いろいろと考えをめぐらせている間に、いつの間にか、年末、新年も過ぎ、2月も終わって3月に入ろうとしております。新年のご挨拶もできなかったのは、初めてかもしれません。時のたつのが早いのか、私がさぼっているのが長いだけなのか、このブログに記事を書かない期間が3か月以上になってしまいました。
ネットの片隅でひとりごちるこのブログですが、誰も読んでいないとしても、私自身の考えをまとめるために必要です。今後はもう少し真面目に更新いたします。
な~んて、このブログを以前から見ていただいている方はよくお分かりかと思いますが、この、真面目に更新するとか、短くていいから更新回数を増やすとかいう類の目標は、達成されたためしがありません。あるテーマについて書くなんていうのも書いたためしなし・・・でございます。
ということで、毎度の有言不実行として今回掲げているのが、またしても曖昧論。エリートに限らず、多くの人は、そこには必ず答えがあると信じていますが、現実には不確定要素がいくつもあったり、言論のように幅広い考えがあるのに、一つの考えに収斂するなんてことは普通あり得ないでしょう。世の中は、曖昧なはずなのです。
ところが、曖昧なはずなのに、答えがあると思い込んでいるから、いろいろと矛盾や、不幸なことが起こってくる。そんなことの連続が人間の歴史といえるでしょう。ただし、答えがない、曖昧だと気付いたとしても、曖昧なわけですから、気付いただけで不幸がなくなるわけではなさそうですが。そんな意味のない言論、それが曖昧論というわけです。
少し話は外れますが、皆さま、病気になって病院に行ったとき、どんな医師だったら、安心でき頼りになるでしょうか。一応、一応、私はやぶ医者をやっているわけですが、これまた私にかかられた患者様というのは、やや?ものすごく??不安になることでしょう。
一般的に、
「あなたは急性気管支炎です。この抗生物質を飲めば必ず良くなります。」
と言ってもらえれば、安心できるでしょう。
でも、やぶ医者の私は、たぶん患者様にはこのように説明します。
「あなたは急性気管支炎だと思います。抗生物質を出しますが、熱が続くかもしれません。咳は病気がよくなっても続く方が多いです。高い熱が続いたり息苦しいなんてことがあったら、また必ずかかってください。」
まあ、要するに、曖昧なのですよ。病名も断言しない。薬が効くとも言わない。悪くなるかもしれないとまで言う。まあ、患者様はかわいそうに、私にかかったばかりに、不安な気持ちで病院を後にすることもあるでしょう。でもでもでも、本当に診断も、治療も、ただただ断言することが正しいのでしょうか。
まあ、誰に何と言われようと、私の持論は、曖昧論。真実も、未来のことも、決して誰にも分らないと思っているわけです。現実には、上記の私の説明に食って掛かる方はほとんどいないわけで、あまり問題になることはないのですが、本当は「断言型」の方が安心できる方も少なくないでしょう。稀に・・・、曖昧なことを言っていると、「私が望んでいるのはそんなことじゃない。病名が知りたいんだ病名が!!」と怒りだされる方もいらっしゃいます。そうなると、病名をしっかり言っていただける病院へどうぞという話になり、変な病名つけられて、めっちゃくちゃな治療されても知~らない・・・と思いつつ、いやいや、自分の技量の足りなさに、反省する日々が始まるわけです・・・。
そのあたりは、医師と患者の相性の問題と言ってしまえばそれまでです。医師側も、患者側も、正しいか正しくないかは、神のみぞ知る、それが曖昧論主義者の私の考え方なのです。よく似た話は、人間相対性理論(医学と料理人の曖昧)(医学と町工場と職人の曖昧)(医学と統計学の曖昧)にも書きました。
最初に書いたように、有言不実行ではありますが、言論の自由と言論弾圧について、ちょいと考えております。民意についても少し書いたのですが、結論を書ききらず、また文章にしたいと思っています。その他、考えていることと、目的がねじれてるなんてことも最近よくありますから、それも、ぶった切ってみたい・・・じゃなくて、曖昧に事を片付けたいと思っています。
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