇りもなく、正々堂々擁護ができるのであればともかく、そうでない時、気になることがあるときには、医療側の人間である以上、医療側を批判する立場で意見発信をしようと考えていますし、今まではそうしてきたと考えています。これを俗に、売国奴(笑)というわけですが、私は甘んじて売国奴と言われることを選びます。

 なぜならば、上記どおり、世の中の出来事は、一方的な視点で片付くことは、あまりないと考えているからです。医療側だから、医療の擁護しかしていけない、ネット人だからマスコミ批判しかしていけないというのは、私の言うところの本質論を見失った「派閥争い」にしか過ぎないと思うからです(本質論と派閥争い)。
 
 これを、勝手に、派閥論的議論とでも呼びましょうか。たとえば、医療派とマスコミ派といった派閥論的議論の問題点は、属する派閥の悪い点を、覆い隠してしまうことにあるでしょう。いや、無意識のうちに、覆い隠すことを目的としてしまっているというのが真実かもしれません。
 これを達成するためによく使われるテクニックが、「駐禁症候群」と私が勝手に今、命名したテクニックです。批判テクニックを論破するという記事に書いたのですが、駐車違反をしてしまったとき、切符を切ったお巡りさんに「もっと悪質な、スピード違反や飲酒運転をちゃんと取り締まったらどうだ!!、三億円事件の犯人捕まえるのが先と違うのか!!」と悪態をつくあの行為です。確かに、駐禁より悪い行為はたくさんありそうですが、要するに、無意識のうちに、駐禁という悪い行為を覆い隠そうとしているに過ぎない行為で、駐禁が免罪されるわけではないことは言うまでもありません。

 医療批判の批判も、マスコミをたたくことで、この駐禁症候群的行為を行っている場合が目につくので、どうかな?と、疑問がわいてきているのです。「マスコミが騒ぎよって!」というのはわかりますし、世間受けをねらった適当な報道であることも否定しません(私こそ、マスコミ肯定派ではないことをはっきり言っておかないと、マスコミ派にされてしまいますか?)。そこを批判するのはともかく、派閥論的になり、駐禁症候群的な批判を続ければ、現実には自己派閥擁護にしかならないということもしっかり考えるべきではないでしょうか。自己派閥擁護は、決して問題解決になりません。問題解決どころか、問題点を覆い隠す行為でもあるのですから・・・。

 書きなぐってしまったので、説明不足な文章になってしまいました。また改めて書き直します。矛盾点などあるかもしれませんが、ご容赦ください。

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2009/04/09

ネットの典型としての「Yahoo!知恵袋」

 このブログでも「ネット対マスコミ」的な話題を何回か取り上げたのですが、私の個人的結論は、「ネット派とマスコミ派の派閥争いにすぎない」と思っています。
 ネットにはネットの、マスコミにはマスコミの、メリット・デメリットがあるわけで、どちらかがどちらかに勝るとか劣るとか、正しいとか正しくないとか、そんな結論には持ち込めないのではないでしょうか。

 ところで、最近、ちょっとしたことが知りたくて、「Yahoo!知恵袋」を何度か利用したのですが、いろいろな質問、回答を見ていて、「これはまさにネットとは何ぞや」という本質がこの知恵袋コーナーに凝縮されているなあと感じました。ネットとは何か、そのメリットとデメリットは何かを知りたければ、Yahoo!知恵袋を見よというわけです。(まあ、本来ネットを知りたければ2ちゃんねるを見よという話なのかもしれませんが、私はまったくそちらを利用しておりませんので・・・。)

 Yahoo!知恵袋とは、自分が思っている疑問を投稿し、誰かがその回答を投稿するという仕組みになっています。ちょっとしたことを質問したい場合には非常に便利で、大変役に立ちます。中にはアンケート的な質問もありますが、いろんな人の意見が聞けるという意味でも大変便利だと感じます。

 メリットをいろいろ上げてみましょうか。まずはいちいち専門書などを紐解かなくても、簡単に質問し回答を得ることができることでしょう。また、総論的な解説書があったとしても、具体的な手順がわからないなど、細やかな自分の疑問にあった質問ができる点も上げられると思います。また、いつでもできる、ネット環境があればどこでもできるというのもうれしいものです。回答も同じ悩みを共有する方が回答することもあり、参考になることも多いと思います。また、割と早く回答が得られるのもメリットに入ると思われます。

 これがテレビやラジオの相談室的番組であった場合、ほとんどの疑問は無視され、一部の質問にしか答えてくれません。というか、自分の質問が取り上げられるというほうがまれでしょう。もちろん疑問がふと沸いたときに、まさにその疑問をテーマにしたテレビ番組がそのときやっている可能性は極めてまれなのは言うまでもありません。

 デメリットも上げてみましょう。なんといっても、すべての質問に、その道の専門家が答えるわけではないことでしょう。通りがかりの人が、思い付きを答えることも多々あるのではないでしょうか。回答がついていない質問もあるようですが、そうでなくても、一人か二人、適当に答えていることもあります。
 要するに、回答の信憑性は誰も担保していないことが最大のデメリットでしょう。

 Yahoo!知恵袋ガイドラインを読むと、この解答の信憑性について、
 

もちろん、それらの答えは回答される方の知識レベルや思想、考え方などに左右されます。どのような質問をし、他の参加者から受けとった回答をどのように理解し、評価するかといったことはすべてご利用になる方々の責任において行われます。それらの回答内容がすべて絶対的に正しいとは限らないことを十分認識して、本サービスを利用してください。

 という見解で、いきなり信憑性を放棄してしまっています。そして、その後を読んでいけば、責任も負わない、保証もしないとしっかり書いてあります。もちろん回答者や、Yahooに責任を負わせたら、回答が集まらないのは言うまでもありません。「場と環境は与えますから、後はご自由に活発な議論をどうぞ」というのは、いかにもネットらしいといえばネットらしい、メリットと裏腹の大デメリットといえるでしょう。

 ちなみに、私は職業柄やぶ医者をやっているわけですが、その方面の質問を見てみると、残念ながら怪しい回答が結構あり、これを真に受けた質問者がその後どうなったのか心配でなりません。しかも、それら回答は、一見すると問題のある書き方はしていませんから(たぶん悪意はない)、真に受けるほうが普通と言えなくもありません。このあたり、簡単に信憑性を放棄してしまっていいものやらと思いますがどうなんでしょう。

 もう一つのデメリットとして、質問はしっぱなしで、似通った質問の統合は行われていないことです。もちろん回答の統合も行われていません。メリットとして、痒いところに手が届く細やかな質問ができることがあげられますが、それにしても同じような質問が当然のごとく乱立してしまっています。それぞれに回答も違い、優秀な回答と通りすがりの一言が同様に扱われています。したがってうまく検索を使っていい回答を見つけることができればいいのですが、うまく引っかからず、新規に自分がした質問にいい解答がつくかどうかは「時の運」というのも、デメリットの一つでしょう。

 マスコミに信憑性があるのかないのかは、まあそれぞれの案件によりますが(笑)、一応建前として、信憑性のない情報は流さないのが原則で、最低限、信憑性の放棄はありえません。NHKが、「なお、本日のニュースの信憑性は、視聴者の個人で判断してください」なんて言い出したら大笑いです。まあ笑えない事件も多々ありましたが・・。
 
 また、たとえば天気予報が、今日は衛星を利用して予報を出し、次の日は下駄を投げて予報を出し、そのまた次は通りがかりのおじさんに聞いて予報を出し、そしてその次はコンピューターを駆使して予報を出し・・・みたいなことが裏でランダムにやられていたとしたらたまったものではありません。予報の当たり外れの責任論はおいておいて(下駄のほうが確率よかったりして、大笑)、見たタイミングで信憑性が左右されてはたまったものではないという話です。
 
 ということで、いい悪いは別にして(上記のごとくメリットデメリットあり)、Yahoo!知恵袋に私が思うネットの典型を見たという話です。ここに、悪意や、誹謗中傷が加わると、マスコミ派の格好のネタになるのでしょうが、それはまた別問題であることを付け加えておきます。

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2008/08/06

ブログ開設4周年!!

 うむむ、また忘れていました。
 7月25日を持ちまして、このブログを、終了させていただきます。

 ・・・・・・、じゃなくて、ブログ開設4周年を迎えていました!!おめでとう!!。毎年、ここまで続いたのは私のおかげとか言ってぼけるのが通例ですが、今年は、最初から皆様のおかげと感謝を述べさせていただきます。

 何となく、ワンルームのアパートで、一人寂しく誕生日を祝っているような感覚ですが、まあいいか。ブログを取り巻く環境もずいぶん変わりました。今後も一人寂しく、ネットの片隅で屁理屈をこねる、「彰の介の証言」をよろしくお願いいたします。

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2007/11/26

ブログのマスコミ化を憂う

 今まで、このブログでもマスコミ批判をしてきました。が、私自身、現在議論されているような、マスコミとネットが対立関係にあるとは思っていません(そんな議論はありませんでしたっけ?)。マスコミにはマスコミのいい点悪い点、役割、限界があり、ネットにはネットのいい点悪い点があると感じています。事象によっては、マスコミが表、ネットが裏の関係にあるといってもいいでしょう。マスコミが建前論を、ネットが本音を、マスコミが穏やかに、ネットが過激に、マスコミが総論を、ネットが各論を、そんな関係がいくつもあるように思います。時には、それぞれの立場による意見発信を批判する場面もあるのでしょうが、それぞれの役割について批判したところで、何の意味も無いように感じます。

 何でそんなことを言い出したかといえば、最近マスコミをにぎわせているあの坂出の事件で、そんな裏表の関係を見たからです。いつの間にか、かつて、マスコミを批判していたことを、ネットがそのままやっているこの状況は、許されるのか、批判されるべきなのか。新たなネットの問題が発生したようにも思います。

 ネットの象徴といえば、今は亡き?「ほりえもん」ですが、彼が逮捕されそうになった時、ネットは一斉にマスコミの報道姿勢を「推定無罪」という言葉で批判しました。マスコミは、彼を犯人扱いしているという批判です。私自身、そういった批判には否定的でしたが(推定無罪とは何か?)、それに限らず、ネットはマスコミの決め付けや、取材方法などをさんざんに批判してきたはずです。しかし、今回の事件では、芸能人ブログで犯人の名指し記事が掲載され問題になったり、各地で犯人決めつけエントリーが出ているようです。有名人ブログでは問題になりましたが、多くのブログではもちろん問題視されません。それは許されるべきなのでしょうか、問題視すべきなのでしょうか。

 ブログの定義を、「個人的日記」とするならば、何を書いても自由といった雰囲気があります。その一方、ネットを通して、不特定多数の人間の目に触れる可能性があるとするならば、ある程度書かれる内容の規制が必要という気もします。これは、有名人、公人のブログ、あるいは、集客力のあるブログはほぼマスコミ化していると考え、マスコミ並みの規制をすべきで、並みのブログは何でも自由でいいと考えるべきなのでしょうか。それとも、マスコミが本音では語れない裏の部分を、ブログで語るというのが、そもそものブログの役割であり、書いた内容を問題視されたことの方が問題なのでしょうか。

 私個人の意見が、まだまとまっているわけではないのですが、ブログが個人の意見である以上、マスコミ並みの言論統制、つまりイデオロギー的な部分での公平性を保つ必要は全くないと考えています。右にしかあるいは左にしかハンドルが切れなくても、言論思想の自由の元、個人であれば許されるような気がします。ただし、その他の部分については、マスコミを批判するようなことは個人ブログでも当然批判されると考えます。マスコミの取材方法を批判するのであれば、同様の取材は個人でも許されない、報道の仕方がいけないのであれば、当然ブログでも同様の表現は許されないでしょう。ブログはブログの役割を保ちつつも、その役割を果すためなら何をしてもいいという理由はどこにも無いのではないでしょうか。

 おそらく、例外的な事例が多数あると思いますので、私の意見にそぐわない部分もあるでしょう。あるいは、そもそも私の考え方が間違っているかもしれません。ただ、私は無作法に何でもかんでも情報を垂れ流すのがネットの役割とするならば、最後はよどんだ闇社会になってしまうだけと考えているのです。
 このテーマ、また屁理屈こねつつ語りたいと思います。

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 追加記事:大西さんのところの本来なら炎上閉鎖してもおかしくないサイトへトラックバックさせていただきました。

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